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【東大文一】新倉和花(にいくら・のどか)さんの合格体験記「桜蔭→東大までは王道でしたがその後麻雀プロに」

東大合格note 第7回

新倉 和花(にいくら・のどか)さん

東大法学部卒 25歳

東京大学出身者を紹介する東大合格noteの第7回。

今回は、日本プロ麻雀協会に所属し、麻雀プロとしても活躍している新倉和花さんにお話を伺った。

最初に正直に言ってしまえば、新倉さんのお話は、このnoteを読んでくださっている皆さんにとって、すぐには役に立たないかもしれない。

というのも、新倉さんはほとんど勉強らしい勉強をしないで、圧倒的な余裕を持って東大に合格したからだ。彼女の真似をしようとしてもだいたいの人はできないだろうし、迂闊に真似をすると東大を目指す生活そのものが成り立たなくなる恐れもある。

それを踏まえたうえで、新倉さんがどのように東大に合格したのかを紹介する。「東大に入る人の中にはこんな人もいるのだ」という感覚で、参考にしていただければと思う。

<基本情報>

東京都内出身

お父さんもお母さんも四年制大学卒業

弟が1人(高校と大学はスポーツ推薦)

2歳で文字を読み、本をたくさん読んだ

小学生の時に日能研の公開テストを受けて入塾

桜蔭を目指し余裕で合格。慶応中等部は記念受験して辞退

家では机に向かわない

東大模試は3回受けて毎回上位1ケタ


小学生の時に日能研から「三顧の礼」

 

新倉和花さんは現在、教育出版系の会社で会社員として働くかたわら、麻雀プロとしても活動している。この東大合格noteを出している竹書房は「近代麻雀」という雑誌を発行していて麻雀界とも関わりが深いので、今回、新倉さんのお話を伺う機会を得た。

大きな目、口元は常に口角が上がって微笑みをたたえていて、意志の強さと知性を感じさせる女性だ。そしてはきはきとお話してくれる。

まずは子供時代はどんな風に育ったのだろう?

「小3までは普通の子供だったと思います。男まさりで、休み時間にはドッジボールをしたり、ムシキングやベイブレードやイナズマイレブンの話で盛り上がったりして、ごく普通の下町の小学生でした。

ただ、本を読むのは好きでしたね。2歳の時の記憶があるんですけど、家の中で『いろはかるた』をやっていました。そのときに必ず読み手をやりたがって、自分が読んだ札を両親が取る、という遊びをしていました。

母は本の読み聞かせをたくさんしてくれて、自分でも片っ端から本を読んでいました。今でも覚えているのは『泣いた赤鬼』『かわいそうなぞう』『ノンタンシリーズ』などです。『かいけつゾロリ』の本もたくさんありました。

小学校に入ると『青い鳥文庫』もたくさん読みました。小1のときに『ハリー・ポッター』が読みたくて読み始めたんですけど、1行に1つくらい知らない単語があっていちいち母に『錠前ってなあに? コレはどういう意味?』と聞くので、読むことを止められました。

3歳頃
幼稚園卒園式

あと、新聞も普通に読んでいました。うちは両親が熱狂的な読売巨人軍のファンなので、読売新聞と日刊スポーツを購読していて、それも読んでいました」

 新倉さんは小3のときに、日能研という塾が行っている公開テストを受験した。

「成績がよかったので、塾に来てほしいと言われました。親はそれほど教育熱心でもなかったので、初めは断っていたんですけど、

塾長さんが何度も来られて誘うので、体験授業を受けてみることにしました。まさに『三顧の礼』ですね。授業を受けてみるとそれが楽しくて、小4から塾に入ることにして、当時は車で送り迎えをしてもらっていました」

友人と競いながら勉強し、桜蔭へ

こうして週2回、国語と算数の勉強をするようになった新倉さんは、勉強の楽しさに目覚める。

「あのとき、塾に入っていなかったら私は東大に行かなかったんじゃないかと思いますね。夏期講習も楽しくて、毎日お弁当を作ってもらって、持って行ったのを覚えています。

塾のクラスの中では私含めて上位4人で競っていました。席替えのテストが月に何度かあるのでその点数も競っていましたし、塾の先生も、私たちのために特別な授業をしてくれたり、授業の後でお互いに難しい問題を出し合ったり、お互いに切磋琢磨していたと思います。そうすることが楽しくて、特に勉強で苦労したとは思っていません。

中学受験の時、ある中学校を4人とも受験して、自分が1ケタだったので自慢しようと思って塾に報告に行ったら、4人とも10位以内に入っていた、ということもありました。結局その中学校には誰も行かなくて、他の3人は筑波大付属駒場に入りました。私もみんなと同じ筑駒に行きたかったんですけど、女子は入れない学校なので本命の桜蔭に入りました」

小学校時代
小学校の担任が卒業アルバムに書いてくれたメッセージ

塾は鉄緑会、家では机に向かわない

桜蔭は、言わずと知れた名門女子校。1学年240人のうち、60~80人が東京大学に進学する。

「学校の方針が、自分に合っていたと思います。携帯電話の持ち込みは禁止ですし、スカートはひざ下10センチ、寄り道は原則禁止でした。髪を染めたり、ネイルをいじったり、そういうことをする人がいなくて、私としてもそういうことに気持ちや時間を使わなくてよかったと思っています。

周囲が皆、勉強する人達だったというのはよい環境だったと思います。でもだからといって、桜蔭のカリキュラムが東大受験に特化していたとは思いません。畳の部屋での礼法だとか調理実習だとか、まったく受験向きではない授業もたくさんありました。

学校で一番頑張ったのは生徒会活動ですね。中1の時から生徒会に入って、高2のときは『予算基準の見直し』をしました。何年も見直されていなかったものについて先生とバチバチ議論してました。

古き良き学校で、『よき社会人であれ』という方針はよかったと思います。私の中高時代の生活は、家と学校と塾をぐるぐる回っていました」

新倉さんは、中1のときに「鉄緑会」に入塾。

「東大には、鉄緑会の出身者の繋がりがあるんです。都内の進学校の生徒で鉄緑会で勉強している人はすごく多いですし、東大医学部に入る人は7割くらいが鉄緑会出身だと思います。地方の高校から東大に入った人は、最初はその現実に驚くんじゃないでしょうか。

私は中高6年間を鉄緑会で勉強して、大学に入ってからは講師としてお世話になりました。

私、東大の赤本ってやってないんですよ。過去問は鉄緑会が準備してくれたものを解いていました」

しかしその塾の宿題すら、新倉さんは家では勉強しなかったという。いったいどうやって学力を身につけたのか?

模試はA判定どころか常に上位1ケタ。自分は東大受験向き

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