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ゆらゆらと歩み続ける

2020年2月、食道がんの手術から5年が経過した。多くのがんでは5年が意味ある数字となる。医師は「5年生存率」に着目し、患者たちは5年先にあるゴールを目指して頑張る。2015年の私もそうだった。でも、ゴールインした今、想像していたような達成感はない。それが「5年生存率60%を生きる」ということなのだと思う。

自分が生きる可能性が数字で示されたのは初めてだった。しかも、「60%」という中途半端さ。絶望的な数値ではないので、「頑張るぞ」という気持ちになる日もあったが、「5人に2人は死ぬ」としか考えられず、憂鬱な気分で過ごす時間が長く続くこともあった。振り返ってみると、心は常にゆれていて、断固たる決意で病気と向き合ってきた訳ではない。

心が落ち着きだしたのは、「5年生存率60%」という曖昧さを受け入れるようになった頃のこと。その時期は、「がん治療体験記」と現実は違うんだなあと納得しはじめた頃と重なっている。体験記を読むと、「本当の自分が目覚める」とか、「自分の信念を貫く決意が芽生える」といった話に勇気をもらえるけれど、そんな劇的な瞬間はなかなかやってこない。実際、病気は自分と向き合うきっかけになったが、覚醒や決意は現れては、すぐに消えていった。ただ、そんな時も絶望することなく、張り切り過ぎることもなく、足元を見ながらゆっくり歩み続けていると、いつのまにか曖昧さを受け入れられるようになっていた。要するに、私には「自分が変わった」と自覚できる決定的瞬間があった訳ではない。だから今でも「頑張るぞ」と思う日と、「もうダメだ」と思う日が交互にやってくる。「もうダメだ」と思う日の出現率が下がっただけで、けっしてゼロにはならないのだ。でも、その出現率が30%ぐらいなら「まあ、良しとしよう」と思えるようになったことが、曖昧さを受け入れるようになったということなのだろう。

さて、私が「5年生存率60%」という曖昧さと折り合いをつけ、新たなスタートを切ろうとしていた2020年の春、新型コロナウィルスの世界的な感染が発生した。実を言えば、この春から取り組もうと密かに考えていたこともいくつかあったのだけど、先延ばしすることにした。今は Keep Learning への取り組みを最優先したいと考えている。これまで、長岡研究室では「越境」が活動の中心だったので、人と会うことができない今、活動スタイルの大幅な変更が必要となっている。当然、その方向性は「オンライン化」となり、サイバー空間でのワークショップやフィールドワークの新たなスタイルを模索していくことになるだろう。そして、そこからポスト・コロナ時代の学びやライフスタイルについて考えていきたい。

ただし、「学びを止めるな!」という威勢のいい掛け声には少し注意が必要だと思っている。おそらく、いわゆるポスト・コロナに向けた対応はとても大きな変化を伴うはずだ。未来の教科書に載るような変化が求められているのかもしれない。でもそれは、「断固たる決意」だけで乗り切れるような短期的なものではなく、新型コロナウィルスとの長い付き合いの中で、継続的に取り組んでいくことになると言われている。だとすれば、曖昧さを受け入れるしなやかな態度がいい。「断固たる決意」がどこかに消え去ってしまっても諦めることなく、かといって張り切り過ぎることもなく、Keep Learningの動きは止めないでいよう。道が険しければ、「もうダメだ」と思う日はきっとやってくる。そんな時も「3日に1度ぐらいならまあいいよ」と言いながら、ポスト・コロナに向かってゆらゆらと歩み続けていきたい。