「活性化には人口が大事・論」批判

●人口理論派批判

小売業はお客の生活に必要な材料を提供することを事業機会としています。有店舗小売業の場合、お客は「地元・周辺住民」であることが多いことから、客数は人口に比例するとか、人口の多いところが好立地 などという[迷信]がはびこっています。

お店の客数・売り上げと周辺人口には因果関係は無い、にもかかわらず、多くの経営者が「人口神話」に陥っている。

また、中心市街地の商業活性化論において、
○中心市街地に居住する人口を増やす施策を講じろ
○中心市街地に(買い物以外の目的で)来訪する人口を増やせ
そうすれば、商店街は活性化する、などという
○論理的には最初から破綻しており、
○全国に一カ所も成功事例のない
「人口依存型活性化策」を振り回す傾向も、数十年にわたって繰り返し手成功事例の一個も出ないこの期に及んで、依然として減少しておりません。

これら、小売業は人口相手の商売である、という迷信を、簡便のため、「人口理論」と呼び、上記のような主張をする人たちを「人口理論派」と呼ぶことにします。
これは当サイトで開発したコトバですから、よそで使っても通用しませんので、その点ご注意ください。

人口理論派。
商店街活性化レベルでは「商店街再生への道」を阻み、「個店の活性化」レベルでは「繁盛店への転換」を阻害する百害あって一利も、一理もない路線です。

商店街も個店も、一日も早く「人口理論」に決別しないと、せっかくの活性化へのチャンスを棒に振ってしまうことになります。
と、分かってはいても決別できないのが「人口理論」かも知れません。

「人口理論は繁盛の敵(笑」
以下、その理由を説明し、出来れば「脱却の方法」を提案したいと思います。

●人口相手に商売ができるか


 我々はこれまで、居住人口3,000人という○○村から1,.200,000人超の××市まで、様々な規模の市町村において主として商業・地域産業の振興に関する取り組みの支援に携わって来ました。

多くの都市で冒頭まず表明されるのが「うちは人口が少ない」という自己認識です。人口の多少について客観的な基準はありませんから、これはもっぱら当事者の主観ですね。ところが。

「人はイメージに基づいて行動する」という鉄則がありまして。
「人口が少ない、少なすぎる」という主観を持っていると、これが行動の基準になってしまいます。
商店街活性化、地域商業活性化といった課題では、二言目には「商圏人口が少ないから・・・」うちには一般論は通らない、とアタマから思いこんでしまっている。
こういうコトバが発せられる背景には、「商業は人口相手の商売」という発想が潜んでいますから、「人口が少なくて・・」と言ったとたん、全く知恵が出なくなってしまいます。

「人口理論」派の経営戦略:


1 個店の場合
(1)人口が少なく、売り上げを作るのは大変だ。
  ①うちの商圏にはいろんな人が少しずつ住んでいる。
  ②売り上げを作るには、なるべくいろんな人に来てもらわなければならない。
  ③いろんな人に合う商品をそろえておくことが大事だ
(2)限られた店舗規模で、人口理論に基づく店づくりをするためには
  ①いろいろな傾向の商品を少しずつ品揃えしなければならない。
   (マスコミも多品種少量とか言ってるし)
  ②幸い、取引先が業種メーカー、業種問屋だから同じ品種のアイテムならピンからキリまでそろっちゃう
  ③ということで、狭い店内になるべくたくさん詰め込む、という店づくりが出来上がる
  ④これが習慣となり、店内にちょっとでもスペースが空くと「お客に商品が少ないと思われるのではないか」と不安に駆られ
  ⑤何が何でも商品をめいっぱい詰め込んでおく

さて、お客は自分の生活に必要な材料を手に入れるために来店するのですから、お客にとって切実な問題は「自分の生活を作る材料として適切な商品が揃えられているか否か」「納得できる選択肢の中から吟味・納得出来る商品を手に入れられるか否か」ということです。

このような問題意識を持っているお客が人口理論に基づいて作られている売場を訪れると、どう感じるか?
端的に言って「いろいろあるけど、私がための店じゃない」ということではないでしょうか。

それも特定のお客にそう思われるのなら、これは当然のことですが、人口理論派のお店の場合、来る客、来る客、すべてにそう思われてしまうのです。

一渡りチェックしたお客は「商品はこれだけですか」と質問します。
「いろんな人の好みに対応しようと」一所懸命の店主にこの言葉はグサッと突き刺さります。「これだけ詰め込んでいてもまだ不足か!」
と・・・。

