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海老澤剛の生い立ち82-高校バスケット部のOBたち

●M山氏
バスケット部の指導は、顧問にT居先生、そしてコーチはM山さんがおられました。
M山さんも東高校バスケット部のOBです。
わたしたちの代は、先生や先輩を「〜〜さん」ではなく「〜〜氏」と呼ぶのが流行っていました。
M山さんは、「M山氏」と呼ばれていました。

ちなみに、同期では小田●くんが「オタ氏」と呼ばれ、わたしは「エビちゃん」以外に「エビ氏」と呼ばれることもありました。
その変形で後に「ペプシ」と呼ばれました。
エビ氏→ヘビ氏→ペプシとなったようです。
どうでもいい話ですね。

話をコーチに戻します。
先生はいろいろお忙しいので、T居先生の代わりに、M山氏が指導してくれました。
練習メニューを考えたり、ゲーム中の反省点を指摘してくれたり、試合にも、もちろん同行してくれました。
先生よりは年齢が近いので、親近感があり、アドバイスも素直に聞けました。
今思うとM山氏からは無理強いされることがなく、できるだけ自発的に行動するように指導してくれたと思います。
一人一人をしっかり見て、あれこれうるさいことは言わず、しかし的確なアドバイスを与えてくださいました。
M山さん、ご指導くださり、ありがとうございました。

M山氏は専属のコーチでしたが、他にも時々練習や試合に来てくれるOBの方々がおられました。

●K山さん
K山さんは、私より5〜6cmぐらい背が高い方で、多分170cmには届かなかったと思います。
しかし、鉄アレーを使ったトレーニングを重ね、鋼の筋肉を作り上げておられました。
小柄で筋肉質、ブルースリーを彷彿させる方でした。

わたしが3年になったある日、K山さんがわたしに声をかけてくれました。
「お前は、まだまだスピードが足りない」と言われました。
特に1対1をもっと強くならなければいけないと言われました。
1年生のときに、同じ中学を卒業したI先輩からも「1対1を強くしろ」と教わりましたが、K山さんはさらに詳しく私を指導してくれました。

K山さんからは、踏み出す第一歩の大切さを教えてくれました。相手の位置をよく見て、素早く右足を踏み出す。そのスピード、タイミングを教え込まれました。
または、第一歩を右に踏み出して、すぐにその足を左にステップするパターンも教わりました。
K山さんから、この2つのパターンを極めろと言われました。
そして、ステップを早めるためには、もっと脚力をつけろ。脚力を高めるために、鉄アレーを両手に持ち、片足ケンケンで階段を上がるように言われました。
ここまで具体的に言われたら、やるしかありません。
私は毎晩家の近くの公園の手前の階段に行き、4kgの鉄アレーを両手に持ち、片足のケンケンで階段を上がりました。
片足で5本、両足で10本、坂道ケンケンのトレーニングを行いました。
体育館では、踏み出しの一歩と、一歩目を踏み出してすぐに逆側にステップする練習を繰り返し行いました。
数日でその効果が表れました。
私より動きが速い後輩たちと1対1を行うと、あっさりと抜けるようになりました。
日々ふくらはぎが太くなっていきました。
踏み出しの1歩目の大切さをK山さんは伝えてくださいました。
K山さん、ありがとうございます。



●T内さん
わたしの4つか5つ上の先輩で、身長が私とほぼ同じのOBがおられました。
身長は低いのですが、ボールコントロールに長け、スピードがあるので、まるでサッカーのマラドーナのように5人抜きを何度も行う人でした。
運動量もスピードも半端なく、相手チームである私たちの代もT内さん一人にかき回されました。
T内さんが現役(高校生)の頃は練習が終わると日進堂(パン屋さん)で毎日2リットルのジュースを飲み干していたという話を聞きました。
あの運動量ならあり得ると思いました。
T内さんは、わたしたちの練習に付き合ってくれてたころは小柄でスマートでしたが、後にトライアスロンを行い、筋トレもかなり行われたようで、バスケット部の同窓会で会ったときは、まさにマラドーナのように、身長は低いのですが、筋肉モリモリになっていました。
何をやるにも最大限に努力する方なのですね。
顔つきもややワイルドになっていました。

ちなみに、私たちの代のポイントゲッターINBEも、本名はT内で同じ名前です。
T内という名前の人は、バスケが上手いのかなぁなんて思っていました。

私たちはOBの先輩にも恵まれていました。
他にも、同じ中学のOBのT置さん、S木さん、いつも声をかけてくださり、ありがとうございました。

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