関係性が狭化する息苦しさ


最近、毎週のように遊んでいる。ショッピングに行ったり、飲みに行ったり、写真を撮ったり。大学生の特権を利用して、いや特権の範疇さえも超えてひたすらに遊んでいる。

僕が遊ぶとき、一人で遊ぶことは少ない。そこには友人なり同僚なり、誰かしらがいて同じ出来事を共有している。しかもその誰かは、コミュニティ毎にいる大体5,6人の中の誰かだ。

毎回同じ人と遊ぶ。これは勿論関係性を深めるには必須のことだ。人間関係は共有する出来事が増えていくにつれてどんどん深く、狭くなっていく。最初はたまに会う程度だった人も、どこかに一緒に行って、話して、飲み会で思い出話に花を咲かせ、その調子で秘密をポロっと言ったりして。

これは「霧」みたいだ、と最近思う。マンションの一部屋に閉じ込められて、そこに発生する霧。どんどん濃くなっていって、次第に視界が狭くなる。そしてまるで自分が生きている世界はそこだけのような気がしてくる。

そんな霧を息苦しく感じ始めたのはいつだろう。人間関係に不満があるわけじゃないはずなのに。どこか遠く、遊んでいる自分を眺めている「自分」がいる。楽しく遊んでいるはずの自分に、「本当に楽しい?」と問いかけてくる自分がいる。

いつもそうだ。高校三年の夏も、昨年消えた関係性も、全部この息苦しさから逃げたくて、逃げたくてしょうがなくて、我慢できずに、部屋を潰してしまった。そうして新しい部屋に入る。「こんなことがあったからやめた」だとか、「ちょっと鬱で」みたいな、適当で便利な後付けの理由をいくつも作って、言い訳にして。そうしてまた、部屋に入り、また潰す。

どうしてこんな人生を送ってきたのだろう。大学生は時間があるから、たっぷりと考えた。そして、多分これだろう、という本質が見つかった。大したことはない、嫉妬とエゴとかいうよく言われるやつだった。

例えば自分が何か用事があって、遊びに参加できなかったとする。こんなことはよくあることだろう。そしてまた遊びにいったとき、その時遊んでいた人達はその時の話を思い出話として話す。

よくあることだろう。だが僕はそれがダメなのだ。自分がいない状況で自分の入っているコミュニティの人達が遊んでいることが嫌なのだ。自分が居ない間に他の人たちが仲良くなっていっている。自分だけが取り残されている。そのようなことは当たり前に頻発し、どんどん遠ざかっていくように感じる。深い霧の中で、周りの皆が遠ざかり、まるで自分がその空間に独りしかいないような錯覚に陥る。こうなってしまったらもうダメだ。しまいには周りの人にこの部屋から出て行けと言われているかのように感じ、部屋を潰してしまうのだ。

僕と似た性質の人間がもしいるのなら、部屋を潰すのは待ってほしい。部屋を潰す前に窓を少しだけ開けて、換気をしてほしい。

コミュニティの数が少なければ少ないほど深化は速く進む。そのため、コミュニティを増やすことも大事だ。コミュニティを増やし、「霧」を分散させるのだ。
コミュニティ自体のキャパを広くして、深化を遅めることも大事だ。

なるべく多くの人と、同程度に関わる。これが上手く生きていく方法の1つではないだろうか。


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