お客にしてみれば、今日の来店目的である、たとえば春先のお出かけブラウスの自分好みのデザイン、色柄、価格など、「選択肢」がきわめて少ないので「これだけですか」と質問したのに店主さんは「お宅の品揃えはトータルこれだけなんですか」と言われたと勘違いしてしまう。
「これでも満足してくれないのか・・・」
満足するわけがない。

「お客を絞り込め? そんなことは人口の多いところの話、ここらじゃ全部の人口を相手にしないとやってけないんだよ!」と言うのは典型的な「人口理論」派のみなさんの逃げ口上です。
では、あなたのお店が考える適正人口ってどれくらいですか?
そう言う条件がもしあったとして、そこであなた、どんな店づくりをするんですか?
もちろん答えは返ってきません。

人口が多ければ、いろんな人向けの品揃えをしているわけですから、そのままでいいんじゃないの、今より売り上げ伸びるんじゃありません?

ところでみなさんのお店にショッピングに来るのは、「人口の一部」ですか?
それともお客さんですか?

●人口と「お客」の接点



> ところでみなさんのお店にショッピングに来るのは、「人口の一部」ですか?
> それともお客さんですか?

「うちのお客は、商圏人口の一部だよ、あったり前じゃん・バカ」
と思った人は、
「人にバカという方がバカ」
である、という古今の鉄則を思い出しましょう(笑

それでは本論。
「人口」から自店の「お客」を導くことが出来るか否か。

検討してみましょう。

手続きとしては、「人口」という総数からブレイクダウンして、「自店のお客」にたどり着くことが出来るかどうか、ということを検討してみます。ま、答えは目の前に転がっていますけどね。

たとえば「行政人口」を腑分けしていきますと。
性別
年齢別
居住地域別
職業別
などに区分することが出来ます。

これらの区分をいろいろ工夫することで、「自店のお客」に至ることが出来るでしょうか?
出来ませんよね。
強いて「人口」と「お店のお客」を関連づけようとすれば、
人口=うちのお店のお客+うちのお店のお客ではない人 ということでしょう。人口とお客の関係はこれ以外にはありません。

さらに言えば、この関係は世界中に敷衍することが出来るのでありまして、世界中の人口は、
自店のお客とそうでない人に区分することが出来る。

ということで、一定の地域の「人口」とお店の客を関連づけて考えるのは無意味なことですね。


●商圏人口



これまたしっかり考えないと役に立たないアプローチです。

慣行理論では:
商 圏:当店の来店客の○%が居住している区域 とか、競合との力関係が拮抗する線の内側、などと定義されているようです。

「お店のお客」は「あなたのお店のお客だから・あなたのお店のお客」なのでありまして、住んでいる地域などには関係ありません。

あそこの地域に住んでいるお客○名とこちらに住んでいるお客○○名・・・・合計したらあなたのお店のお客(固定客としてもよい)の総数が算定されます。
この人数は、お客の総数が住んでいる範囲内の総人口と何か関係がありますか?
あるという人、どんな関係があると思うんですか?

ということで、「商圏人口」などというものは、数字として出すことはもちろん出来ますが、商売とはなんの関係もない数字ですね。


●占有率



> これまたしっかり考えないと役に立たないアプローチです。

定義して、じっくり眺めてみるとその空虚さ加減がよく分かる。

中心市街地の商業は、全消費支出の10%でやっていける。
それぐらいは取れるだろうという「提案」例を読んだことがありますが、もしそのようなアプローチを取るとすれば、
①消費支出の各項目に対応する売場が中心市街地にあるのかないのか?
②売場の「魅力」は域内の各集積と比較してどうか?
ということが当然問題になります。

商圏の線引きをして消費支出を積算、占有率を想定して目標売上げを決める。
きょうび、こういうアプローチは、実務の世界には無いでしょうね。
(じつはあったりする(笑 )

売り上げ予測は「積み上げ」ていく以外の方法は全部デタラメではないでしょうか。「数式」などに惑わされないこと。
主流経済学をはじめ、社会学方面で数式をもてあそぶのは全部〈インチキ〉と決まっています(笑


