見出し画像

❖決めた後の未来にも責任を持たねば、決める資格も与えられてはならない❖ まいに知・あらび基・おもいつ記(2022年2月10日)

(長さも中身もバラバラ、日々スマホメモに綴る単なる素材、支離滅裂もご容赦を)

◆決めた後の未来にも責任を持たねば、決める資格も与えられてはならない◆
昨日、年内に受講していた教員免許更新講習の修了確認証明書が届いた。しかし報道によれば、2022年の早い段階で、免許更新制度は「発展的解消」の流れのようで、来年度に関わる更新講習の開講は不透明である。

まあ仮に免許更新制度がそのまま続いたとしても、私が次に更新講習を受けなければならないのは、令和14年くらいになるので、かなり先の話である。

免許更新制度の今回の発表について、一部では「発展的解消」ではなく「実質的廃止」とする見解もある。

私は講習などを受けるのが好きな方(ただし座学好きで、ワークショップは苦手のため、二択ならば前者を選んでしまうが)なので、講習自体にネガティブな印象は持っていない。

だがこの免許更新制度について考えるとき、10年ごとに合計30時間(必修12時間、選択18時間)の講習を受けることについて、どれくらい効果があると予測して制度をスタートさせたのかは、検証されなければならないと感じる。

文科省のホームページで示されている10の質問の中に、「このタイミングで教員免許更新制をやめることとなった理 由はなんですか。なぜ「発展的解消」という言葉を使って いるのでしょうか。「廃止」との違いは何でしょうか。」という質問があり、そこでは次のような二つの回答がなされている。

○ 近年、社会の変化が早まり、非連続化するとともに、オンライン研修の拡大 や平成28年の教育公務員特例法の改正による研修の体系化の進展など教師の研修を取り巻く環境が大きく変化してきました。審議まとめでは、こうした変化を踏まえ、公立学校教師の任命権者に対する、研修受講履歴の記録管理や、 受講の奨励の義務づけなど、「新たな教師の学びの姿」に向けた方策の実施を 求めています。こうした方策の実施により、個別最適な学びや「現場の経験」 を重視した学びなどをより効果的に進められる条件が整うことから、このタイミングで更新制を発展的に解消することを打ち出しました。
○ 一方、教員免許更新制は、教師の学びの機会の拡大、教師の資質能力の向上 に対する大学の関与の拡大、良質な学習コンテンツの形成など、一定の成果を あげてきました。今後、例えば(独)教職員支援機構を活用し、大学の良質な コンテンツを全国の教師が受講できるようにするなど、教員免許更新制の下で 生み出された成果を新たな教師の学びの姿を構築する上で発展的に継承してい くことを念頭に、「発展的解消」という用語を用いています。

このように「発展的解消」の意味や背景が示されているが、もし社会の変化が早まったり、研修を取り巻く環境が変わったりしなければ、もともと決めてスタートしていた「10年ごと30時間の講習」で十分な効果があったのだろうかという疑問が残る。

とりあえず「10年ごと30時間の講習」でスタートしてみたが、効果や反響を勘案して制度の変更をしたいと思っていたところに、「渡りに船」状態で、コロナ禍でのオンライン化、社会の変化・研修環境の変化などが起こったので、それを大義名分にしているのではないかと勘繰ってしまうのは私だけだろうか。

「目的」と「手段」の関係について、当初の想定の検証をせずに、「終わったことだから」と曖昧にし、「過ぎたことよりも、今からどうするか、これからどうするかを考えることが優先されるべきだ」と主張するのは大きな間違いであると私は考える。

なぜなら、その優先させるべき「今から、これから」の効果や意味の妥当性を判断する材料は、「終わったこと、過ぎたこと」として軽視や後回しにしようとしている以前の事実を厳しく検証する所から得られるはずだからである。

それにも関わらず、以前の事実の厳しい検証を軽視・後回しにして、今後を優先しようとすれば、何ら「発展的解消」は期待できない。

「発展的解消」という表現の響きは良いが、「廃止」と発表して批判が高まることを避ける意識で、この表現を使っているとすれば、単なる言葉遊びに成り下がってしまう。以前の事実を真摯に受け止めて、今後を考えてこそ、真の意味で理性的な判断になると私は考える。

だが今回の免許更新制度に限らず、先程述べたような言い分で、以前の検証よりも目先の対応を主張する人を結構見かける。

そういう「表面的な誤魔化し」を続ける限り、「過去に対しても、現在や未来に対しても、誠実ではない」ままなのである。

そのことを1985年当時、西ドイツの大統領だったリヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカーは、「ドイツ終戦40年記念演説」で、次のように述べている。

「過去に目を閉ざすものは結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。」

制度や政策は一度決定されてしまうと、雪国の冬の坂道を転がる雪玉のように、どんどん大きくなり、勢いもついて、後戻りできなくなる。制度や政策の決定者は、決める所までがゴールではないこと、そして決めた後の未来にも責任を持たねば本来は決める資格も与えられてはならないことを自覚してほしいものである。

#ヴァイツゼッカー   #発展的解消
#教員免許更新制   #目的と手段の関係
#免許更新講習   #反省しない

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?