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海老澤剛の生い立ち99-靴屋でアルバイト

高校を卒業後、予備校生になっても、あまり切羽詰まった感覚はなく、朝から夕方までは予備校に通いましたが、ヨガにも行きたいので、夏まではアルバイトをすることにしました。 母が三中井靴店で経理の仕事をしていたので、店員のアルバイトはいらないか聞いてもらい、すんなりOKをもらいました。 寂しいですが、三中井靴店は、今はもうありません。 わたしの生活リズムは、朝9時から3時半ぐらいまでは予備校の授業。夕方5時から8時半まで靴屋でバイト、帰ってから食事して勉強というものでした。 火曜

    • 海老澤剛の生い立ち98-山手國弘さんの瞑想会「現代ヨガの会」初参加

      高校を卒業して、1983年3月に念願の山手國弘さんの瞑想会「現代ヨガの会」に参加させていただきました。 場所は、東京都練馬区の桜台会館でした。 ヨガの仲間に連れられて、それまではテープの音声でしか聞いたことがない山手さんの誘導を、生で受けるのがとても楽しみでした。 会場に着くと、山手さんの奥様が受付をされていて、手書きによる独自の瞑想の資料(印刷物)をいただきました。 ヨガ教室の指導員Aさんからいただいた月刊誌THE MEDITATIONのコピーと合わせて、大切な資料がで

      • 海老澤剛の生い立ち97-沖導師の食べ方「おい、この鶏は美味いなぁー!」

        高校卒業後も、時々三島のヨガ道場に行きました。 そこでも、いろいろ興味深いお話を、聞くことができました。 その中でも、府中で断食道場を経営されていた牧内泰道さんから聞かせていただいたお話は、とても面白く記憶に残っています。 ある日、沖正弘導師が断食道場に訪ねて来られました。 沖導師と言えば玄米菜食ですが、牧内さんは「たまには、肉でも食わせてやれ」と思ったそうです。 そして、道場の敷地で放し飼いにしている鶏を絞めて、塩焼きにして沖導師の前にお出ししました。 鶏肉が出されて、

        • 誓詞(せいし)中村天風先生

          今日一日 怒らず、怖れず、悲しまず、 正直、親切、愉快に、 力と、勇気と、信念を持って 自己の人生に対する責務を果たし、 恒に平和と愛とを失わざる 立派な人間として活きることを、 自分自身の厳かな誓いとする。 (天風誦句集より) 中村天風先生は、直接お会いしたことはありませんが、CDを聞いたり、お弟子さんからお話を聞くと、まずは言葉に力があります。 そして、いつも楽しそうに語られています。 中村天風先生のことも、ヨガを習い始めて少ししてからお名前を聞きました。 結核を患

        海老澤剛の生い立ち99-靴屋でアルバイト

          西田敏行さんのご冥福をお祈りいたします

          遅ればせながら西田敏行さんのご冥福をお祈りいたします。 他界された日に知ったのですが、悲しすぎて言葉が出てきませんでした。 わたしが10歳のころ、NHKで「新・坊っちゃん」という番組が放送されていて、主役の「坊っちゃん」を柴俊夫さん、数学の教師「山嵐」を西田敏行さんが演じていました。 今でも強烈に印象に残っているのは、西田敏行さんの「おっぺけぺ節」です。 子供のわたしでも、彼の発するエネルギーに圧倒され、熱演とはこういうことを言うのだなと思いました。 歌手の松崎しげるさん

          西田敏行さんのご冥福をお祈りいたします

          海老澤剛の生い立ち96-UFO?

          高校3年のときは、夜も軽くジョギングをしていました。 父が仕事で遅いときは、愛犬チャビーの散歩も行きました。 そして、高島台の丘の上から横浜の夜景を見るのが好きでした。 ある日、いつものように、夜景を眺めていると、星がキラキラっと光り、斜めに動き、その後、逆の斜めにスッと動き、稲妻のような形にジグザグに動いて消えました。 UFOかな? 目の錯覚? 後にUFOマニアの人にも聞きましたが、目の錯覚だろうということで話は終わっています。 私はUFOと思っているのですが、そちらの知

          海老澤剛の生い立ち96-UFO?

          海老澤剛の生い立ち95-ヨガ教室で習った調整法「よくなる、よくなる、ありがとさーん」

          ヨガ教室で指導員Aさんから習ったことは、人生の宝物になっていることがたくさんあります。 沖正弘さん、山手國弘さんに逢わせていただいたことはもちろんですが、それ以外にも、いくつか簡単にご紹介させていただくと、 ・体には(鍼灸のツボのように)関連部位がある。例えば目は肝臓の状態を表し、逆に目を軽く指圧することで肝臓に良い刺激を与える。 ・足首を回すことで全身が緩む。 ・皮膚への刺激は脳への刺激。 ・金魚運動で体を揺らすことで、自律神経が整う。 ・笑うことで心が安定し、血行が良

          海老澤剛の生い立ち95-ヨガ教室で習った調整法「よくなる、よくなる、ありがとさーん」

          海老澤剛の生い立ち94-山手國弘さんの「チャクラ」のお話2

          Aさんの冥想の誘導を受けていると、すぐに手のひらがビリビリと微振動し始めました。 その振動が手のひらから腕、肩、胸と広がっていきました。 誘導が終わってからも微振動が続き、教室のみんなで手のひらを向け合うと、さらに振動が強まることがわかりました。 これがチャクラ共鳴だと教わりました。 それまでは、冥想というと、目を閉じて何も考えずに、ただ座っていることとしか思っていなかったのですが、具体的な体験を得ることができ、とても嬉しかったです。 後日、山手國弘さんの資料として、「T

