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毎週一帖源氏物語 第八週 花宴

 「花の宴」という音の響きを聞くと、どうしても「荒城の月」を連想してしまう。しかし、土井晩翠の詞に出て来る「春高楼の花の宴」と源氏物語の花宴巻とは、何の関係もなさそうだ。

花宴巻のあらすじ

 「きさらぎの二十日あまり」(49頁)に桜の宴が催され、源氏は詩作でも舞でも称賛を集める。頭中将の舞も素晴らしく、帝から御衣を下賜される。
 酔い心地の源氏が内裏・弘徽殿の細殿を歩いていると、美しい声で「朧月夜に似るものぞなき」(52頁)と吟じている女がいたため、源氏はその袖を捉えて契りを結ぶ。源氏は相手の素性を知らぬまま、扇を取り交わす。弘徽殿女御の妹のうちの誰かであろう。
 「弥生の二十余日」(58頁)、右大臣が藤の宴を催し、源氏を招待する。扇にことよせた源氏の歌に答えたのは、四月に春宮への入内が決まっている六の君であった。

花の季節

 帝が主催する桜の宴は、旧暦二月下旬に開かれている。2024年に当てはめてみれば、新暦三月三十日が旧暦二月二十一日に相当する。旧暦と新暦の対応は年によって違うことを考えても、また千年前の桜の品種はソメイヨシノではないことをふまえても、桜が見頃を迎えるのはそのくらいだろうという気はする。「きさらぎの望月の頃」という西行の有名な歌も思い出される。
 藤が桜よりひと月遅いというのも、妥当なところだろう。右大臣家での藤の宴の日には、「おくれて咲く桜二木(ふたき)」(59頁)もあった。若紫巻で源氏が北山に出向いたのは「三月の晦日(つごもり)」(第一分冊、183頁)で、「京の花ざかりはみな過ぎにけり。山の桜はまださかりにて」(同)という状況だった。

「おとうと」だが「妹」

 源氏は契った相手を弘徽殿女御の妹のうちの誰かだと推測する。その部分に相当する原文は「女御の御おとうとたちにこそはあらめ」(54頁)である。「おとうと」だから「弟」かと言うと、そういうわけではない。先週の記事で「平安時代の「妹」は年下の女きょうだいを指すとは限らない」と記したが、「おとうと」は「男女にかかわらず、兄弟・姉妹のうち年下の人」(『角川必携古語辞典全訳版』項目「おとうと」)を意味する。ややこしい。

敵対勢力の姫との危険な関係

 朧月夜の姫君は、右大臣家の六女であり、弘徽殿女御の妹である。そして、春宮(弘徽殿女御が産んだ皇子だ)に入内する予定になっている。一方の源氏は、左大臣家の娘を正室としており、弘徽殿女御が憎んだ桐壺更衣の子である。源氏の置かれた立場からすると、この六の君とは深い仲になるべきではない。源氏もその辺りの事情は理解しているのだが、それで思い止まるような人ではない。やめておけばよかったのにという気分が、語り口調にも表れている。
 それにしても、この入内の計画は無茶ではないのだろうか。春宮は叔母(母の妹)と結婚しよう(させられよう)としているのだ。狭い範囲で縁戚関係を結ぶのが常態化していたとはいえ、三親等は近すぎないか。

歌いながら

 源氏が六の君と出会ったきっかけは、この姫が「朧月夜に似るものぞなき」と「うち誦(ず)じて」(52頁)やって来たからである。女房たちが務めを終えて寝ている(「人は皆寝たるべし」(同))遅い時間帯に、声に出して歌を口ずさんでいるのだ。興趣深い景色を眺めると、つい声が出てしまうのだろうか。こういう平安貴族の感性が、なかなかつかめない。

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