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毎週一帖源氏物語 第二十四週 胡蝶

 今のところ、玉鬘十帖のよさを感じられない。策略のにおいが強すぎて、没入できないのだ。もう少し先まで読むと、受ける印象が変わるのだろうか。そう思いたい。

胡蝶巻のあらすじ

 弥生の二十日過ぎ、六条の院の春の町では、他では盛りを過ぎた桜や藤がまだ咲きほこっている。源氏は唐風の船をしつらえて、中宮の女房たちに庭を愛でさせる。人々はその美しさを称えて、次々に歌を詠む。翌日には、中宮の邸で御読経が始まる。春の上は、鳥と蝶の衣装をまとわせた童の舞を仕立てて指し向け、中将の君を使者として歌を届ける。それは胡蝶の舞う花園を誇る歌で、中宮は「かの紅葉の御返りなりけり」(38頁)と察し、春の庭を称える歌を返す。
 西の対の御方のもとには、文が多く届く。源氏は、兵部卿の宮や右大将には丁寧な対応をするように諭す。洒落た結び文が源氏の目に留まり、右近に差出人を訪ねたところ、内の大殿の中将であることが分かる。いずれ事情は分かるだろうと考え、源氏は放置する。
 だが、西の対の御方に心惹かれるのは、源氏もまた同じであった(「殿はいとどらうたしと思ひきこえたまふ」(48頁))。源氏がこの君のことをほめるのを聞いて、上は源氏の内心を察知する。それでも、源氏は思いを抑えきれず、西の対に通う。亡き人にあまりにも似ているため、ついに気持ちを打ち明ける。女君は戸惑うばかりである。

春秋論争決着?

 前年秋、六条の院が完成して間もない頃に、中宮が秋の庭の素晴らしさを誇る歌を紫の上に詠みかけてきた。季節が移り、紫の上が満を持して反撃に出る(「かの「春待つ園は」とはげましきこえたまへりし御返りもこのころやとおぼし」(31頁))。秋を好む中宮も、さすがに春の庭を訪れたい気持ちを述べる。巻頭の解説では「去年の秋、中宮に挑まれた春秋の論は、かくして春の勝利に終わった」(30頁)と記す。
 しかし、本当にそうだろうか。季節は春である。春の庭が見事なのは、当たり前ではないか。春に春の庭を褒めたところで、秋の庭が秋に美しくなることは否定されない。これで優劣がつけられたと言われても、簡単には納得できない。

櫂のしずくも花と散る

 中宮の女房たちが春の庭に呼ばれて、口々にそのさまを愛でる。歌が立て続けに四つも引かれており、その最後が

春の日のうららにさしてゆく船は
  棹(さを)のしづくも花ぞ散りける

胡蝶、33頁

である。読んだ瞬間に「ああ、これは」と思い当たる。「春のうららの隅田川〔……〕櫂のしずくも花と散る」とよく似ていて、見逃しようがない。あの歌詞に本歌があったとは知らなかった。櫂でなく棹となっているのは、上の句の「さしてゆく」を受けているからだろう。本文でも少し前に「楫取(かぢとり)の棹さす童べ」(32頁)という表現が見える。

軽々しい源氏と軽々しくない紫の上

 源氏は夕顔の面影をたたえた玉鬘に魅了される。にもかかわらず、自分の気持ちを打ち明けて、玉鬘の困惑を招く。さすがに気まずくて、源氏も反省している。「わが御心ながらも、ゆくりかにあはつけきこととおぼし知らるれば」(53頁)とある。ここで用いられている「あはつけし」は「軽々しい」という意味だが、同じ単語が初音巻にも見えた。源氏が玉鬘に向かって、紫の上のもとにも来るように促す場面である。「うしろめたく、あはつけき心持たる人なき所なり」(16頁)と保証している。要注意人物は、紫の上ではなく源氏本人だった。

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