          海老澤剛の生い立ち94-山手國弘さんの「チャクラ」のお話2

          海老澤剛の生い立ち93-山手國弘さんの「チャクラ」のお話1

          高校3年の秋に、横浜のヨガ教室で、わたしにとって人生のポイントとなることがありました。 それは、山手國弘さんのチャクラの解説を聞くことでした。 ヨガ教室で、冥想のクラスがあり、参加させていただきました。そして講師のAさんが、山手國弘さんの話をテープに録ったので、皆で聞きましょうと言ってくださいました。 ここで、山手國弘さんのお話を紹介する前に、わたしが「チャクラ」を知った経緯をお話させていただきます。 ヨガを習って1年経った頃、まずは沖導師の書籍を読ませていただきました

          海老澤剛の生い立ち93-山手國弘さんの「チャクラ」のお話1

          海老澤剛の生い立ち92-沖正弘導師、愛情をもって接する

          話が少し前後しますが、わたしが高校3年の秋に、沖正弘導師が横浜に来て講演されました。 場所はなんとわたしが通っているヨガ教室でした。 これは行かなければと思いました。 沖導師は、よく全国に沖ヨガ教室を!と言われていましたので、横浜に教室が出来たことが嬉しそうでした。 沖導師からは毎回びっくりするお話を聞かせていただきましたが、その時も、リアルタイムで進行中の奇跡的なお話を聞くことができました。 以前にも、アメブロに書かせていただいたので、そこからコピペします。 以下アメ

          海老澤剛の生い立ち92-沖正弘導師、愛情をもって接する

          9月15日敬老の日に母に会いに行ってきました。わたしも、もうすぐ60なので敬われる側になるはずですが、、、

          9月15日敬老の日に母に会いに行ってきました。わたしも、もうすぐ60なので敬われる側になるはずですが、、、

          海老澤剛の生い立ち91-共通一次試験

          今は大学入学共通テストと呼ばれていますが、わたしが高校生のころは、「共通一次試験」と言われていました。 5教科それぞれ200点で、トータルで1000点満点です。 標準レベルの問題なので、普段から勉強している人は800点ぐらいは楽に取れるのでしょうが、あまり勉強しないわたしは、模試を受けると半分より少し良いぐらいでした。 そして、1月14日だったと思います。本番を迎えました。 わたしはここでも、食べないとどうなるか実験しました。 前にも書きましたが11月中旬から自己流で玄米

          海老澤剛の生い立ち91-共通一次試験

          海老澤剛の生い立ち90-『ヨガの喜び』②

          前回はヨガの10段階目「歓喜法悦(プラサード)」をご紹介させていただきました。 他にもいろいろ興味深い内容がありました。 一つは沖正弘導師のヨガとの出会いが書かれていました。 8歳のときに、ビルマの独立の父オッタマ僧正が沖家に来られ、初めて「ヨガ」という言葉を聞きます。 その後、オッタマ僧正に紹介状を書いてもらい、インド独立の父ガンジーに会いに行き、ガンジーアシュラムでヨガの修行をされました。 沖導師がガンジー聖師から学ばれだことは、講演会で直接聞いたこともあります。 本

          海老澤剛の生い立ち90-『ヨガの喜び』②

          海老澤剛の生い立ち89-高校生の頃の愛読書『ヨガの喜び』①

          沖正弘導師の著書で初めて読んだ本は『ヨガ入門』でした。 タイトルの通り、ヨガの入門書で、ヨガのことを知らない主人公が、インドのノナワラにあるヨガ研究所でヨガを体験する設定でストーリーが書かれています。 その後、わたしがヨガ教室に通い始めたころに、同じく沖正弘導師の著書『ヨガの喜び』を購入して読み始めました。 そして、この本が、わたしのヨガのベースになりました。 特に、ヨガには10段階あり、その10段階目だけがヨガであると言われているところが、印象的でした。 ヨガの10段階

          海老澤剛の生い立ち89-高校生の頃の愛読書『ヨガの喜び』①

          海老澤剛の生い立ち88-高校3年のときの生活パターン

          部活を引退した後の生活は、こんな感じでした。 朝5時半に起床。 1時間ジョギング。 中学を卒業して高校に入るまで、毎朝N男と走ったコースを自分のペースで走りました。 帰ってからは、水浴び、ヨガのアサナ、軽く冥想した後、登校します。 下校時は、ほぼ毎日、高校から徒歩10分ぐらいの所に住んでいるK藤くんの家に寄り、数人でいろいろ話をしてから帰っていました。 話す内容は、高3なので受験と言いたい所ですが、やはり世間話が中心で、学校のこと、ファッションのこと、音楽のこと、マンガ

          海老澤剛の生い立ち88-高校3年のときの生活パターン

          お盆休み中に母に会ってきました。 2月下旬に緊急入院しましたが 今は元気です。

          お盆休み中に母に会ってきました。 2月下旬に緊急入院しましたが 今は元気です。