「感情」について。

感情とは、常に自分勝手ではないでしょうか?
喜怒哀楽すべてが自分勝手な感情ではないでしょうか?
極端な話ではなく、感情と言うものは個々人によって、感情が生まれる瞬間が違うものだから。

例えば、天災が起きて悲しむ人もいれば「天災だからしゃーないな」とある種の開き直りをする人もいる。
テロが起きて、悲しむ人がいれば、怒る人もいる。

結局のところ、自分が思ってるように世界は動いていないから感情と言うものが芽生えるんじゃなかろうか?

映画を観て、映画は「はい、この演出でお客さんは涙するでしょ。感動するでしょ。ほい、感動してよ」っというポイントで、多くの人は感動する。させられる。
「これは感動するところ」という思い込みがあるから。

そんなあからさまな内容で感動する人は少ないだろうけど、映画でも小説でもなんでもいいけど、巧みに人をその気にさせる技があるんだよね。
「そんな簡単に感情を起こさせられてたまるか!」って僕みたいにあらがう人もいるだろうけど、生きてきた時代が一緒で、って事は、感情が起こる瞬間は(思い込みや、刷り込みで)似たようなモノだから、案外と人の感情を起こさせるのは簡単。

っと書くと、感情は自分勝手と言うより、思い込みや刷り込みで生み出されるモノで、自分勝手なモノじゃないように思えるけど、つまるところ、生きてきた環境や国、文化、時代、全部ひっくるめて今の自分があるんだから、感情が起こる瞬間というのは常に今の自分から生まれたモノ。

歳を重ねれば感情が起こるポイントも変わってもくるし、自分勝手という言い方は良くないが、あえて「感情は自分勝手」と言いたいのは、その方が楽に生きられるんじゃないかと思うから。

人間は群れで生きてる生き物だから、他者に対してムカつく事もあるし、悲しむことも、嬉しいこともある。

そこで、他者と向き合った時に起こる感情というのは、怒るポイントも、嬉しいと思うポイントも人それぞれ違うのであれば、感情とは、やっぱ、自分勝手なもんで、感情が引き出される瞬間は他者と自分との相互関係からだけども、そこにどんな感情が起こるかは自分勝手なものだから、そこを「自分のせい」にできたら、マイナスの感情の時は自分と折り合いつけてなるべく平和に心乱さずに生きていけるし、プラスの感情の時は心から喜べるんじゃなかろうか。

自分じゃどうしようもない出来事があって、生きてる間に起こる良い事も悪い事も全部「自分のせい」にしていたら逃げ場がなくなって潰れちゃうけど、何気ない毎日で起こる喜怒哀楽を全身で「あ、こんな事で自分は怒るんだ」「あ、こんな事で自分は嬉しいんだ」って味わう方法として「感情は自分勝手」と思えれば、少しは楽に生きていけるんじゃないかな。って思う今日この頃。

今日この頃どころか、「全ては己のせい」という考え方はずっと実践してるし、思ってる。
その方が僕自身は楽に生きれるから。

そこを考えた時に「感情とは自分勝手なものじゃないのか?」っと疑問を持ったので、むしろ、自分だけじゃなくて、他者が僕に向けて「なんでこの人はこんな事で怒るんだろうか?」っと、一歩間違えれば「お前、相手が怒ったことを自分のせいにできてないじゃん」っというツッコミがありそうだけど、怒りという感情について考えてたら、怒りだけじゃなく喜怒哀楽すべての感情に行き着き、今回、僕の考えを書いてみました。

僕自身も、もう言っちゃえば、自分の思い通りにならないと自分勝手に怒っちゃうしね。
個人的な話じゃなくて、話が少し大きくなるけど、例えば、生き物が虐待されない世界が良いという想いがあって、でも、動物虐待の話なんかみると、世の中は自分の理想と違うから、虐待したやつに同じ事してやりたいと、どっかの見知らぬ他人に勝手に怒っちゃう。

人間なんて、所詮は自分すら認識できてない、自分にも、他者にも振り回されて生きてる生物。

そこから、なるべく振り回されずに楽に生きていくには今回書いた考え方が僕にはちょうど良いかなと。

大げさな事言うと、この考え方で楽に生きれる人もいるんじゃないかと書いてみました。

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