●社会科学のまやかし 

社会科学と称される領域には、自然科学の方法をパクって、

「人はイメージに基づいて行動する」・人々の行動の総体という一面を持つ社会現象を、人々の意識とは無関係に・意識や恣意性を除外して説明し・予測する方法を追求してきました。
これから起こることを起こる前に知りたい、というのは人間にとって基本的な性行でしょうから、明日世の中はどうなるのか、有象無象の動向に左右されることなく前もって知りたい、というのは人情というものです。

正確に予測するためには、個々人の思惑などには関係なく貫徹する「社会法則」を発見すればよろしい。「人はイメージに基づいて行動」しているつもりでも、実はその背後では「法則」が支配しているのだ、というレトリック。関係する個々人がなにをどう考え・どう行動しようとも、その総体は(マクロで見れば)こういう法則のもとにあるのだ、ということになります。

おなじみの「修正ハフモデル」などはその典型的な一例です。
(いつぞや説明しましたように、この手の算式は重力の法則のパクリですからね。)

もっとすごいところでは、主流派経済学の「均衡価格」。
理論を完成させたワルラスという先生は、当時日進月歩だった物理学をパクリ、物理学者の助言を得ながら理論を完成させたそうです。以来、理論の欠陥については様々なレベルで指摘されていますが、対策は備峰策ばかり、基本的な欠陥はずうっと引き継がれています。

余談ですが、私は「人はイメージに基づいて行動する」ことを学の構成から取っ払っている主流派経済学(「マルクス主義」を含む)が、大嫌いなので、経済学の悪口はいくらでも言えるのです(笑、同好の人は【ブログ】へどうぞ。
ただし目下開店休業中、新しい燃料は補給していません。

●人口と来店客数


> ところでみなさんのお店にショッピングに来る「来店客」は、「人口の一部」ですか?
> それとも「お客さん」ですか?

商店街が一念発起、ショッピングモールを目指したとします。
テナントミックスの一環=売場の転換であなたのお店と同じ客相をターゲットにした売場が当然いくつも出現します。
せっかくモールに来たからちょっと楽しんでいこう、と喫茶店、菓子店なども。

そうしますと。
来街者1が、来店客数3とか5とかになってしまう(笑
これが「集積効果」ということですね。
人口関連でいえば、なんと人口1=客数3。

商店街、いくら人出があっても入ってみたい店がなければ来店客数ゼロであり、あるお店に行くことを目的に来街した人にとって他に入ってみたいお店がなければ(有ったとしても知らなかったら)目的の店に行ってそれでおしまいですから、来街者数=来店者数となります。

①きょう日、人出が多いが売り上げはさっぱりという商店街では、
来街客数>入店客数
という関係が生じているはずです。

②他方、人出の少ない商店街は、
来街客数≒来店客数
となっており、しかも来街者が極端に少ない、という状況に陥っているということですね。

①、②ともに、来街客数をアップする施策を講じたとして、それが入店客数や売り上げ増大につながりますか?


●中心市街地に人口を増やす

中心市街地に「まちなか居住」と言うことでマンションをどんどん建てる。居住者が増えれば商業は活性化する。

中心市街地に居住者が増えれば、
中心市街地を歩く人が増える
商店街にも出かけてくる
ショッピング客が増える
新規入居者増を目当てに新規出店も増える
というのが典型的な「人口理論」流中心商店街活性化論ですが、そうはいきません。

大きな誤解が二つある。

その1
まちなか居住を推進したかったら、生活インフラとしての「コンビニエンスマート」の整備が先決でしょう。マンションだけ建ててもコンビニエンスニーズ対応型商業が充実していないと、都心に住んでいながらデイリーの買い物は車で郊外へ、という情けない生活になりかねない。
コンパクトシティのテーマの一つ、中心市街地からの車のシャットアウトなど実現出来ませんね。
(これはすでに「元気のいい地域」、マンションが続々建設される中心市街地で起きていることです。)

その2
中心市街地立地の商業は、昔から「まちなか居住者」のニーズに対応することを事業目的として立地しているわけではありません。広範囲に居住する人々の「買い回り型ニーズ」を標的に形成されてきたのが中心市街地型商業です。
まちなか居住がどれくらいの期間でどれくらい増えると予測されているのか、このこと自体も興味のあるところですが、いずれにしても中心市街地の商業機能を活性化しようとする取り組みとではタイムテーブルが違い過ぎます。とてもじゃないが、中心市街地活性化は、まちなか居住の進展に依存するような時間的余裕がある問題ではありません。

