「あがり症、赤面、吃音、書痙の方必見!元あがり症のカウンセラーが伝えたいこと」
動画紹介(文字起こし全文掲載)
今日ご紹介する動画は、「あがり症、赤面、吃音、書痙の方必見!元あがり症のカウンセラーが伝えたいこと」です。
人は幻想の世界に生きています。
起こった出来事に客観性はなく、自分なりの色付けをしてそれを捉えます。
特に自分の感情が揺れ動くようなことについて言えば、それが強くなります。
あがり症の方の不安、恐怖、心配が強ければ強いほど、一人で勝手にはまりこむ自作自演のあがり症ワールドが展開されていきます。
さぁ、そのあがり症ワールドは他の人たちにはどう映っているのでしょうか。
あがり症、書痙、赤面症、どもりなどの方が勢揃いしたセミナーでの出来事を元にお伝えしていきます。
(2019/10/28 YouTube投稿)
———————動画文字起こし全文――――――――――
赤面症のおじさん
佐藤たけはるカウンセリングオフィスの佐藤です。
今日は、あがり症のことについて、色々と最近思っていることについてお話していきたいと思います。
私は、あがり症の読書会を約3年くらい、毎月最低2回やっています。
それ以外にも、あがり症克服の勉強会、講座など、トータルで200,300回ほどやってきたでしょうか。
また、カウンセリングで、あがり症の悩みのご相談もやってきました。
本当に色んな方、あがり症の方と会ってきました。
私自身もバリバリあがり症で、約20年くらい悩んだ人間です。
当時、MAXあがり症のときというのは、それこそ人と接するのも、人前に立つのもあり得なかったですね。
こうしてビデオの前で動画に撮ってアップするなんていうのも、あの頃からしたら絶対あり得ないことなのですが、いまはこのようなことをやっています。
あがり症といっても色んな方がいます。吃音(どもりの方)、赤面症の方、手が震えるという書痙の方、顔がピクピクして人に見られるのが嫌だとか、視線恐怖など対人恐怖の類の方もいます。
それで、読書会で少しあがり症の講座もやっているんですけど、大体、書痙の方は参加者の2,3割くらいいるかなと感じています。
それで、面白いことに、ある講座で色々なバラエティに富んだ方が集まりました。
吃音で悩んでいる方、赤面症で悩んでいる方、書痙で悩んでいる方など、バラエティ豊かな、約6人ほどが集まりましたかね。
そのときに、これはチャンスと思って、あることをやったんですよ。
それぞれの症状の嫌なレベルを、0から100で、パーセンテージで表してみましょう、と。
たとえば、症状って色々とあるんですよ。
あがり症といっても色々とあります。
多汗、汗がすごい出るのが嫌。
顔が赤くなるのが嫌。
ドキドキ、緊張、不安がすごくなるのが嫌。
手が震えるのが嫌。
赤面が嫌。
人から見られるのが嫌とか。
そしたら面白いんですね。
どもりの方は、吃音に対しての恐怖が100なわけですが、意外に赤面に関しては、その人の価値観レベルでは20くらいで大したことない。そして、緊張に関しては40とか、多汗に関しては10とかとなるわけですね。
それで、赤面の方というのは、赤面は100だとして、手の震えは10とか、どもりは20とか、そんな感じ。
あがり症の方というのは、人前での緊張感が80,90、赤面が60とか、どもりが50とか、という風になるんですよ。
そこで、ある方がすごくびっくりしているんですよ。
赤面症の方でした。
人生がずっと赤面症で、人前で赤くなるのはあってはならない、という感じで悩まれて来られた方だったわけですが、「何これ?!」という感じだったんですよ。
「皆さん、赤面で20レベルなんですか?」
皆は「そうですね」と言うわけですよ。
すると、その人は「そんなのおかしくないですか?!だって皆さん、どこかの会社の社長さんなどが赤くなっているのを見たら、あの人は変な人だ、ダメな人だとか思いませんか?」って。
皆が「思いません」って言うと、「えー?!」って感じになっちゃって。
