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毎週一帖源氏物語 第二十八週 野分

 先週末(6月22日、23日)は大阪大学で日本18世紀学会第46回大会が開催され、私はそれに参加していた。両日とも朝から夕方までびっしりプログラムが組まれ、たいへん充実した大会となった。前日に大阪入りし、東京都内の自宅に帰り着いたのは日曜の夜十時である。何が言いたいかというと、ふだんの週末と違って『源氏物語』を読む暇がなかったのだ(本業優先である)。そのため、先々週に続いて少し遅れての掲載となった。
 本文は一ページも読めなかったが、『源氏物語』とまったく縁もゆかりもない週末を過ごしたわけではない。日本18世紀学会はサロンのような集まりで、大会では初日の夕方にコンサートを行うのが慣例となっている。今年は「近世箏曲における東西接触のミッシングリンク — 近現代日本の音楽研究者たちの夢」というタイトルのレクチャーコンサートが企画された。『源氏物語』には楽器を演奏する場面が多くある。琴に類する楽器も、箏の琴(十三弦)、琴(きん、七弦)、和琴(わごん、六弦)など、さまざまだ。新潮日本古典集成版では第二分冊の巻末図録八にこの三つの楽器が図示されているが、絵を見ただけでは音色の想像がつかない。今回のコンサートで聴かせてもらった音色がそのまま『源氏物語』の時代のものと同じではないにしても、何となくの雰囲気は感じられた。

野分巻のあらすじ

 八月、例年にないほど強い野分が吹き荒れる。六条の院でも対応に追われる。南の御殿(おとど)も混乱していて、中将が様子を見に来たときは格子や屏風がしっかりしつらえられておらず、中の様子が見える。中将は初めて「廂(ひさし)の御座(おまし)にゐたまへる人」を垣間見て、「春の曙の霞の間より、おもしろき樺桜(かばざくら)の咲き乱れたるを見るここち」(125頁)がする。中将は祖母宮を気にかけて、三条の宮に赴いてその夜を過ごすが、先刻見かけた姿が気にかかってしようがない。翌朝、まだ暗いうちに中将は六条の院に戻り、まず東の御方を見舞ってから南の町に向かう。
 中将は源氏の名代として中宮を見舞い、復命する。中将の様子がおかしいことから、源氏は「昨日、風のまぎれに、中将は見たてまつりやしてけむ」(135頁)と察する。源氏は自ら中宮を訪ね、中将も同行する。これを皮切りに、源氏は北の明石の御方、西の対、東の御方を順に見舞う。源氏が西の対の姫君とたわむれる様子を見た中将は、親子のあいだとも思われない馴れ馴れしさに動揺する。かねて見たいと願っていた御容貌(かたち)は、「八重山吹の咲き乱れたる盛りに、露かかれる夕ばえ」(139頁)を思わせる。
 気疲れのするお供を終えたあと、中将は〔明石の〕姫君の御方のもとに出向くが、姫はまだ起きていない。中将はその間に文をしたため、使いの者に託す。ようやく姫君がやって来る。中将はその様子を見て、昨日来垣間見た女君たちと引き比べて、「かの見つるさきざきの、桜、山吹といはば、これは藤の花とやいふべからむ」(143頁)とたとえる。
 三条の祖母宮はひっそりと勤行を勤めており、そこへ内の大臣が参上する。孫の姫君と会えない寂しさを訴えるが、内の大臣はいずれそのうちと受け流すばかりである。

夕霧の視点

 野分が吹き荒れたあと、六条の院の四つの町の様子が夕霧の視点で語られる。混乱のおかげでふだんは姿を見ることのできない女君たちを目にした夕霧は、紫の上、玉鬘、明石の姫君の三者三様の美しさを、樺桜、八重山吹、藤の花にたとえる。とくに、紫の上には心を乱され、父の源氏が自分を遠ざけてきた理由を納得する(「大臣(おとど)のいと気遠(けどほ)くはるかにもてなしたまへるは、かく見る人ただにはえ思ふまじき御ありさまを、いたり深き御心にて、もしかかることもやとおぼすなりけり」(125頁))。と同時に、そのことをうらめしく思う(「隔て隔てのけざやかなるこそつらけれ」(143頁))。このとき夕霧は十五歳で、さまざまに思い悩む年頃である。雲居雁のことを忘れたわけではないことは、文を送っていることで分かる。
 物語としては、夕霧の移動に合わせて場面が切り替わってゆく構成が巧みである。源氏と玉鬘のただならぬ関係も、源氏の息子である夕霧の視点を通すことで際立つ。

三条の祖母宮

 六条の院とは別にこの巻で舞台となっているのは、夕霧の祖母が住まう三条の宮である。息子の内大臣はあまり寄りつかないが、夕霧は日参している。その一方で、もう一人の孫の雲居雁とは滅多に会えない。孫を思う気持ちの強さが、この後の物語を動かしそうである。

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