さらに、所要時間はカッコに入れたとして、居住が増えるのは結構なことかも知れませんが、居住さえ増えればその結果として中心市街地型商業が活性化する、などということはありませんからね。

中心市街地所在の商業の業容及びキャパは、まちなか居住が進めばその人たちの消費出の受け皿機能を受け持てば何とかなる、というような話ではない、ということはこれまでも繰り返し述べて来たところですが、今一度、あらためて確認してください。

それでも「人口理論」で行くという人は、まちなか居住がしっかり進んだが商店街は活性化できなかった、という事例はとっくにに出ていますからチェックされたらどうでしょうか。
そうそう、先に書いた「コンビニエンスマート」は整備しておかないとせっかく開発したマンションが売れないかも知れませんからね。
もし、TMOでマンション開発などと考えておられるところがあれば、コンビニエンスニーズの買い物行き先が「まちなかに」きちんとそろっているかどうか、まずそちらを考えてみる、もし不十分ならこちらを整備することが先決ではないでしょうか。
そうすると「中心市街地原住民」も助かります。

中心市街地、スーパーマーケットが撤退、居住者は商店主を始め郊外のSCとコンビニで買い物をまかなっているような居住環境にあるところが、居住促進などとは片腹痛いのです(笑

●風が吹けば桶屋が儲かるか


風が吹けば通りに埃が舞う、に始まって、
ネズミが増えて・桶をかじる 
桶の修理・買い換え需要が増え
桶屋が儲かる、というご存じ話。

人口が増えれば商店街が活性化する というのも全くよく似た話でありまして。

人口が増える
(人は買い物しないと生きていけない)
近くに商店街がある
新人口が商店街に買い物に行く
商店街が繁盛する

というお話です。

買い物する人の法則
その1 商品
①売られていないものは買うことが出来ない
②複数売られていると選択しないと買えない

その2 買い物行き先
①売ってる店がないと買い物できない
②複数あると選択しないと出かけられない

を前提に考えれば。
①需要側:商店街の近くに引っ越してきた人が商店街で買い物をするとは限らない。(新住民のニーズとのミスマッチ)
②供給側:新住民を対象に売場を転換しようと思ってもどう変えたらいいのか、分からない。

人口が増えたからといってそれが原因で商店街が活性化するということはありません。

では、新しい人口をねらった新規出店はどうか?
時と場所によっては成功するでしょうが、
①地元人口をねらえばほとんどがSC中心の「コンビニエンスニーズ」対応型になる。
これでは中心商店街のキャパは埋められない。
②広域集客をねらう店が単独で出店すれば孤軍奮闘、アクセス不備にたたられるから敬遠される。
なかなか全体に波及する、とは行きません。

中心市街地に人口を増やせばとか、人通りを増やせばとかのアイデアは、「風が増えば桶屋が儲かる」に等しいレベルかも?

実際に自店を繁盛させなければいけない人は人口理論などに依拠しないよ~に、といってもなかなか効き目がないのは、有効/無効という検討抜き、無意識の裡に「人口理論」を選択しているからかも知れません。

人口と買い物客、算定基礎はどちらも同じ生身の人間ということで短絡させがちですが、これは本来全然関係のない概念だと考えた方がよろしい。

●「人口理論」は活性化の敵(笑


個店にとって:
うちのまちは人口が少ない。(これは人口50万以下のまちの「人口理論」を奉じる人たちが必ず口にすることば)
いろんな人が少しずつ住んでいるから、売り上げを作るためには、
①いろんな人向きの商品をあれこれと
②少しずつ在庫しないといけない
③メーカー、問屋も「多品種少量」と言ってるし
ということで、
④狭い店内にめいっぱい、在庫を並べます。
そうしますと、誰から見ても
⑤いろいろあるけど、私好みは少ないなぁ という店になってしまいます。おまけに
⑥ありとあらゆる場所に在庫を詰め込んでいるため、商品選びが大変です。そこで買わずに退散する口実として
⑦「商品はこれだけですか?」と聞いたりします。さあ、大変。
⑧これだけ詰め込んでいるのに「これだけですか」だって! これでも足りないのか・・・、と店主側は意気消沈・・・。

