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海老澤剛の生い立ち62-沖ヨガ修道場初日に生い立ちを書く

冬休みに入ってすぐに、わたしは三島市沢地にあるヨガ道場に向かいました。
国鉄(当時)の東海道線で横浜から三島へ、そして三島駅からバスで終点「沢地」まで行きます。

バスを降りると白い建物があり、看板には「求道ぐどう実行会密教ヨガ修道場」と書かれていました。
道場のそばには川が流れていてい、サラサラと音を立てていました。

呼び鈴を鳴らし、挨拶をして玄関に入りました。
まず入所するにあたり注意事項が書かれた文書を読みます。
10項目以上あったような覚えがありますが、一番印象的だったのは「逃亡者」という言葉でした。
確か、「無断で道場から市街地に逃げた者は、逃亡者と見なす」というような文が書かれていました。
高校の担任の先生の「殺されてくるなよ」という言葉が頭をよぎりました。

一通り事務的な手続きが終わり、「さあ、いよいよ道場の人たちに合流だ!」と思ったのですが、原稿用紙を数枚渡され、「生い立ちを書いてください」と言われました。
生まれてから16歳の現在まで、自分の歴史を振り返る機会を与えていただきました。

実は、noteに生い立ちを書こうと思ったのは、上森社長の勧めもありましたが、ヨガ道場初日に生い立ちを書いたことで、良いことがいろいろあったからです。
自分が歩んできた歴史を客観的に振り返り、思い出が甦り、改めて感謝がわいたからです。
当時は高校生でしたが、59歳で改めて生い立ちを書くことで、当時とは違う新たな発見ができるような気がしました。

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