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海老澤剛の生い立ち14-人生の師と呼べる人との出会い 藤井園長先生

小学校4年生の時、親から「お前もそろそろ塾に行くか」と言われました。
剣道の時もそうですが、小学生の頃は、私は自分から習い事をしたいと言った事はなく、親から言われるとイエスと答えていました。

そして、わたしが通った幼稚園の園長先生が塾をやっているので、そこに通うことになりました。
園長先生の名前は、藤井先生と言います。

数年ぶりに行く幼稚園は、机も椅子も小さく、こんなに小さい椅子に座っていたのかと思いました。

塾の初日の授業は算数でしたが、学校で習っている内容よりずっと先に進んでいて、前半は全くついていけませんでした。
しかし、別室で一人じっくりとテキストを読んでいたら理解でき、そのことを園長先生に伝えたら、「頭がいいんだなぁ」と褒めてくれました。
私は褒められたことが嬉しくて、塾行くことが楽しくなりました。

4年生の時は習う科目は国語と算数でした。
私の学校の成績はABC3段階で図工はAでしたが、それ以外は全てBでした。おそらくCに近いBだったと思います。

塾で内容を先取りするので、学校の授業が復習のようになり、学力は劣っていた方の私が、少しずつテストで良い点を取るようになりました。
私はちょっとずるしているような気もしましたが、予習という立派な学習法だと言われて、後ろめたさはなくなりました。

塾に行って、算数の力をどんどんつけていき、5年生の時、担任の先生から「算数はあなたが1番」と言われました。
短期間でかなり学力がついたと思います。

藤井先生の話はとにかく面白かったです。
大正生まれで、関東大震災、戦争第二次世界大戦を経験し、授業が6割、先生の体験談が4割という時間配分でした。
話を聞いていると、自分が体験していない戦争中の様子がまざまざと目に浮かびました。
そして、日本人がいかに精神性が高いか、いかに優れていたか、賢いか、ご自身の体験とともに聞かせてくれました。
第二次大戦も、ソ連の裏切りがなければ勝っていたと繰り返し言われていました。

藤井先生は文武両道で、マラソンの選手でもありました。そして、学生時代はバスケットボールの選手でロングシュートの練習をたくさんして高得点を取っていたそうです。
また藤井先生は自然派でもあり、「衣類は化学繊維はダメだ」「綿の衣類を着ろ」「水は井戸水が良い」等とよく言われました。
後に私がヨガを習いたくなる心の土台を作ってくれたと思います。

藤井先生は「今の日本人は粘りがなくなった」「君たちは粘り強くなれ」と何度も言われました。

わたしは、藤井先生の話に共感し、「そうなんだ!そうなんだ!」と興奮しながら聞いていました。
後々のわたしの生き方に大きな影響を与えてくれました。
今でも感謝しています。

昭和46年卒園式のときの藤井園長先生


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