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毎週一帖源氏物語 第三週 空蝉

 『源氏物語』は巻によって分量の差が激しい。空蝉巻は前後の帚木巻や夕顔巻に比べて短く、あっという間に読み終わった。

空蝉巻のあらすじ

 伊予介の後妻が自分を避けるので、源氏はやるせない思いにとらわれている。ある夏の夕方、源氏は小君の手引きで紀伊守の邸に足を運ぶ。そこには伊予介の娘もいて、年のあまり変わらない義母と碁を打っている。源氏はその様子を、小君が入って行った南の格子から覗き見る。「この入りつる格子はまだささねば、隙(ひま)見ゆるに、寄りて西ざまに見通したまへば」(107頁)という具合に、源氏の視線は建物の東南角から西北(あるいは西北西)に向かっている。小柄な伊予介の後妻(「頭(かしら)つきほそやかに、ちひさき人」(同))は、後ろ姿しか見えない。一方、もう一人の女は真正面から見える。「今一人は、東向(ひむがしむ)きにて、残るところなく見ゆ」(108頁)。「はなやかなる容貌(かたち)」(同)ではあるが、「すこし品(しな)おくれたり」(109頁)とあるように、やや品位に欠ける。
 日が暮れて後、源氏は寝所に忍び込む。ところが、お目当ての女は気配を察し、逃げ出してしまう。そうとも知らず、源氏は残された女に近づき、自分の勘違いに気がつく。しかし、今さら人違いだとも言えず、源氏はこの女と契る。それでも気持ちは逃げ去った女のほうに向いていて、せめてもと「かの脱ぎすべしたると見ゆる薄衣(うすごろも)を取りて出でたまひぬ」(114頁)。自邸に戻った源氏はまんじりともせず、相手を空蝉(蝉のぬけがら)になぞらえた和歌を畳紙に書きつけて送る。女も「この御畳紙(たたうがみ)の片つ方に」(118頁)和歌をしたためる。

登場人物の名前

 原文で読み始めたときからずっと気になっているのは、登場人物の名前をどう記すかという問題である。
 帚木巻の後半から空蝉巻にかけて、源氏に心惹かれながらも、意志を強く持ってなびかない女に焦点が当てられる。この女のことを、何と呼ぶのが適切なのだろうか。一般的には「空蝉」と呼ぶが、「帚木」と呼んでも差し支えなさそうだ。それぞれの巻の最終盤で詠まれる和歌にちなむが、いずれにしても「逃げ去る女」の比喩である。帚木は「箒(ほうき)を逆さにしたような木で、遠くからは見えるが近づくと見えなくなるという」(100頁、頭注一)し、「「うつせみ」は、元来、この世に生きている身体の意であるが、『万葉集』に「空蝉」「虚蝉」の宛字が用いられたことから、蝉の意になった」(116頁、頭注十三)とある。どちらで呼ぶべきかという疑問には、校注者が回答を用意してくれている。

作者自身、この人を、帚木巻末の歌によって帚木と呼んだ例もあるが(関屋)、夕顔の巻以下に空蝉と呼ぶ呼び名が固定しており、後の読者も、この人をこの名で呼ぶことになった。

空蝉解題、104頁

 私としては、原文にない表記はなるべく使いたくない。かといって、その方針にとらわれていると、分かりにくくなる。あらすじでは原文を外れないようにしつつ、それ以外の箇所では通称に頼るということにしようと思う。読むときは、作者がどういう呼び方をしているかに注意を払い続けたい。

切れ目はここでよいのか?

 帚木巻の終わりと空蝉巻の初めは、場面がつながっている。なぜここで切れ目を入れたのか、不思議に思われる。「雨夜の品定め」が決着したところ(「いづかたにより果つともなく、果て果てはあやしきことどもになりて、あかしたまひつ」(80頁))で帚木巻を終えるという選択肢もありえたのではないか。その段階では女を帚木になぞらえた歌がまだ詠まれていないので、帚木巻をその名前で呼べなくなってしまうということはあるかもしれない。だが、それは取って付けたような説明だ。他には「帚木巻を面白くするために、空蝉の話を頭出しした」というくらいしか思いつけないが、もっと本質的な理由があるにちがいない。
 切れ目にこと寄せて言うと、空蝉巻が和歌で終わっているのは唐突に感じられる。「うつせみの羽(は)に置く露の木隠(こがく)れて忍び忍びに濡るる袖(そで)かな」(118頁)で、ぶつっと切れる。普通はその後にひとことふたことあるものではないか。空蝉が詠んだこの歌が源氏のもとに届いたかどうかも、私には分からない。畳紙は下書き用紙のようなものだ。空蝉は、源氏の歌が書かれた畳紙の片隅に、自分の和歌を書きつけている。源氏と空蝉の応答二首が書かれた頼りなげな紙。それは再び源氏に渡されたのか、それとも空蝉の手許に残されているのか。空蝉巻は明示的には教えてくれない。当時の常識としては、どうなのだろうか。

東西南北

 今さらながら、方角への言及が多いことに驚かされる。新潮日本古典集成では建物の間取りが頭注に図示されているので、源氏がどこに立って中の様子を覗いているかを把握できる。現場の様子を空間的に想像しないと、なかなか理解しづらい。月明かりが差す向きなども、いずれ後続の巻できっと意味を持つはずだ。


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