そこへコンサルタントとか称するど素人がやってきて、「什器を減らして接待用のテーブル・いすを置け」などとエラソ~に言ったりする。
なにを、このど素人が! うちのお客は今でも在庫が足りないと言ってるんだよぉ! 大体おまえの話は人口の多いとこの話なんだよ、こんな人口少ないとこじゃ通用しっこないんだ、だいたいそんなことも分からないでよくコンサルタントとかいってられよなぁ、ボケ。
と考えられたのかどうか知りませんが、なかなか什器・在庫減らしには頑強な〈て~こ~せ~りょく〉があります。

何をおっしゃるやら(笑
①「商品、これだけですかぁ」っつ~のは「気に入った商品が無いから、買わずに帰るけど、悪く思わないでね~」と言われれてるんだろ~が、ぼけぇ! (笑
②だいたいだなぁ、狭い店内にぎゅ~ぎゅ~在庫を押し込んでおいてだなぁ、それをお客がぜ~んぶ見てくれるとでも思ってるのかぁああああ!
③持ち越し在庫の陰に新商品が隠れてますって。何だ、全店、去年の在庫を2階から降ろしてきただけじゃん とか思われてませんかぁ(笑

ということで、人口相手に商売している個店は、こ~ゆ~羽目に陥ってしまいかねません。

商店街の場合


①人口が少ない上に郊外にSCその他出てきて、人通りが少なくなった。
②昔、繁盛していたころの人通りは半端じゃなかった。人通りさえ増えればまた繁盛してみせる ということで。
③中心市街地に住む人が増えれば人通りが増える
④中心市街地に会社が増えれば人通りが増える
⑤中心市街地に学校・病院・市役所・県庁・葬儀場その他何でも誘致すれば人通りが増える
⑥イベントをすれば人通りが増える
ということで、力の及ぶ限り頑張ってみるわけですが、
もともと「買い物行先」としてのリストからハズされたから、買い物客が来なくなっているわけですから、
人が増えた、人が歩いた、ということでお客が増え、活性化するはずもありません。

にもかかわらず。「人口理論」派のみなさんは。
「わ~、これでもまだ人口が足りない!」といつまで経っても人口のせいにする。
あのさ、郊外のSCってそ~ゆ~泣き言を言いながら出店してきてるんですかぁ?

ということで、小売業は人口相手、人出・店前通行量相手の商売だと思いこんでいる「人口理論」派は、自店・まちの業績不振を自分の力ではど~にもできない人口や通行量などのせいにして、他力本願、自分の店のシャッターの内側は「不可侵」となったいる。
実はこの「不可侵」と言うところに「人口理論」蔓延の秘密が隠されているのではないか?

そうそう、「人口理論」派の起死回生の策、コンパクトシティについては、こちらをみて。
http://www.quolaid.com/cgi/j-forum/wforum2.cgi?no=
1246&reno=1242&oya=1242&mode=msgview&page=0

では次に。
このような実効力のない「理論」に基づく考え方が、なぜ現場で勢いを持っているのか? 考えてみることにします。

●長 所


「人口理論」、流布し支持されているについては、それなりの理由がありますね。もちろん。
そうでなければ「そろばん」を弾くのが商売の商店主方に受け入れられるハズがない。

その最大の要因は、
「波風が立たない」ということでしょうか。

たとえば、売れないのはあなたの店のあり方がお客のニーズとミスマッチを起こしているからだ、と言われたら「なにを!」むかつく人がいることでしょう。特に「人口が少ないから売れない」と考えている人は)
こちらは一般論で言ったつもりが、ある人から自店がけなされた、と受け取られたり。よくある話です。

商店街は地縁関係、好きでも嫌いでもずう~っといっしょに暮らしていく宿命?ですから、波風は立てない、というのはとても合理的な処世だと思います。

しかし、それは商店街という好立地でずうっとおいしい商売を続けていける、という条件があってはじめて成立する処世ではないでしょうか。波風さえ起こさなければここでおいしい商売が続けられて一族安泰だ、ということがあってはじめて、波風は立てない、ということが合理的な選択になります。
商店街全盛時代、波風さえ立てなければ商売繁盛は約束されていましたからね。

