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海老澤剛の生い立ち74-バスケット部 T居先生

前にも書きましたが、高校のバスケット部には中学のときからの友人N男から誘われてなんとなく入ってしまった感じで、1年のときに何度も辞めようと思いました。
しかし、バスケ部のメンバーがとにかく個性的で面白く、バスケットそのものより、このメンバーに会うのが楽しくて部活を続けていました。

部活の顧問の先生はT居先生とO島先生。
実際には T居先生が指導を任されていました。
T居先生は、横浜市立東高校1期生です。
1500m持久走の東高校1位の記録を持ち、18期の我々にも破ることはできませんでした。
現役のときのポジションは知りませんが、おそらくポイントガードだったと思います。
脚力とボールハンドリングの力が抜群で、誰もT居先生のドリブルを止めることはできませんでした。
T居先生から
「バスケットの三原則は、
ビジョン、ポジション、コミュニケーション
と教わりました。
そして、わたしたちに対して、「お前らのプレーはビジョンがない」とよく言われました。

そのせいか、後にマジックジョンソンのプレーを見たときに、彼の視野(ビジョン)の広さに衝撃を受け、わたしはマジック・ジョンソンの動画や写真のコレクターになったのでした。

T居先生は、わたしが高校に入学する1年前には、女子を関東大会に出場させる高い指導力を持たれていました。

我々の代では、オールコートでのゾーンディフェンス(2-2-1)を指導していただいたことが印象に残っています。

自分たちの試合のあとに、川崎の体育館で行われていた(確か社会人の)試合を観に連れて行ってくれたり、3年の最後の試合が終わった時は、3年生の部員全員を自宅に迎い入れてくれたりと、楽しい思い出をいろいろ作っていただきました。

わたしが卒業してからですが、海外(バンクーバーだったと思います)で合宿したり、ワンランク上のバスケットを目指しておられたと思います。

わたし自身、活躍はできませんでしたが、T居先生の元で、バスケ部の先輩、後輩、同期のメンバーと過ごせたことは、わたしの良い思い出となりました。
実際、これは思い出話を良い形でまとめているのではなく、本当にわたしの人生にとても良い影響を与えてくれました。ですので、バスケット部のメンバーにも、顧問の先生方にも、コーチやOBの方々にも感謝しています。

詳しくは、大学生、社会人になってからの自分史に書きたいと思います。

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