海老澤剛の生い立ち86-2日間の絶食を体験
高校3年の夏休みに、わたしは断食(絶食)の経験をすることにしました。
「水とわたし1」でも書きましたが、ヨガで断食について学び、人間の腸には何年も腸壁にこびり着いた宿便があることを知りました。
この宿便が血液を汚し、栄養の吸収を妨げ、体のパフォーマンスを落とす原因となっています。
宿便を取ると、体が軽くなり、頭脳明晰となり、直感も冴えます。難病が治ることもあります。
わたしは断食をして宿便を取りたいと思いました。
宿便を取るには1週間以上、できれば20日ぐらい断食すると良いと聞きました。
しかし、いきなり10日や20日の断食はわたしにはできそうにないので、道場の先生と相談して、まずは2日間だけ食を抜く体験をすることにしました。
沖ヨガでは、食を取らないことを、「無食」「絶食」「断食」の3つの種類に分けています。
「無食」はただ食を抜くだけ。
「絶食」は、食を抜きながら普段と同じ、または普段以上に体を動かす。
「断食」は食だけでなく、心の悪癖を断つことと定義されています。
✴︎当時は「不食」という概念はありませんでした。
わたしが体験したのは、食を抜きながら体を動かすという「絶食」でした。
初日は、空腹を感じましたが、普通に動けました。むしろ体が軽く、動きやすさを感じました。
2日目は空腹感が倍増し、だるさを感じました。
それでも、みんなと一緒に体を動かしているときは、スイスイ動いてくれました。
2日では宿便は出ませんが、体がとても柔らかくなることと、声の音域が広くなる体験ができました。
そして、食べなくても生きていけるという経験ができました。そして食べることの楽しさ、ありがたさを今まで以上に理解しました。
長期間食を抜いたあとは、復食と言って、初日は重湯、2日目は少量のおかゆというように、徐々に量を増やしていくのですが、わたしが食を抜いたのは2日だけだったので、道場で出てくる食事を他の人たちと一緒にいただきました。
食を摂ることで、生きる力が湧き上がることを実感しました。
だった2日ですが、内臓を休ませていたので、驚かせないようにできるだけ咀嚼するようにしました。
咀嚼することで、自然と食べ物に対して感謝が湧きました。
釈迦は2ヶ月、イエスは40日の断食を行ったと聞きました。
わたしは何日やったらいいのかな、なんて思いました。
今回の道場の滞在では、他の断食中の人たちと一緒に、断食に関する講義を受けることができました。
その内容は、次回書かせていただきます。
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