自己紹介Part3            学生野球をやりながら留学!

 今回は僕の大学生生活について書いていきたいと思います。見出しにも書いたように僕は大学野球をやりながら留学した経験を持っています。この話を初対面の人にすると大体の人が「すごいね」という言葉をくれます。

 関心を持ってくださることはうれしいことですが、僕自身何がすごいのか全く分かりませんし、行動を起こさず入れることの方がすごいと感じてしまいます。

アクションを起こすことの重要性は大学で学びました

 高校である程度やってきた自分には試合に出られるだろうという謎の自信がありました。これを読んでくださる方に伝えておきたいことがあります。根拠の無い自信ほど怖いものはありません。僕はのちにこれを痛感します。大学に入り始めての紅白戦ホワイトボードに僕の名前はありませんでした。僕はこの日紅白戦にすら出れず審判と少しの練習だけで一日が終わり屈辱を味わいました。

 後に試合に呼ばれることが多々あったのですが、結果ばかりにこだわってしまいいい結果を出せず、さらにイップスのような症状になってしましました。

 このイップスがきっかけで野球を嫌いになる時期もありました。野球人生の中で経験したことのない屈辱でしたがこの経験があの当時の自分には必要だったんだなと感じています。ずっと試合に出ていた自分にとって試合に出れないということの本当の苦しさ、野球を満足にできない苦しさをここで学びました。

 中学、高校とキャプテンを務め試合に出るものの責任として、試合に出ていない人の分まで頑張ると思っていましたが、試合に出れずサポートを全力でしてくれていた僕の仲間は、試合に出ている選手の何十倍も苦しい思いをしていたんだなと本当に感じました。

僕はここで、何かをするということには影を作ってくれる人がいることを真剣に考えるようになりました。

 サポートの重要性を知り僕は2年生の冬に選手から学生コーチへと変わる決断をしました。それと同時に留学することを決めました。

 留学のきっかけとなったのは、1年生の体育の授業でした。数名の外国人がいて、お調子者の僕は英語で話しかけました。

 その人達は、僕が喋れると思ったのか流暢な英語で僕に話してきましたが、9割聞き取れず気まずくなったのを今でも覚えています。子の失敗談があり僕は留学を決意しました。(留学の詳細については明日のブログでお話ししたいと思います)

 留学から帰ってきて再び部活に戻ると、部活の仲間は口をそろえて僕に行ってきた言葉があります。

「英語でなんかしゃべってよ(笑)(笑)」

 多少、話せるようにはなっていたものの、僕は英語で話すことは一切しませんでした。それは、僕が英語で話したところで、理解してくないと思ったからです。つまり、僕は僕の英語力をからかわれていました。この悔しさが今でも英語を勉強しようと思う原動力です。振り返ってみると僕の人生は悔しさの原動力で作られてきたものなのかもしれません。

 あれから2年話す力を鍛えてきて今では英語の先生と1時間近くフリートークをしたりします。

これから英語を勉強しようと思う人も、

英語で一度挫折を味わった人も

この記事を読んで頑張る栄養にしてもらえたらいいなと思います。

 話は野球に戻ります。最終学年になった僕は、学生コーチのヘッドを任されました。僕たちの部活動は平日大人がいません。140人近くの部員がいます。つまり、平日の練習や、平日の試合には僕が監督として同行していました。選手交代も、練習内容も決めなくてはいけない、大会で結果が出ないのも僕の責任、そんな責任重大なポジションを任してもらえて僕はすごく充実した1年を過ごすことができました。何をしたかなどの具体的な内容は後日掲載していきます。結果だけ見たら、関東大会ベスト8まで行けました。

 しかし、どんな世界にも上には上がいました。僕たちが負けてチームと僕たちのチームの力の差は歴然としていましたが、決して勝てないチームだったとは思いません。

 きっとこのノートを書くのも同じことだと思います。

書き方次第でいろいろな方に読んでもらえる。

 そんな記事が書けるようになりたい。僕自身まだまだ未熟者ですが、誰かにいい影響を与えていけるようにこれからも発信していきたいと思います。

 最後まで読んでいただきありがとうございました。

以上


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