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流されて円楽に 流れつくか圓生に 著者 六代目三遊亭円楽 第七章 「談志師匠、時代を埋めたいんです」


六代目三遊亭円楽

 ウチの師匠は俺の六代目円楽襲名を待たず、平成二十一年十月二十九日に亡くなった。「襲名の時に披露しよう」と、楽しみにしてくれていた二代圓楽の揃い踏みも、目前にして叶わぬ夢となった。

 

 ウチの師匠は長期入院の末に病院で息を引き取った訳ではない。長男の家で亡くなられた。懸命に生きた人間の最期としては、家族に看取られ、御自宅で……とても、幸せなことだ。実は亡くなる二か月程前、九月三日の圓生師匠の命日でお墓参りに行った後で、俺の倅で弟子の一太郎を五代目に逢わせたんだ。永隆寺から車に乗せてウチの師匠の自宅にね。ウチの師匠は元気だった。

「楽太郎(おまえ)、聞いとくれよ。歩いていて、脚が痛てぇんだよ、先週から。それで、昨日ね、医者に行ったんだ。そうしたらね、骨折しているんだって、両足首」

「えっー!」

「いや、階段からちょっと何段か落っこったんだよ。『ドーン』て、突いちゃった」

「それ、痛いだけで一週間も歩けたんですか?」

「うん、何かね、腫れてきたから、おかしいなと思ったけどね」

(どんだけ、鈍感なの)と思うよね。(最後までウケさせる人だなぁ)と思ってね。それで、

「今から孫が来るから、おまえら、もう、帰っとくれ」

 って、言ってんの。もう、一番大事なのは、落語でもなければ襲名でもない。お孫さんが可愛くて……。だから、あんな好々爺になった師匠を見て、凄く寂しかった。若いときはいつも怒ってね。

「手前なんざぁ、勝負してやる!」

 って、言っていた師匠が、ドンドンドンドン丸くなっていっちゃって、ニコニコしちゃってねえ。「名前継げ」って言ったときもそう。だって、記者会見の写真を撮る前に、

「おい、握手ぐらいしようよ」

 って、そういうことを言う人じゃなかったのに……。そう、俺はずぅーっと師匠に、楽太郎じゃなくて、バカ太郎って呼ばれていたんだ。師匠が元気だったころの凄いエピソードがある。

 

 それは、『笑点』の楽屋で起きた。ウチの師匠がすぅーっと近づいて来て、肩越しにいきなり、

「お前は、明智光秀だな」

 って、あの低くて野太い声で言ったんだ。俺はびっくりして、

「ちょっと待ってください。どういう意味ですか?」

「いつか俺を裏切るよ」

 って、言う。亡くなる五年ほど前だから、本当に最晩年まで尖っていた。師匠は、重ねて言った。

「お前は明智光秀だ」

 こうなると俺も言い返さないとならない。

「ちょっと待ってください。あたしが明智光秀だとしましょう。そうすると、師匠は信長ですね?」

「……そうだよ……」

「じゃあ、あたしはね、……秀吉ですよ。藤吉郎から仕えて……。“猿”って言われて、鞄持からやって、ここまで来たんですから、あたしは秀吉ですよ」

 って、反論したら、ウチの師匠がずっと考えて、

「……ウチから天下人の家康は出ないね」

 って、言ったんだよ。その答えは事前に用意していない訳でしょ? あたしに対して、「お前は裏切り者になりそうだから、俺は嫌いだ」って直情的な言い方をした。それであたしが秀吉だという反論に、自分で考えたサゲがね。

「ウチから、天下人の家康は出ない」

 これは凄いサゲですよ。「まだまだお前らは、みんな小者だ」って、言い放って、自分だけ天下人で京に上ろうとした信長になっちゃうんですから。たくまないで、そのことをね、言ってしまう凄さ。散々ここまで「不器用だ。不器用だ」って、書いたけど、その不器用な人がね、凄いサゲをつけたからね、(お見事! 座布団十枚!)って、思わず心の中で言いましたよ。

 で、その頃の師匠は、俺に対しては、

「お前は何だ! お前でなければ出来ない仕事があるのか? お前でなきゃって、仕事があるのか? 楽太郎って自分の名前の看板で、何かやってるのか?」

 って、散々言っていた。

「てめぇは、バカ太郎だ! ちょこちょこした茶坊主じゃあるめえし、『忙しい。忙しい』って言うだけで」

 そんな小言ばかり食っていたのが、円楽襲名が決まって、様々な段取りを決めて、ウチの師匠に、「こうなりました」って長い報告をしたときに、感心したかのように、

「お前も、少しは“らしく”なったじゃねえか」

 って、言われた俺は、師匠の家から出たときに涙が出ていた。嬉しかった。(やっと認めてくれたか)……これが、最後に褒めてくれたと、その幸せを嚙みしめていた。

 

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