それで、どもりの方はどもりの方で、書痙とかあがり症の方の数値なんて、はっきり言ってどうでもいいんですよ。
どうでもいいというか、とにかく気になる程度が低いんですよ。
書痙の方は、手が震えないように震えないようにと、人生、命をかけて、それこそ死ぬ思いをしているわけなのですが、赤面なんて0とかあるわけですよ。
それぞれが、赤面の方はどもりを、どもりの方は書痙を、書痙の方はあがり症を、それぞれの自分以外の悩みに関しては、大して思ってないんですよ。
皆、びっくりしちゃったんですね。
「じゃあ、自分の悩みってなんだろう」って。
これだけ人生をかけて赤面で悩んできたのに、他の人からはどうでもいいと思います、赤面の人を見ても何とも思いませんと皆からツッコまれて、赤面ってそんなに恥ずかしいですかと言われて、「えー?!」ってびっくりしちゃって。
人は主観的な世界に生きている
だから人っていうのは、主観的な世界に生きているんですね。
客観的な世界を生きていないんです。
主観的な世界で価値付けする。
手が震えること、顔が赤くなること、声が震えること、それぞれの主観的なウエイトで決めて、=(イコール)世界も自分をそんな風に見ている、という風に、=(イコール)になっているんですけど、決して世界はそんなことないわけです。
まぁ、はっきり言って、あがり症の方があがろうが何だろうが、他の人はどうでもいいんですね。
間違いなくどうでもいいです。
全く関係ない。
講座の中で、自分が話しているところを動画に撮って皆に見てもらうんですが(そもそも、ほぼ100%みなさん自分の喋ってるところを見たことがないのですが)、自分の喋ってるところを見てみてびっくりするのは、「あれ、おかしい。思ったよりもまともに話せているな」というのが、まず100%ですね。
当然、緊張するにせよ、あがってても、思ったほどではなかったというのがほとんどですね。
100%というのは言い過ぎかな〜、8,9割そんな感じかな、という風に思います。
主観的な世界なんです。
主観的な世界では、書痙、あがること、手が震えること、顔が真っ赤になること、人からバカにされること、はあってはならない。
それは主観的な世界に生きていて、手が震えないように、手が震えないようにと、その一点を見つめ続けます。
どうしてあがってはならないんですか?
ところが、私たちは原因論の世界に生きています。
これは、専門的に言うと、医療モデル、医学モデルと言うのですが、たとえばお腹が痛いときは、その原因が突き止められれば、胃薬を飲もうとか。
そもそも胃潰瘍だったら、胃潰瘍を治すための手術や処方をしたりして治すわけですね。
骨折したらくっ付ければいいわけですし、治せばいい。
頭痛のときは、薬を飲むなり、そういった原因のところに処方する。
インフルエンザだったら、こうする、みたいな感じで、原因に対して処置する。
もちろん物理的にもそうですよね。
家具が壊れたら直せばいい、紙が破れたらテープで貼ればいいとかね。
変な風に書いたら修正テープを張るとか、原因に対して処置するという、原因論の世界、医学モデルの世界に私たちは生きているんですね。
ただ、このあまりにも自然な価値観で、問題に対して原因を突き止めようという発想を、あがり症の方が自分の悩みに向けた場合、緊張をしないように、不安を抑えるように、ドキドキをなんとかしよう、手が震えるのは抑えなきゃとなったとき、そこからおかしくなってくるわけです。
本来、手が震えることも、顔が赤くなることも、声が震えることも、心臓がドキドキすることも、不安になることも、人として当たり前な現象だと思うんですよ。
ここでお聞きしたいのですが、私たちは色んな感情が沸いてくると思うんですけど、フラれちゃって悲しいときに、悲しいと思ったらいけないんでしょうか。
夏に蚊に刺されたら、かゆいと思ったらいけないのか。
羨ましいって、正直思っちゃうこともありますよね、人間ですから。
けど、羨ましい自分はあってはならないんでしょうか。
