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アンラーン💣リラーン📚ためらわん♫run4

⭐️タビビト ✕ マナビト⭐️
(これまでの虚栄を解きほぐす「unlearn」のため、頭の中を刷新する「relearn」を躊躇なく進めるための記録)

シンガポールと日本の旅は終わったが、私の人生それ自体が旅のようなものであり、職業「旅人(タビビト)」という存在であると同時に、自己研鑽を続ける存在として「学人(マナビト)」なわけである。

つまり、旅も学びも終わることなく続いていることになる。

今日は久しぶりに馴染みのカフェで東京女子大学のオンラインセミナーを受講する。「コロナ時代を哲学する」「多文化共生」「問いを立てるとは」「リベラルアーツ」など興味深いテーマばかりである。

しかし3月に日本から持ってきたPCが不調で、いよいよWi-Fiを見つけられなくなってしまった。7月までは場所によっては繋がることもあったが、シンガポールや日本では全く繋がらなくなってしまい、もはやこれまでということで、日本でPCを購入。

ただ値段をケチってしまったことによる微妙なスペックと、アプリケーションの仕様の違いという二重苦で、早くも使いにくさを感じている。

だが、今まで慣れ親しんだシステムだけにあぐらをかいていては成長はないだろう。これからの社会は不確実性が増していくものなので、そのような社会の中で生きていくためには、変化を冷静に捉える柔軟性も必要である。

この先、古いPCのまま、何十年も作業をすることができるわけではなく、時代とともに変化していく道具と柔軟に向き合うことは大切だろう。

それは決して、地に足をつけず、変化から変化の枝に飛び移ることを全面的に肯定するものではない。

ラピュタのセリフを借りるならば、「”土に根をおろし、風とともに生きよう。種とともに冬を越え、鳥とともに春を歌おう”。どんなに恐ろしい武器を持っても、たくさんの可哀想なロボットを操っても、土から離れては生きられないのよ」である。

やはり基礎基本であったり、理念であったり、物事の大前提をないがしろにしてはいけない。変化や成長ばかりに目を奪われて、足元を疎かにしてはいけない。

変化や成長は、過去を礎として生まれてくるものであり、過去を排除するところにこそ変化や成長があるというような過去に敬意を払わない状態では、健全な変化や成長は期待できないはずである。

SDGsが出てきたのも無関係ではないと思う。一昔前まで、人間は資源や環境など自然的要素が無限なものであり、変化や成長のみに専念しても問題がないと考えていたのかもしれない。しかし現実はそうではなかった。循環とか持続可能性を考えない変化や成長は、地球を破滅に向かわせるものであるということがはっきりしてきたのである。

だからかつての生活様式などを振り返ることが大切であるし、それも含めて、これからの生き方をデザインすることが求められている。つまり、全ての種類の変化・成長が肯定されるものではなく、過去に敬意を払い、それを振り返りながら、これからの変化・成長として望ましいものは何であるかを考えなければならないということである。

根本的な話として、私は変化・成長が苦手なタイプである。それゆえ、とりあえず変化・成長させてみようじゃないかという立場に懐疑的である。ただ変化・成長のすべてを否定したいわけではない。そこで、基礎基本、理念、過去といった要素を大切にしながら、望ましい変化・成長は何であるか精査した上で、慎重に物事を進めていくべきであると考えているわけである。

最近のオンラインセミナーでは「授業や教育の形の変化」として「一方的に教えるわけではない授業・教育」がテーマとされることが増えている。また、「持続可能性」や「多文化共生」のテーマも多い。これらも変化・成長に関わるものである。

しばらく私は、「今までの自分が慣れ親しんできた授業・教育の在り方をどのように変化させるのが望ましいのか」、「今まで自分が慣れ親しんできた生活をどのように変化させるのが望ましいのか」、そして「今まで自分が慣れ親しんできたPC作業をどのように変化させるのが望ましいのか」といった問題の中で葛藤することだろう。

つまり、私は変化・成長という永遠に続く旅のタビビトであり、変化・成長のために永遠に続く学びのマナビトなのである。


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