成立条件が無くなっているにもかかわらず、いったん出来上がった不文律は自分からはなかなか退場しません。

はじめは合理的選択、やがて習い性となった「波風を立てない」というライフスタイルは、成立の根拠が消滅した後も自立自存しています。状況は変わり・繁盛は危うくなってもライフスタイルは残存、事情はどうであれ波風は立てない。

そうしますと。
商店街活性化に取り組むにあたっても「波風は立てない」ということが、最高とまではいかないにしても、結構重たい規範になる。

活性化にどう取り組むか、という論議の最中に波風防止を念頭に置けば、「個店の責任だ」などという〈暴言〉はとうてい口に出せませんん。
いきおい、人口のせい、通行量のせい、という考え方が支持される、ということが考えられます。

多くの出席者にとって、会議のテーマの背後には常に、「ただし、波風を立てないこと」が潜んでいるのではないか。「活性化策の案出」においても、ついつい、この「波風防止」原理が優先してしまう。
そうしますと、結果不透明な新たな挑戦より、結果見え見えの前例の方がまし、ということも起こりかねません。

ここに「人口理論」につけ込まれる大きな弱点がある。

「波風防止」という原理原則を基準にすると、「人口理論」は大きな長所を持っています。
どれだけ強調しても出席者の誰一人として、気に障る、むかつく、ということがありません。これは大きな長所ですね。
「人口理論」を唱えている限り、けして波風は起こりません。
「違うだろう」と感じている人がいるのですが、大勢は「波風反対」がいやと言うほど刷り込まれており、たとえ意義を唱えても同調を得られ、大勢が覆る可能性はきわめて低いでしょう。
どうせ発言したところでさざ波が立ってそれでおしまい、と予測がつ来ますから、あほらしくて発言する気になりません。

「波風防止」を前提に活性化に取り組む場合、人口理論は大変通りがよろしい。もちろん「イベント路線」も同様です。イベントについては「イベントに合わせて各店ではこれこれこういう取り組みを」などという指令は当然御法度。
「みなさんはもちろん商売のプロ、人集めは組合で取り組むので集まった人を自店のお客にするのはみなさんの腕ですよ」ということでしゃんしゃん。

今日の会議も波風なく終わったな~、と。

効果が無いことが明々白々となっている「人口理論」ですが、いつまでも商店街に残存しているについてはこのような事情が考えられますね。

●究極の選択


> 今日の会議も波風なく終わったな~、と。
安堵している場合ではありません。

「人口理論」で取り組んできたが、成果は上がりませんでした。
もはや、繁盛=自店のレジがじゃんじゃん音を立てる、という状況を作り出すためには「相当」のことをやらなければならない、というところまで来ました。

波風が立つことにびびってばかりではお店の存続が危うい。
「波風防止」と「商売繁盛」、両立が難しくなっています。

一時的に波風が起きたとしても、「商売繁盛」への道を探るのか?
商売繁盛を危機にさらしても「波風防止」を優先させるのか?

ところが、そこで考えなければならないのが「空気」というやっかいな存在です。

●空気が支配する「波風禁圧」風土


「波風禁圧」、「孤立」を極端に嫌う風土においては「波風禁圧」「大勢に従う」という不文律が生まれ、支配します。

様々な発言が交わされるに先だって会議の「空気」が決まっている。
結論はもちろんまだ決まっていませんが、「空気で決まる」ということを原理原則にする、ということは暗黙のご了解です。

「空気原理」には「何が言われたかより、誰が言ったかで話は決まる」という〈法則〉がありまして、つまりは「・理事長とは・理事長とは限らない)」が何を言うか、ということですね。
だって、長の発言に逆らえば即「波風」ですからね。これは「空気」に逆らうことですから(発言内容の検討は抜きで)意見そのものが無かったことにされてしまったりする。

というような経験を2,3度味わうとたいていの人がもういいや、となってしまい、発言無し、出席無し、ただし決まったことには従いますんで、ということで、繁盛実現に向けて切迫しているにも関わらず若手が活動を断念してしまう。
これは厳しく・寂しいことですね。

「波風禁圧」という空気の支配をうち破ること。
この空気の存在で利益を得ている商売人は一人もいないわけですから、空気を打破する道はあるはずです。

●長さんの発言


> だって、長の発言に逆らえば即「波風」ですからね。これは「空気」に逆らうことですから(発言内容の検討は抜きで)意見そのものが無かったことにされてしまったりする。

