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海老澤剛の生い立ち66-沖ヨガ修道場初体験の感想1

昭和56年12月沖ヨガ修道場の生活を数日間ですが体験させていただきました。
それまでにわたしの抱いていたヨガのイメージとは違うもので、体験できて良かったと思いました。

以下に具体的な感想を書いていきます。
高校生の当時の感想と、現在 60歳手前で改めて思うことを書き綴りたいと思います。

●必ず誓いを唱和してから実行する
道場では、日々行われる行法を行う前に、必ず合掌しながら「誓い」を全員で唱和します。
覚えているだけで、以下の誓いがあります。
・目覚めの誓い
・清掃行法の誓い
・浄化行法の誓い
・強化行法の誓い
・栄養摂取の誓い
・ねむりの誓い

この他に、
・冥想行法の誓い
・矯正行法の誓い
・作業行法の誓い
・求道の誓い

などがありました。

皆で唱和してから実行すろことで、有言実行(宣言して行動する)の習慣が身につくと思いました。

ヨガは約80の部門があり、その一つに「マントラヨガ」というものがあります。
マントラを唱えて神と一体になるヨガです。
仏教の念仏はマントラヨガがベースになっていると思います。
「誓い」を唱和するのは、まさにマントラヨガの実践です。


●「誓い」で印象に残っていること

栄養摂取の誓い
食事の前に唱和します。

「栄養摂取の誓い」に「自らの内在智の教えに従って」という言葉があります。
私たちは、外から学びますが、元々、内在智を持っています。
沖導師の講義の中で次の話がありました。

断食を終えてから、俺に「私はこれから何を食べたら良いのでしょう?」と聞いてくるおかしな奴がいる。
自分に合った食べ物は自分が一番良く知っている

わたしは大病はしたことはありませんが、ヨガを始めてから玄米菜食を学び、何をどう食べるのが体に良いのか知識として知りました。
断食した人は、断食中は沖導師が一人ひとりにその人に合った酵素を配合してくれたと聞きます。
なので、断食が終わった後にも、自分に合う食べ物は何なのか沖導師に聞きたくなる気持ちは良くわかります。
しかし、沖導師は「自分自身が一番良く知っている」と言われます。
そして、ポイントは呼吸だと言われていました。
食べた直後に、呼吸が深くなるものが、その人に合った食べ物です。
これが栄養摂取の誓いにある「体自身に与えられている智慧」であり「内在智」です。

現在59歳のわたしも、この食のテーマとは対面し続けています。
体が欲する食べ物は、主に内臓から要求されるもので、体にとって良いものですが、頭や舌が要求するものと一致しないときがあります。
また、体は環境によって変わるので、住んでいる場所によって、体に合うものは変わります。
住んでいる場所で獲れるものが、そのときの自分に合うものです。

高校生の頃は、運動した後はジュースを飲んだり、パンやお菓子を食べて一息つくのが楽しみでしたので、それが頭や舌の癖になっていました。
おそらく道場に長期間滞在すれば、ただの癖だったことに気づいたのでしょうが、数日間の滞在では無理でした。

沖ヨガ修道場での食事は、
朝は味噌汁1杯、昼は玄米と野菜のおかず、夜は蕎麦です。
おやつはなく、ジュースやお菓子が恋しくなりました。
食べものに対するわたしの感想は、薄味で量は少ない印象でした。

ただ、この後も春休みや夏休みに道場に行くのですが、行くたびに味が濃くなり、量が増えた気がしました。
これは、実際に味付けや量が変わったのかも知れませんが、わたしの体が変化して感覚が変わった可能性があります。
舌が敏感になり、素材そのものの旨味をきちんと感じられるようになったのだと思います。

玄米菜食のイメージです

その後わたしは体から要求(体の声)を聞くことで、心身共に安定することを経験しています。
また、厳格に体に良いと言われるものを食べ続けるのではなく、適度に頭や舌の欲求も満たしてあげるのが大切だと思っています。
体の変化と共に、またこの考えも変わっていくと思います。

長くなりましたので、続きは次回に書かせていただきます。

栄養摂取の誓い
栄養は自分にとって良いものを取り入れ、自分に悪いものを入れず、不要なものは出し切ることと知りました。自分にとって良いものと悪いものを知っているのは、体自身に与えられている智慧であると知りました。
今からの私は自分の内在智の教えに従って、自分に適し自分に必要なものを取り入れ、不要で不適なものは出し切るよう努めます。


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