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毎週一帖源氏物語 第十週 賢木

 あらすじはなるべく簡潔にまとめたいのだが、その後の読書メモが唐突に映らないようにするには、どうしても一定の分量が必要になる。触れておきたいことが多いと、あらすじも長くなる。結局のところ、自分が何を読み取ったかを端的に表しているのが、あらすじの文章だ。

賢木巻のあらすじ

 六条御息所は、娘の斎宮とともに伊勢に下向するのに備えて、(嵯峨野の)野の宮で過ごす日が増えている。九月七日、源氏は野の宮を訪れて一夜を過ごすが、御息所の決意は変わらない。十六日、伊勢下向の当日に、源氏は斎宮と歌を交わす。
 神無月、院(桐壺院)は病状が重くなり、帝には源氏を頼るように、源氏には春宮の後ろ盾となるように、それぞれ言い残す。院は崩御し、(藤壺)中宮や源氏は悲しみに暮れる。
 弘徽殿大后は里邸で過ごすことが多く、空いた弘徽殿には尚侍(ないしのかみ)に任じられた妹君が入った。晴れがましいことではあるが、尚侍は源氏を忘れられず、密会する。
 源氏は藤壺への未練も断てず、三条の宮に忍んで迫るが、頑なに斥けられる。失意の源氏は自邸に引っ込み、一方の藤壺は出家を決意する。源氏もまた雲林院(うりんゐん)に籠もるが、仏道に励みながらも二条の姫君や朝顔の斎院との歌の贈答をやめられない。雲林院より戻った後、源氏は参内して帝と語らう。帝は尚侍と源氏の仲が続いているのを大目に見ている。
 院崩御から一年が経って喪が明けると、藤壺は御八講を執り行い、結願の日に出家する旨を宣言して皆を驚かせる(「果ての日、わが御ことを結願(けちぐわん)にて、世を背きたまふよし、仏に申させたまふに、皆人々おどろきたまひぬ」(171頁))。
 宮廷の勢力は弘徽殿大后と右大臣の側に傾き、源氏や左大臣家は新年の司召でも冷遇される。左大臣は任を辞し、三位中将は源氏との親交を深める。
 尚侍が病気療養のため宮中を出て右大臣邸に戻っているあいだに、源氏は無理して女のもとに通う。その現場を右大臣に取り押さえられ、知らせを聞いた弘徽殿大后は源氏の失脚を図ろうとする。

語り手は女

 『源氏物語』の語り手は敬語を用いる。それはつまり、語り手に身分があって、自分より身分が高い人物に敬意を払っている、ということだ。言い方を変えれば、語り手は作中人物と関係を結んでいる。新潮日本古典集成の解説には、次のように記されている。

『源氏物語』の筆者は、過去のある時期に、光源氏の身辺に親しく仕え、その言行をつぶさに見聞したものが語るところを筆記する記録者なのである。

解説、第一分冊、302頁

 この記録者は女である。紫式部自身が女であることは、必ずしもこの体裁を保証しない。紀貫之が自身は男でありながら、女を装って『土佐日記』をものした例もある。紫式部が生きた時代、「物語は女房に読ませて聞くという鑑賞法が上流社会では行われていた」(同、304頁)からこそ、語り手が女として設定されるのだ。ただし、語り手が女であることは当然の前提のようなものなので、わざわざそのことを示したりはしない。賢木巻の次の一節は、その点で珍しいのではなかろうか。

あはれなる御遺言ども多かりけれど、女のまねぶべきことにしあらねば、この片端(かたはし)だにかたはらいたし。

賢木、139頁

 桐壺院が帝に遺言する場面に続く一節だが、「女がほんの一部でもそのまま伝えるのは気が引ける」という弁解がなされている。政治に口を挟んだと受け取られかねないからである。しかしその一方で、周公旦に自らをなぞらえた源氏が「文王の子武王の弟」(自分は桐壺帝の子であり、朱雀帝の弟だ、の意)と声に出したのを受けて、語り手は「成王の何とかのたまはむとすらむ」(183頁)と皮肉を発している。周公は成王の叔父だが、源氏は春宮(後の冷泉帝)の実父(建前としては異母兄)とは言えまい、という趣旨である。その遠慮のなさがよい。

困難を前にすると燃える悪い癖

 源氏は簡単に落とせる女には興味が湧かず、立ちはだかる困難が大きければ大きいほど相手に惹かれる。これまでもその傾向は強調されてきたが、賢木巻では全編がその調子だ。ちょっと嫌気が差していた六条御息所も、伊勢下向で会えなくなると思うと惜しい気がしてくる。神に仕える身になった斎宮(御息所の娘)や朝顔の斎院にも、禁忌を犯して近づきたくなる。語り手もあきれ気味に「かうやうに例に違(たが)へるわづらはしさに、かならず心かかる御癖にて」(136頁)と洩らす。
 その極めつけは、朧月夜の尚侍との火遊びであろう。世の人々がこぞって光君を礼讃するなか、ひとり憎悪を隠そうともしなかったのが弘徽殿の大后である。その妹は朱雀帝に入内させる前に源氏に籠絡され、尚侍として帝の側に仕える身になった後も関係を保っているわけだから、大后にとって源氏は許しがたい敵である。読者としては源氏に「だからやめておけと言ったのに」と言いたくなるが、物語としては源氏の性格が災厄を必然的に招く作りになっているのが素晴らしい。花宴巻でほのめかされていた危険は、こうして現実のものとなった。

葵巻とのつながりの悪さ

 一方で、葵巻と賢木巻とのあいだで、叙述がうまく接続していないように感じられるところもある。六条御息所と紫の上の性格づけである。
 まず御息所については、葵の上に生霊が取り憑いたような怨念の激しさが、賢木巻では見られない。源氏への思いが断ち切れず、それでも行かなければならないと思い定め、揺れる心情が細やかに描かれている。
 そして紫の上だが、葵巻の最後であれほど源氏を撥ねつけていたのに、源氏が雲林院に籠もっているのを寂しがるばかりだ。あれは一体何だったのだろう。

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