腹が減るなんて思っちゃいけないんでしょうか。
歯が痛い自分は情けないのでしょうか。
あがり症の方がいます。
あがります、緊張します。
あがってはならないんでしょうか、緊張してはならないんでしょうか。
この質問を、これまで何十人、何百人にもしてきました。
この質問にまともに答えられた人は、一人もいません。
なんで、あがり症の方はあがっちゃいけないんでしょうか、緊張してはいけないんでしょうか。
症状には目的がある
本来、痒いことも、腹が減ることも、人を羨むことも、悲しむことも、人間に備わった生理現象、身体反応なり心の反応なり、自然な生理現象です。
それぞれに、それぞれの必要があって、その生理現象が沸いてくるわけです。
腹が減ったら飯を食えということですよね。
でないと、生きていけないから。
痒いことも必要があって生じるわけですよ。
感情も、これはアドラー心理学の考えですが、感情にも目的があるんですよ。
不安というのは、まだ分からない、漠然としたものに対する感情であって、そういう感情が自然に湧いてくるといのは、何か備えた方がいいよ、準備した方がいいよという感情なんです。
いつか震災が起きるかもしれない、というときに、不安という感情が沸かなかったら、準備しないですよね。
目の前に熊が立っていて、そこで恐怖という感情が人間に沸かないとしたら、まぁ襲われるわけですよね。
恐怖という感情があるから、逃げるか戦うか、フリーズするか、ということがあるわけです。
本来、その自然な感情に対して、悲しいなら悲しい、怖いなら怖い、あがっているならあがっていると、一時的に感じ切ればいいものを、そこをあってはならないこととして否定することによって、そして否定してもなくならないことで、二次的にそこに苦しみ続けるんですよ。
不可能を可能にしようとしてるんですよ。
そこに、あがり症の方の誤りが生じるわけです。
あがることはあってはならない、緊張することはあってはならない、手が震えることはあってはならない。
手の震えなんて、本来的に言うならば、書痙の人は書くときに、ギーッと必死になって書くわけですが、力を入れているんですよ。
力を入れると筋肉は硬直します。
すると、震えというのは、筋肉の緊張を開放するために必然的に震えているものなので、力を入れれば入れるほど、“震えろ”という命令が身体的に発せられるんですよ。
もう真逆ですよね。
だから、書痙の方は震え続けるんですよ。
だから、良かれと思って、何とかしなきゃと思うことが逆効果。
炎上しているだけなんですよね。
症状にはノータッチでいい
だから、あがり症の方、赤面症の方にとって大事なことは、その症状に対してああだこうだと図っていても、不可能だということ。
これを何とかできた人を一人も見たことがありません。
症状に対しては、ノータッチでいいんですね。
緊張も震えも赤面も、ノータッチでいて、いま必要なこと、いまやらなきゃならないこと、本当の目的に目を向けていく。
あるいは、あがるあがらないというのとは全く関係ないこと、自分にとって楽しいこと、心地良いこと、好きなこと、やりたいことに目を向けていくことで、一時的なもの(赤面など)に目を向けて炎上していたもののエネルギー(負のエネルギー)が、減っていく。
これがあがり症の克服なんですよ。
あがり症の克服というのは、もちろん全く緊張しなくなる人もいるわけなのですが、緊張やあがり、不安、ドキドキなどを一時的なところに収めて、あとはそこから解放されていく。
そこを目指していくことが、非常に大切なことなんですね。
今日は、あがり症の方、書痙の方、赤面症の方が良かれと思っていることは、すべて炎上するので、そこに意識向けるよりも、もうちょっと健全な方向に目を向けていったらどうでしょう、というお話をさせていただきました。
ありがとうございました。
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