見出し画像

毎週一帖源氏物語 第二十五週 螢

 六月上旬、ちょうどホタルの見頃である。読んでいる巻の季節と実際の季節が一致すると、何となく得をしたような気がする。といっても、螢狩りと洒落込む余裕はないのだが。

螢巻のあらすじ

 源氏は相変わらず対の姫君に言い寄っており、姫の困惑は深まる。その一方で、兵部卿の宮が熱心に文を遣わすので、源氏は返事をするよう諭す。五月雨の頃、兵部卿の宮は姫君のもとを訪れる。源氏は、隠し持っていた螢を部屋に放ち、その光で姫君の姿を宮に見せる。翌五日、源氏は姫君に向かって、宮には気をつけたほうがよいと注意する。
 同じ日、中将が人々を連れて来て、馬場で騎射を催す。源氏は東の御方に迎え入れる用意を頼む。内からは童女たちがこぞって見物し、外からは親王たちも訪れる。その夜、源氏は東に泊まる。
 雨続きの無聊を、六条の院の方々は絵物語に紛らわしている。西の対の姫君は、住吉の姫君の物語を自分と引き比べている。源氏は絵物語が散らかっているのを目にして、物語を真に受けるのは愚かしいとくさす。姫君が「いとまことのこととこそ思うたまへられけれ」(74頁)とむきになったので、源氏は一転して物語のよさを褒めそやす。
 紫の上も物語の教育効果を重視しているが、源氏は〔明石の〕姫君に読み聞かせるものを慎重に選ぶよう取り計らう。
 中将の君は、かつて六位風情がと侮られたことを忘れてはいない。かの人にも、折に触れて文を送っている。
 内の大臣は、娘たちを思うように処遇できていないこと残念に思い、近頃はあの撫子のことを思い出すようになっている。見た夢の占いをさせると、誰かの養女になっているのではないかと言われる。

源氏の弟

 源氏には兄が一人いて、それがすなわち朱雀院である。弟は何人かいるようだが、物語によく登場するのが兵部卿の宮である。この巻の出来事にちなんで、螢兵部卿宮と呼ばれる。絵合巻では、絵の優劣の判定者を務め、源氏と才芸を論じた。そのときは帥(そち)の宮という名前だった。この螢巻では、花散里の言葉のなかに「帥の親王(みこ)」(70頁)という人物が出て来て、頭注によると「桐壺院の皇子で源氏の異腹の弟。大宰の帥。この日参会した親王の一人。ここだけに見える人物。」と説明されている。この注がなければ、絵合巻の「帥の宮」と螢巻の「帥の親王」を混同してしまうところだった。
 兵部卿の宮に対する源氏の評価は、なかなか複雑である。親しい間柄でありながら、褒めるだけではない。玉鬘の相手として筆頭に挙げてはいるものの、玉鬘の面前でくさすようなことも平気で言う。「活(い)けみ殺しみいましめおはする御さま」(67頁)とあるように、手綱さばきは緩急自在である。
 弟たちは、宮や親王と呼ばれているので、臣籍降下はしていないようだ。源氏に対する桐壺帝の処遇が際立つ。

螢を放つ

 月明かりが乏しい五月四日、螢が放つ光によって玉鬘の姿が浮かび上がる。いかにも絵になりそうな場面である。最初はこれを源氏の視点で描き、その源氏がその場を立ち去った(「やをらすべり出でてわたりたまひぬ」(64頁))ことを述べてから、次に兵部卿の宮の目に映じた様子を描く。手法として実にうまい。映画のようだ。

物語と世語り

 数奇な運命――玉鬘の身の上には、この言葉がぴったりと当てはまる。母親の夕顔が、すでに運命に翻弄されていた。娘の生涯はそれに輪をかけて波乱に満ちている。本人にも自覚はあって、物語の人物と自分を比べている。そのうえで、自分ほど変わった境遇に置かれた者はいないと思うのだ。

さまざまにめづらかなる人の上などを、まことにやいつはりにや、言ひ集めたるなかにも、わがありさまのやうなるはなかりけりと見たまふ。

螢、73頁

 この直後に引き合いに出されているのは『住吉物語』で、美しい姫君が継母の計略によって老人と結婚させられそうになる話だから、玉鬘は太夫の監のことを思い出す。しかし、それは過ぎ去った危機であり、もう心配は要らない。目下の不安の種は、何と言っても養父である源氏に言い寄られることである。玉鬘は、その尋常でない関係が世間に取り沙汰されることを恐れている。

人に似ぬありさまこそ、つひに世語りにやならむと、起き臥しおぼしなやむ。

螢、66頁

 この「世語り」を恐れる気持ちは、源氏と差し向かいになったときにさらに大きくなる。

「〔……〕いざたぐひなき物語にして、世に伝へさせむ」と、さし寄りて聞こえたまへば、顔を引き入れて、「さらずとも、かくめづらかなることは、世語りにこそはなりはべりぬべかめれ」とのたまへば、〔……〕

螢、76頁

 源氏は、結ばれることによって自分たちの間柄を「物語」にしようと迫る。それに対して玉鬘は、放っておいてもこのような滅多にないことは世の語り草になると抵抗する。ここには物語と世語りの対比が見られるが、両者がまったく別物というわけではない。物語は架空の話ではなく、昔実際にあった話という体裁を採っている。ということは、「世語り」にされていることが書き留められて、「物語」として定着するわけだ。玉鬘の意に反して、自分の身の上は「世語り」となり、ついには『源氏物語』になった(という体裁のものを、私たちは読んでいる)。

「紫の上」

 このところ単に「上」とだけ示されることの多かった女君が、さりげなく「紫の上」(77頁)とずばり名指されている。もしかすると、これが初めてではないか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?