落語見聞録 さようなら! 神奈川県民ホール寄席!
44年間421回の落語会を開催されてきた「県民ホール寄席」が、2023年12月20日に最終回を迎えた。席亭の濵永廣生氏には、落語について大変親切丁寧な指導を長年に亘って受け、また動画カメラによる記録映像の収録も数知れず許諾していただいた。1980年から5年分のネタ帳を見ても、人間国宝の五代目柳家小さん、桂米朝、柳家小三治、五街道雲助から、昭和の名人と謳われた十代目金原亭馬生、五代目三遊亭円楽、春風亭小朝、桂枝雀、古今亭志ん朝、入船亭扇橋、立川談志、桂文治、等々名人たちの名前があげられる。その時代、時代の第一線で活躍していて、確かな芸の持ち主の落語家を顔付けしてきた席亭に感服する次第。
今回は、その県民ホール寄席の最終回の柳家さん喬師匠の独演会の様子をルポルタージュ風にお届けするつもりです。
録画取材のために早めに会場入りした私の目に飛び込んだのは、ボランティアスタッフの皆様がロビーに歴代出演者のサイン色紙をディスプレイしている様子だった。
「こんなのオークションに出したら、結構な大金になるんじゃないか?」
なんてことを言いながら飾りつけするスタッフの方もいらっしゃった。他にもたくさんの色紙があったのだが、事務所の引っ越しのドサクサで何処にしまったかのか分からなくなったという席亭の弁。いやいやここにあるだけでも、壮観ですよ。他に来場のお客様に100回記念、300回記念、400回記念で作成された演目一覧表が「ご自由にお取りください」と並べられていた。わたしは、2008年2月29日の第231回柳亭市馬独演会から収録にお邪魔しているので、これも感慨深い。
先ずは、今年の11月に二つ目に昇進した柳家小太郎さんの登場で、「千早ふる」。歯切れの良い口調と、くるくると表情がかわって面白い。百人一首で正月気分を早どりしたかのような演目選択でした。
いよいよ、さん喬師匠の登場。今回は主催者から噺のリクエストがあったそうで、
「こんな噺が聴きたいんだけどなぁ」
って、メールが来ましてね(笑)。
「いいですよ」
って、言ったものの、……この噺を一番お終いに演るとお客様は陰気で帰らなきゃけないから、この噺は最初に演っちゃって、陰気な気分でそのままお終いまで居ていただければなぁと(笑)。
このあと、師匠の五代目柳家小さんのお酒にまつわるまくらから、昔の遊び場に置いてあった線香を説明して、本編「たちきり」へ。
語る演者によっては陰惨で激しい描写になる演目だが、さん喬師匠の温和な人柄が滲み出たような穏やかな口調で語られると、小糸の儚さと切なさに心打たれる演目となる。
「ねぇ、……お手紙書いてもイイ?」
消え入りそうな声で繰り返される小糸の懇願が、ずっと耳に残る名演でした。
仲入りをはさんでは、打ってかわって楽しくて笑いの多い『掛け取り』へ。借金取りの好きなもので撃退する亭主の芸達者なところが楽しくってしょうがない。
狂歌マニアの大家、義太夫好きな浪花屋、歌舞伎好きの相模屋の番頭、萬歳好きの三河屋の旦那を撃退する度に拍手が起こり、お客様も大満足のご様子でした。
『掛け取り』が終わると、高座を降りずに、江戸前の魚のまくらへ。江戸時代の魚河岸の話題から、冬の名作落語『芝浜』へ。立川談志師匠の人情噺を代表する噺だが、さん喬師匠の『芝浜』は談志師匠のそれと違う構造を持っている。先ず、魚勝が最初から酒をやめるつもりで魚河岸に出かけたこと。二十日間も仕事を休んで酒を飲んでいた理由は、物語の構造上説明しなくていいと判断したんだろう。さん喬師匠の魚勝は、どんなに堕ちても引き返すチカラを最初から持っている人間に描かれていると感じた。欲望に忠実なのも人間だが、反省して自己卑下するのも人間なのだ。なので、金を拾ってきたことが夢であったことが分かったあとも、激昂せずに静かに自己卑下をして、すんなり元に戻って真面目に働くことを決意する。かと言って、物語に深みがない訳では決してない。おかみさんを徹底的に弱く可愛い女性にして、魚勝に「夢であった」と気づかせる方法をとっている。
夢にしたのは大家の入れ知恵ではなく、おかみさんが自分で考えたことだ。「今日から真面目に働いて魚河岸に行く」といって、悪態もつかずに出かけた魚勝の心根を取り戻そうと、おかみさんが考えた噓だった。あの朝、魚勝が酒をやめて真面目に働く宣言が、さん喬師匠の『芝浜』の構造を決定づけている。ちなみに夢のトリックは、魚勝が通ってた魚河岸が朝夕に河岸が開かれる設定で補完しているが、これは時間軸の整合性の整理でさん喬師匠、もしくは先人が必要と感じたことだろう。
真面目に働きだしているうちにおかみさんとの間に子供が生まれ、五十両の件をおかみさんが告白する大晦日の晩に、亭主が1歳ぐらいの男の子をあやす描写が出て来る。わたしは、子供が登場する『芝浜』の存在を話には聞いていたが、この夫婦の間の子供が登場する『芝浜』は初めて聴いた。
拾って来た五十両は夢じゃないと告白するおかみさん。この五十両をもう一度手にしたら亭主は働かなくなる心配をしたおかみさん。真面目に働きに出た亭主の心根を失いたくない一心で三年間、噓をつき通したおかみさん。そして、おかみさんの実家の両親は毎年大晦日に借金取りに悪態をつかれていたこと、「大晦日なんて大嫌い。楽しいことは一つもなかった」と泣きながら魚勝に許しを乞うおかみさんを、魚勝は暖かな笑みを浮かべて、「……まぁ、お手をお上げになって……」と宥める。
子供が張り替えたばかりの障子を破るが、おかみさんと「あの金は夢じゃなかった」の件を話し終わった魚勝は、
「いいんだ、いいんだ、障子なんか幾ら破っても、張り替えれば元の通りだ」
と、晴れ晴れと言う。まるで、魚勝本人が元の働き者に戻れば大丈夫だというようなセリフである。そこへ、おかみさんが酒を持って来るという段取りだ。
10年ほど前に、渋谷らくごのキュレーターのサンキュータツオ氏が、
「『芝浜』という噺を語るのは、名峰への登山に似ている。どのルートで登るのかを、演者によって、あるいは同じ演者でも毎回違うルートを模索する演目だ」
と、解説していた。その意味で、わたしは立川談志師匠ルートではない『芝浜』を初めて生で聴いた。一生の思い出に残る落語会となった。
1980年1月18日に開催された第一回県民ホール寄席は、柳家小三治師匠の独演会で幕を開けた。そして、最終回は柳家さん喬師匠の独演会で幕を閉じた。そして、第1回のトリネタは、『芝浜』であり、県民ホール寄席は『芝浜』ではじまり『芝浜』で終わる名作落語に飾られた会となった。
会が終わりあとかたづけをする席亭の写真を撮らせてもらった。かたづけの手を休めることなく、まるで来月もこの寄席があるかのように普段の笑顔で撮影に応じてもらった。聞けば、二つ目クラスの若手の独演会を来年はぼちぼち開催するらしい。この人の顔付けのセンスに惚れている者にとっては、また新しい会も通い続けることになると確信して、県民ホールをあとにした。
文 加藤威史(落語note by 竹書房運営)
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