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我楽多だらけの製哲書

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日常の出来事と哲学を掛け合わせた考察をつれづれなるままに綴っています。先哲の思想は、昔のことだし抽象的で近寄りがたいと思っている人がいるかもしれませんが、実は、現代においても日常…
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2021年10月の記事一覧

★我楽多だらけの製哲書(16)★~街中で配られる冊子とルソー~

昨日は午前中に勤務校で授業をし、午後に業務委託契約している会社との関わりでオンライン会議をした。会議が思ったよりも早く終わったこと、関東のコロナ感染者もかなり落ち着いたこと、そしてタイミングよく以前勤めていた学校の同僚から食事でもどうかという誘いがあったことなどが見事に結びつき、久しぶりに小田急線を利用して、以前住んでいた街の近くまできた。 昨日は良いタイミングの結びつきが、他の様々な事象とも繋がって、良いことが連続しているように思える。昨日は、衆議院総選挙の投開票日前日に

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★我楽多だらけの製哲書(15)★~ジャパン・フェスティバル2020とジョセフ・ナイ~

昨日、散髪に行った。そのとき順番を待っている間に流れてきた曲によってラオスの懐かしい記憶が呼び起こされた。流れてきた曲は秦基博の「ひまわりの約束」であった。積極的に音楽を聴くことがない私は、この曲をラオスのジャパン・フェスティバル2020というイベントで初めて聴いた。 ジャパン・フェスティバル2020というイベントは、ビエンチャンセンターの隣にあるワールドトレードセンター前のスペースに、発表ステージやブースが設けられ、様々な日本文化を紹介するものであった。規模は別として、雰

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★我楽多だらけの製哲書(14)★~最近の板書とマキャヴェリ~

私は授業の際の板書が実際にどのような形で組み立てられたかを記録するようにしている。これは時として、「自己満足」または「自己陶酔」のようなものと捉えられてしまう。確かに全くそのような要素がないわけではないものの、「自戒の念」から記録しているのも事実なのである。 自分の授業ノートの中にある板書計画が、現実の黒板上ではどのように展開されているか、理想と現実との関係を確認するための証拠なのである。もし記録しなければ、私のような怠惰な性格の持ち主は、今回は運悪く上手く展開できなかった

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★我楽多だらけの製哲書(13)★~時計が見せる意地のようなものとフォークナー~

去年のちょうど今頃起こった出来事を思い出した。 「19時まではまだ50分もあるから、もう一仕事できそうだ。」 私はそう思って、来週には持ち越したくない仕事を進めようとしていた。エンドレスで作業できる職場環境に長く身を置いていた私としては、去年の職場環境にまだ慣れていなかった。 これまで勤めてきた職場を振り返ってみると、20時になると形の上では退勤を促す声かけがなされ、それ以降残るためには「勤務時間延長願」を書いて出すことにはなっているものの、その延長願が拒絶されることなく、

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★我楽多だらけの製哲書(12)★~サッカーのユニフォームを着なくなった最近の夏とヴォルテール~

「汎用性」を突き詰めていくとどうなるだろうか。 何かの定義について考えるとき、その言葉の対義語と思われるものからの逆算で、言葉の実態を明らかにすることが少なくない。だがそれは、その言葉と対義語が対等な関係に位置していて、同時に、二律背反のような閉じた世界であることが前提となっているだろう。そうでなければ、他方の否定によって、残りの要素全てが、その言葉の定義となり、説明が成立するという綺麗な図式にはならない。 さて「汎用性」について、その綺麗な図式で定義づけを試みているとどう

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★我楽多だらけの製哲書(11)★~母校へ恩返しをしようと思った矢先に受けた戒めとドラッカー~

今の自分があるのは、自分と関わってくれて支えてくれた全ての人や環境であるのは間違いない。 その中でも、自分のアイデンティティーを形成する上で欠かせないのが、自分の高校時代である。 大学も中学も当然のことながら「母校」なのだが、自分が最も「母校」という言葉で表現したときにしっくりとはまるのは高校なのである。 愛校心についても、やはり高校に対するものが最も強い。 そんな母校に対して抱いていた思いがある。 故郷ならぬ母校に錦を飾るというものである。 高校時代、私は決して突出し

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★我楽多だらけの製哲書(10)★~我楽多を凌駕しつつある毎日投稿とエマーソン~

「オレ、なんか上手くなってきた」 自分は活動を、ある種のルーティンに近づけることで、一回一回の活動開始時に意志を起動させて動き出すという「精神的または質的な行動きっかけ」の難しさを回避している。ある種のルーティンによって、行動はONかOFFかというシンプルなモノに転化し、その都度奮い立たせる意志を特別必要としない「習慣的または量的な行動きっかけ」になるため、あまり悩まずに行動できる可能性が生まれるのである。 ここ最近で、私の中で最も順調にルーティン化され、その繰り返しまた

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★我楽多だらけの製哲書(9)★~北海道と向き合ってこなかった自分とヘッセ~

北海道出身ということが分かると、羨ましいと言われることが少なくない。 社会人になってから、幾度となくそのように言われるので、最近はそういうものなのかなと思えるようになってきた。 ただ自分は北海道愛に欠けていると思っている。ここ10年間を振り返ってみると、そのうち7年間は海外に住んでいたが、それにしても夏・冬・春の長期休みは日本に一時帰国していたので、いくらでも北海道に戻るチャンスがあったにも関わらず、10年間で北海道に戻ったのは、片手で収まる回数だと思う。 「北海道愛に欠けて

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★我楽多だらけの製哲書(8)★~久しぶりの遭遇とベーコン~

在宅勤務が続くようになってから習慣となり、緊急事態宣言が解除された後でも、自分にとって大きな地位を占めているのは、夜の散歩である。しかし、日本での散歩はかつてラオスに住んでいた時に比べると物足りなさを感じてしまう。このような物足りなさについて、ラオスから離れたことによる空虚な気持ちということで、私は勝手に「ラオ・ロス」と呼んでいる。そして、このロスの主要な部分には「あいつら」との関係も影響を与えている。 ラオスに住んでいた1年間は年中暖かいこともあり、毎日夜に散歩をしていた

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★我楽多だらけの製哲書(7)★~SDGsにおける『価値の廃棄の脱却』からの『価値の再生』、さらにそこからの『価値の付加』という取り組みとチェーホフ~

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★我楽多だらけの製哲書(6)★~SNSという福音とガウタマ=シッダールタ~

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