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父のこと

レイバンとストローハットがトレードマーク

2024年8月、父が肺がんで他界した。享年67歳、頑丈であらくれな父だったことを思うと早すぎる逝去。昨年末に癌が発覚して、おおよそ8ヶ月。癌の進行は早く、ヘビースモーカーの父の肺は手術に耐えられない状況だった。入院中にコロナに罹ったり、スムーズに治療が進められない状況の中、肺がんの進行は進み食道を圧迫して満足に食事も出来なくなっていた。食事が取れれば元気が出るだろうと藁にも縋る思いでステント手術に踏み切ったが、手術の数日後に吐血し、その2日後に帰らぬ人となった。

生前の父は豪快で自由奔放、破天荒で冗談が好きな漁師だった。家族から見ると自分勝手でハチャメチャで振り回されることも多かったけど、それでもいろんな人から愛されるキャラは父の人徳を十分に感じさせてくれる。地元の漁師仲間から伝説の漁師なんて言葉を聞いたり、ウソかホントかここでは書けないトンデモなエピソードを聞いたことも少なくはない。ただ実際自分が一緒に過ごしてきて感じるのは、誰からも束縛されたくない自由人だったんだなって思う。。。自分と一緒や。。。

私はそんな父のことを子供の頃から心の底では憧れを抱きつつも、反発したり、否定的な感情から嫌悪すらしていた。周りの友人「お前の父ちゃん、かっこいいな」と言われることに嫉妬したり、周りに人が沢山いて愛されていることも認めることができなかった。私のフィルターは父の嫌な部分ばかりを映し出し、良いところにスポットを当てることはなかった。

20年くらい前に実家に戻り、漁業を手伝うことになる。今までは離れていたから気づかなかった父への感情が一緒に働くことになり雪崩のように動き出す。嫉妬、非難、嫌悪、憧憬、期待、、、様々な感情が入り乱れ、自分が何なのかわからなくなるときもあった。嫌悪だけなら楽だったのかもしれないが、私の無意識の中の記憶はそれを許さないことをなんとなく分かっていた。

仏教や心理学を勉強してたこともあり、他者への感情が自分の内面の投影であることは頭の中では知っていた。「感情を揺らされる他人の中には必ず自分がいる」最近見た新井英樹著のSPUNKという漫画のキャラクターのSMの女王がそんなこと言ってた。私のフィルターもとい色眼鏡を通して父の人物像を固定していたのだろう。ただこのような出来事は父に私が何を求めているのかを深く知る機会だった。

子供の頃、泣き虫だった私は父から「男は泣くもんじゃない」と言われて育った。多様性の時代、らしさを押し付けるのはナンセンスな風潮がある現代では古いと言われてしまう言葉だ。また不器用な私に「取り柄がない」「つまらないやつや」とか、貶されることはあっても褒められたことなんてなかった。それで子供ながらに傷ついた私はたぶん父親から愛情を感じるのを承認されることに置き換えたんだと思う。

父から褒められたい。認めれたい。信頼されたい。たぶんこれが私の心の奥底にあった欲求。つまり父から批判されたり、否定されることに過敏になっていた。父の少しの言動で腹が立つし、感情が掻き乱される。承認欲求なんて言ったりするのかもしれないけど、それをピンポイントで父親に求めている感じ。そのことを自覚すると自分の事がシンプルに見えてくる。それは自分の父親に対す嫌悪の感情は愛されたい欲求の裏返しだったということ。

それをいつだったか喧嘩したときに、全部感情のままに言ったことがある。もう全部言ってしまえって感じで、認めてほしかったこと、褒められたかったこと、愛していたこと、愛されたかったことを吐露した。それを吐き出し自覚してからか、父も私も関係が少しづつ緩んでいった気がするし、ほどよい距離感も保てるようになった。やはり自覚や認識は現実を変えていく。

別に嫌なとこがそのまま消えたわけではない。嫌なところはあるけど、良いところも素直に認めれるようになった。周りの父の評判にも気持ちよく賛同できるし、いちいち言動に腹を立てることもなくなった。酔っ払って語りだすのは長くてめんどくさいし、自分勝手であんまり人の都合なんて気にするタイプではないから、実際一緒に過ごすとイライラすることはあるけど、だいたい朗らかで素直で、裏表のない気持ちいいところもある。私の友人からも愛されるのも頷ける。なんだろうな、性格がいい?ちょっと違う気がする。たぶんピュアなんだろうな。

人は多面的で、一つの側面から見る人物像では語ることができない。私が知ってる父も一つの顔に過ぎない。ただ多くの人と関わり、いろんな人から父の話を聞くけど、そのほとんどが愛に満ちて、ユニークな顔ばかりだ。悪い話が入ってこないのは私は息子だからというのもあるかもしれない。私も父の良くないところがあるのは知ってるからそれは想定できる。ただ人間というのはそれら一つ、またいくつかの側面で評価や判断できるほど単純ではなく、同じ出来事すら違う角度からみたストーリーに応じて全く別の意味が見えてくることもある。父という存在を単一に見てしまっていた若かりし頃の私は、父を通じてそのことを知る機会を得たのだと思う。

最近は「毒親」や「親ガチャ」って言葉がよく取り沙汰される。はっきり言ってくだらないクソ表現だけど、もしかしたら自分のフィルターがネガティブモードだったときは、自分の父を毒親で親ガチャ失敗なんて言っていたかもしれない。でも今の自分が思うのは親ガチャSSRとは言わないけど、控えめに言ってSRくらいレアなんじゃないかなと。財産はほぼないし、ハゲの遺伝子だけが気がかりだがまだ私は大丈夫。ちなみに父は30才くらいにはハゲてた。私は42才、父を超えた。

つらつら父のことを書いたのは、ちゃんと自分の中で父のことや思いを整理して、父からもらった命をきちんと生きようと思ったからだ。はっきり言って私も人から見れば父とは違う意味で奔放で何をしているかわからないという人もいるかもしれない。ただ父と同じように人に媚びることなく、自分が良いと思ったことを信じてやっていこうと思ってる。承認欲求は父から認めてもらってたことで満足した。だからこれからも人になんと言われても自分のオルタネイティブな人生を全うします。

R.I.P

父との最後の写真



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