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覚えているのか忘れているのか

意外な人からnoteを読んでいると聞かされて嬉しかった。日によってはこんなもの誰も読んでないだろうと思いながら書くこともあるから「読んでますよ」と接点がそんなにあるわけでもない人から言われるとちゃんと書かないとという気になる。

とはいえ「ちゃんと」の意味はかなり曖昧で、誰にでも好感を持たれることを書こうという意味ではない。もっとペース配分的な感覚での「ちゃんと」なんだけど、まあ、分からない人には分からないままでいいか。

毎日映画を観ていると書いたのだけど、二日前にどの映画を観たのかは覚えていなかったりする。今日は北川景子さん主演の『ファーストラヴ』を観たし、昨日は堺雅人さん主演の『南極料理人』を観た。二日前にも何かしらの映画を観たはずなのだけど、それがどうしてさっぱり思い出せない。

年齢的に近くのものが見えにくくなりつつある中、とうとう俺にも記憶障害が来たのかなどと思いもするのだけど、その実、思い出すという行為に面倒臭さを感じているだけのような気もする。面倒臭いのだ、思い出すという行為そのものが。

ふと子供時代のこと、学生時代のこと、留学時代のこと、会社に勤めていた時のことを振り返ることもあるのだけど、そんな時は大抵具体的なことは思い出せない。べったりと記憶にへばりついて思い出すことに労力を使えばきっと当時の記憶も色鮮やかに蘇るのだろうけど、やはり面倒臭いが勝ってしまう。

そのくせ変なところで記憶力が良いので、「数年前にあのお客さんとこんな話をした」などと奥さんに話すと「そんなこと覚えてるの、気持ちわるっ!」と言われたりもする。どうでもいい情報は覚えていて、大切だったはずの思い出はうろ覚え。

きっと嫌だった記憶も上手に忘れているのだろうからプラマイゼロでよしとしておこう。なんでも覚えている人生がいいのか、なんでも忘れてしまう人生がいいのか、どちらがいいのかは分からないけど、今のところ困ったことは起きていないのでこのままでよいのかもしれない。

今年は昨年以上に文章に力を入れて、たくさん映像を観ようと思っているけど、そんなこともきっと年末にはキレイさっぱり忘れているのだろうと思うと年始に立てる目標などに意味はあるのか?などと思ってしまう。これを読んでいる人で去年の正月に立てた目標を覚えている人がいたら、また会った時に話して欲しい。次の日には忘れていると思うけど。



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