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お医者さんとはオンラインの方が話しやすいと思う

新型コロナウィルスの感染拡大に伴い、「オンライン診療」が注目されているようだ。オンライン・ビデオチャットを通じて医師の診察を受けられるので、当然のことながら通院は不要で、いわゆる「院内感染」のリクスも遮断できる。それが注目される理由らしい。

実は私もオンライン診療を受けている。2015年3月、食道がんの手術を終えて自宅療養を始めたのだが、がん再発はなかったけれど体調管理にはなかなか苦労した。動悸、めまい、下痢などが食後に起こるダンピング症候群や、食べ物がうまく飲み込めない嚥下機能の低下、そして、空咳などに悩まされた。そこで知人の医師にお願いして、症状緩和のための飲み薬の処方や、がん研有明病院で実施した検査結果の解説などをしてもらうことにした。いわば月1回の「よろず健康相談」だ。それをオンライン診療用アプリを使ってやりだしたのは2019年3月のこと。もう1年以上も続けている。
つまり、オンライン診療を始めたきっかけは、コロナ禍と全く関係ないのだけれど、取材に来るメディアの方々は「やっぱり感染症対策ですよね」って話ばかりしてくるので、少し困ってしまう。そもそも、オンライン診療によって院内感染リスクが遮断されるのは、いちいち経験者の言葉を出さなくても分かりきっていることだ。

では、経験して初めて気がついたことは何か。自分でも不思議だったのだが、「お医者さんとはビデオチャットの方が話しやすいなあ」と感じたこと。「空気感が伝わらない」とか、「直接対面して五感を使うことで初めて相手との信頼関係が構築できる」とか、最近はオンライン・コミュニケーションについてのネガティブな声もよく聞くのだが、私にとっては、空気感とか五感よりも「通院しなくていい」ということが重要だったようだ。
おそらく、「できれば通院したくない」という気持ちは誰にもある。院内感染のリスクや診察時の待ち時間に対するコスト意識もあるが、合理的にはうまく説明できない微妙な感情が「通院」という行為にはつきまとっている。
私の場合、病院内の緊迫した雰囲気が、通院したくないという感情を呼び起こす。母親に連れられた辛そうな子供がいる待合室。診察室を出たり入ったり、常に忙しく動く看護師の姿。こういった光景の中で、食道がんも経過観察となり、ひどい痛みがある訳でもない私が、「健康上の小さな不安」を医師に相談するのは気がひける。
診療室という閉鎖空間に入ると、張り詰めた空気感はさらに増してくる。自宅では「がん再発の兆候では?」と不安に思えることも、診療室の張り詰めた雰囲気の中では「わざわざ受診して聞くことなのか?」というためらいに変わってしまう。結局、デスク上のモニターを見つめる医師の横顔に向かって、遠慮がちに質問することになり、不安を解消できないまま診察時間が終了する。そして、帰りの電車の中でまた思う、「やっぱり、がん再発の兆候では?」と。

オンライン診療では、そんな遠慮がなくなる経験をした。病院内の緊迫感がネット越しには伝わらないからだろう。自宅で気づいた「健康上の小さな不安」をためらうことなく医師に相談することができる。「親身に聞いてほしい」という気持ちと「大袈裟だと思われたくない」という気持ちが同居するアンビバレントな心の状態。そのモヤモヤした感覚がサイバー空間を通過していくうちにすーっと消えていくようだ。
そして今、スクリーン中の学生たちに向かってオンライン講義をする私がいる。書斎の古いアップル製モニターに映る80名の学生はとても元気だ。教室よりはるかに饒舌な彼女/彼らが、オンライン診療中の私とオーバーラップする。「長岡先生とはzoomの方が話しやすいなあ」と言っているかもしれない。どうやら、「通院」をめぐる微妙な感情の中には、教師と学生のコミュニケーションを考える小さいけれど興味深いヒントがありそうだ。さて、緊急事態宣言は解除されたけれど、オンライン講義の準備が済んだら、次回のオンライン診療を予約することにしよう。