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海老澤剛の生い立ち71-沖ヨガ修道場の感想をちょっとくだけて書きます

前回までは沖ヨガ道場初体験を真面目に振り返りましたが、今回はちょっと極端に、ちょっとくだけて、わたしの本音を書きます。
リラックスバージョンです。

道場に行く前までのわたしのヨガのイメージは、次のようなものでした。

わたしは、ヨガをやると皆んなが「バビル2世」のように、サイコキネシス、テレパシー、超能力を使えるようになり、気持ちが通じ合うので、争いがなくなり、本当の意味で助け合い、沢地の町全体、そして三島市全体が、ゴダイゴの歌う「ガンダーラ」のような理想郷になっているのだろうと思っていました。

そして、その理想郷の中心に、沖ヨガ修道場があり、沖導師のもとに教えを乞う人々が長々と列をなしている、、、
あくまでもイメージですが。

しかし実際には、三島駅に着くと、駅員さんも周りの人たちも普通の人で、何も言わなくても「あなたはこれから沖ヨガ修道場に行くのですね」なんて心が読まれるわけでもなく、普通に沢地に行くバス停を聞いて、忙しそうな人には断わられ、親切な人に教えてもらい、バスに揺られて道場に着くという、不思議な体験は全くない旅路でした。
期待とは違い、逆に安心しました。


沖導師の話は、型破りで豪快でしたが、しっかり地に足がついていて、サイコキネシス、テレパシーのような浮ついた超能力や霊的な類いの話はなく、強いて言えば「神」という言葉が宗教的、精神的でしたが、それさえも、生命というとても身近な言葉で表されていました。

一方で、道場での休憩時間に、沖導師がいかにすごい能力者か、裏話として話しくれる人が何人かいて、「沖先生の念力はすごいよ」とか、「沖先生は会った人の何世も前からの過去世が見えるんだよ」等と教えてくれました。
「信じられないと思うけど」とか「信じなくていいよ」、「余計な話かも知れないけど」等と言われましたが、バビル2世を見て育ったわたしとしては「いえいえ、そういうお話、大好きです!もっと聞かせてください」と言っていろいろ聞かせてもらいました。

周りの人達と比べて劣等感を感じ、周りの人達に少しでも近づけるように始めたヨガですが、沖ヨガ修道場で、いろいろなイメージや概念が壊され、もっともっと新たにヨガのこと、沖正弘氏のことを知りたくなりました。

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