では長さんは心おきなく自由に発言できるのかと言えば、もちろん、そんなことは全然ありません。
「波風禁圧」という暗黙・鐵のオキテは他の誰よりも長さんを囲繞しているのでありまして、長さん第一の責務は組織に波風を立てないこと。
したがって発言の多くは前例踏襲か、新しいことなら大勢を見極めて、ということになる。
大勢を見極める場合も基準は「波風禁圧」であり、けして大勢=多数意見が採用される、というわけではありません。大勢=「しこりを残さない」ことが第一の基準。
多数意見であっても「波風」が立つようなら押さえ込まなければならない。

かくて。
さまざまのレトリックが用いられます。
〈時期未成熟原理〉〈意識改革千行論〉

●長さんの憂鬱

組織の求心力の低下、組織率の低下などが起きている商店街、特に長=執行部の長の場合
> 「波風防止」という暗黙・鐵のオキテは他の誰よりも長さんを囲繞しているのでありまして、長さん第一の責務は組織に波風を立てないことですが・・。

仮にも一組織の長であり、組織については日頃から人一倍、三倍四倍考えておいでです。各種会議にも参加して情報は相対的に豊富。商店街の仲間の店の事情もよく把握していらっしゃる。
昨日と同じことをしていたのでは明日は来ないと言うことも重々承知しているのですが、「波風禁圧」というオキテがある。
長たるもの、これまでの経験で「波風」発生のダイナミックスはいやと言うほど分かっています。

長さんが「波風禁圧」というオキテに縛られている限り、組織が新しい試みに取り組むということはあり得ません。
長さん自身の意見なんか、「波風」が懸念される場合は真っ先に自制されますからね。このままでは先がない、と分かりつつ・・・。

かくて、商店街・本日も波風無し! 

●これではならじ


活性化への取り組み、取り組めるところはすいすい前進します。
たとえば、〈売れる売場づくり〉に取り組んでおいでの商店街のみなさんから「人口理論」など聞いたことがありませんし、長さんや長老さんから「時機未成熟原理」その他の鉄槌が下されることもありません。

もちろんここまで来るについては、いろいろと難儀があったかも知れませんが、とにかく、何でも言ってOK、という組織風土は気持ちがいい。
私など、どこの商店街でもおおむねこういう状況なんだろう、とか思いこんでドジったりするんですけど(笑

閑話休題。


突破の方法については私などより〈売れる売場づくり〉に取り組んでいる商店街のリーダーさんが実践者、話が早いと思います。
機会を作りたいものです。
Xのアカウントで質問できるかもです。

私がが考える「呪縛を突破するの法」については、この後書き継ぎます。
とリあえずは、X(ツイッター)をフォローして下さい。

●自縄自縛


長文になってしまいましたが、商店街によってはこういう状況にあるところもあるのでは、と思われます。
誰もけして望んでいないのに、あたかも「現状維持」を望みつつかののように、従来通りの事業に取り組みつつ、こと志と違っていっそうの空洞化へ進んでいる・・・・。
実際のところは、商店街の店主・誰一人として現状維持など望んでいないはず、みんな業績向上に向けて何とかしたいと思っているハズです。ところが店と街の実際は・・・。
誰も望んでいないからこそ、いま採用している道を阻むことが出来ない、という逆説が成り立っているかも知れません。

このあたり、今回初めて書いてみましたが、「人口理論」をかついでいるのはバカ、ということであれば、バカに店づくりの転換が出来るはずがないのでありまして、提唱中の売れる売場づくりは机上の空論に終わります。
「人口理論」がなぜまかり通るのか、それが目的合理的な選択であることを理解しておかないと、「転換」に向かう意欲の根源が見あたらないことになります。これは、@商店街の味方のみが発見できる〈根源〉かも知れません。

支援にあたる関係方面のみなさんへ


さて、もしだらだらと書き連ねて参りました・こういう状況があるとすれば、商店街活性化を支援する各方面が「まず商店街が態度を明確にしろ」「何がやりたいのかはっきりしろ」というのは、期待している「行動する商店街」を作り出す方法としては効果があるとは言えないようですね~。

長文おつきあいいただきありがとうございます。
お疲れ様でした。引き続きご愛顧の程よろしくお願い申し上げます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?