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毎週一帖源氏物語 第二十九週 行幸

 忙しさのピークが過ぎつつある。何とか乗り切れたか。

行幸巻のあらすじ

 冬十二月、帝は大原野へ鷹狩りの行幸にお出ましになる。重臣も同行するが、太政大臣の源氏は六条の院にとどまり、酒肴を届けるだけにする。西の対の姫君は行幸の車列を見物し、帝の見目麗しさに感嘆する。その一方で、自分に求婚している兵部卿の宮や右大将は見劣りがする。尚侍として出仕することをしばらく前から源氏に勧められていて、少し心が動く。
 出仕させるのであれば、まずは裳着(もぎ)の儀を執り行わなければならない。源氏は二月にと決めて、これを機に内大臣に事の真相を伝えようと考え、腰結(こしゆひ)の役を依頼する。ところが、内大臣は大宮の病気を理由にその申し出を断る。そこで源氏は、大宮を見舞いに三条に出向き、内大臣に対面して伝えたいことがあると告げる。大宮は孫二人の仲に関することだと思っていたが、源氏の口から語られたのは思いも寄らぬことである。源氏が引き取っていた姫君に尚侍出仕の帝のご内意があったので、本人に年齢を確認したところ、内大臣が捜し求めていた人であることが分かったのだという。源氏は大宮に口止めしたうえで、内大臣を呼んでもらう。こうして、源氏と内大臣の対面が実現する。この頃は顔を合わせる機会もなく、すきま風の吹く間柄ではあったが、いざ会ってみると懐かしさに話も弾む。「そのついでに、ほのめかし出でたまひてけり」(165頁)。事情を明かされた内大臣は感極まり、涙に暮れる。六条殿も酔って泣く。裳着の腰結についても、約束が交わされる。日取りは二月十六日と決められる。
 裳着の儀に合わせて、三条の大宮、中宮、六条の院の方々からお祝いが届く。二条の東の院に住まう常陸宮の御方からは、祝いの席には不似合いの品が贈られて、源氏の失笑を買う。
 内大臣は娘に会いたいと気が急いていたが、ようやくその時が来る。源氏が気を利かせて、通常の裳着の儀よりは御簾の中の席も立派にしつらえ、燈火もやや明るめにしている。腰結役の内大臣がなかなか出て来ないので、事情を知らない人々は不思議に思う。中将や弁の少将などだけがそれとなく知らされており、思いを打ち明けずにいてよかったと安堵している。源氏は、噂が一気に広まることのないよう、釘を刺す。
 そのように隠してはいたが、自然と話は世間に漏れる。伝え聞いた近江の君は、自分も尚侍になりたいと駄々をこねて、女御や兄弟を困らせ、笑いものになる。

「みゆき」と読むか「ぎやうがう」と読むか

 この巻名は「みゆき」と読む。これは帝に対する源氏の返歌や玉鬘と源氏が交わした歌に「みゆき」という語句が含まれているからである。歌では「行幸」と「み雪」が掛けられていて、他の読み方はありえない。それに対して、地の文では「ぎやうがう」とルビが振られることが多い(「その師走に、大原野の行幸(ぎやうがう)とて」(147頁))が、「みゆき」と読ませる例もある(「行幸(みゆき)に劣らずよそほしく」(154頁))。

裳着

 平安貴族の女子の成人式に当たるのが裳着(もぎ)である。この巻で玉鬘の裳着の儀が執り行われる。玉鬘はすでに二十歳を超えており、ちょっと遅いのではなかろうか。先週(6月30日)放送された「光る君へ」では、道長の娘の彰子がこの儀式を経験している。腰結を務めたのは伯母の詮子(道長の姉、一条院の母)だが、この役は男性が受け持つことが多かったらしい。その意味では玉鬘の裳着で内大臣が腰結となるのは自然に見えるが、それは玉鬘が源氏の娘という建前に立っているからである。

ついに明かされる真相、そして親子対面

 夕顔の遺児である玉鬘を引き取った当初から、源氏は自分の娘であると世間に思わせていた。しかし、いつまでもそれで通すことはできない。源氏はさまざまに思い悩んでいたが、尚侍就任の話が持ち上がったことが後押しとなり、内大臣に真相を明かすことを決意する。ところが、直接会って話そうにも、その機会を作れない。そこで内大臣の母である大宮を見舞って、まずは大宮に事情を告げるのだ。このような展開にすることによって、源氏が都合の悪いことをどのようにごまかしたかを詳しく記すとともに、内大臣との対面ではそういうくだくだしい話を省略して、内大臣の反応に焦点を絞ることができる。よく考えられた構成である。
 玉鬘は、大原野行幸の折に実父を垣間見ている。一方の内大臣は、裳着の儀で初めて娘をほのかに見る。「いみじうゆかしう思ひきこえたまへど」(173頁)という一文に付された頭注によると、「こういう場合、姫君は扇で顔を隠している」のだそうだ。はっきりとは顔を見ることができなかったので、「父大臣(おとど)は、ほのかなりしさまを、いかでさやかにまた見む」(176頁)ということになる。大河ドラマでは彰子は顔を隠しておらず、並み居る重臣の目にさらされている。やや不自然な気がする。

秘密を知る人々の範囲

 玉鬘が源氏ではなく内大臣の娘であることは、秘中の秘であった。養育を任せた花散里にも、息子の夕霧にも伏せていた。紫の上にも、当初はその設定で押し通していたはずだ。しかし、行幸翌日の源氏と紫の上の会話からすると、紫の上には本当のところを伝えてあったようだ。それがいつだったのか、読み取れなかった。
 この行幸巻で、源氏は次々に秘密を明かす。まずは大宮。ついで内大臣。そして夕霧。明示されてはいないが、世話役の花散里をはじめ、六条の院に住まう中宮や明石の上にも伝えられたであろう。そして内大臣からは、息子の柏木中将や弁の少将(「かの殿の君達(きむだち)、中将、弁の君ばかりぞほの知りたまへりける」(174頁))、娘の弘徽殿女御(「女御ばかりには、さだかなることのさまを聞こえたまうけり」(176頁))にそれとなく伝えられる。事情を知る人々がこれだけいれば、その周囲にいる女房たちも自然と気づくだろう。

引出物

 裳着の儀にあわせて、参列者にさまざまな贈り物がなされる。そのなかに「引出物(ひきいでもの)」(175頁)があるのだが、それは馬のことが多いらしい。「庭に引き出して贈ることから出た名称」(頭注)だという。知らなかった。

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