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奇跡

 3月10日のびわ湖マラソン、私は息子と一緒に出場しました。息子は初マラソン、私は7回目のフルマラソンで2週間前の京都マラソンで目標であった4時間を切るタイムで走り終えたばかりでした。
私は息子と同じ大会に出られて嬉しくて仕方ありませんでした。
 大会がスタートし、ハーフの距離を越え25キロを過ぎた辺りで身体にキツさを感じ息子に先に行くように言い、私は1人でゴールを目指しました。
 あと残り2キロになり、不整脈のような症状が現れ、前に進むのが精一杯でした。加えて最後の1キロはフラフラした感覚があり、なんとかゴールできたらいいやという感じになっていました。
 ゴールラインが見えてゴールしたあとストップウォッチを止めました。フワフワ感は更に強くなっていてまっすぐに歩けず、目の前の縁石に腰を掛けました。「このまま寝転んだら動けなくなるなぁ」と何となく思っていました。
 「大丈夫か!」の声で目が覚めました。周りから「戻ってきた!気がついたぞ!わかりますか!」という声が聞こえてきました。私は訳も分からず「大丈夫です!」と応えていました。担架に載せられたところで、心肺停止状態になっていたと聞きましたが実感はありませんでした。
 これを実感したのは救急搬送された先の病院で周りの医師、看護師の皆さんに状況説明をした際に私が知らない時間の話を聞いた時でした。
 私が倒れたのはゴール後の縁石で、そこは救護テントのすぐ近くとなり私が倒れるのを見ていたメディカルランナーがいた事、すぐにメディカルスタッフがAEDを持って私の元に来てくださったこと、スタッフの連携が無駄なくスムーズに行われたことで早期の蘇生が出来たということでした。
 メディカルスタッフの方々の介抱のおかげといろいろな偶然が重なって奇跡が起きたのです。
 生かして頂いた生命、しっかり全う出来るようにICDを埋め込みました。今までとは少し違う生活が始まりますが、この奇跡のことは忘れずに何が出来るかを考えながら生きて行こうと思います。
 
 
 
 

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