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時期未成熟原理

 20世紀初頭、英国の古典文献学者・コーンフォードという人が発明
した「原理」でおなじみオーシュマンさんのご紹介です。
(A・オーシュマン『反動のレトリック』 1997 法政大学出版局)。

『時期未成熟原理」とは


①提案されている「やるべきこと」は確かに正しいことであり、
②やるべきことであることに疑いの余地はない、が、しかし、
③現時点では時機が熟しておらず、
④「残念ながら」取り組むべきではない、という主張。

 この「原理」、我らが中心市街地、とりわけ商店街活性化の取組において、「個店の転換への街ぐるみの取組」などという前代未聞の方針が提案されますと、必ず出てくる反対派のレトリック(論法)です。
「キラリ輝く繁盛店づくり」もメールなどでの知らせによれば、この原理の前に、全国各地で幾度となく敗退しているようです。
もちろん、反対するのは商店街のお歴々だけでは無く、行政の担当者から商工会議所、まちづくり会社の担当者まで意志決定に関わる人なら誰でも“反対”の根拠として持ち出す可能性があるレトリックです。

 では、未成熟と判断する根拠は何か、いつになれば時機は”成熟”するのか、どうやって成熟に持っていくのか、という話になると、とたんにうやむや、もちろん対案などは絶対に出てきません。

 最後には提案自体が「無かったこと」にされていつも通りの日々に戻ってしまいます。
こういうレトリックを駆使する人は、本人が本当に時機が来ていないと判断しているのか、単にやりたくない口実にしているのか、いずれにしても活性化の取組に水を掛けているわけで、結果として本人さえ望まない事態を迎えることになることだけは確実です。
しかし、きっとご本人は自分の言動の結果とは絶対に気づきません。
幸せな人たち。

 もう少し踏み込んでみますと。



 「下」からの新しい事業の提案は、現在の方針、ひいては執行部への批判と受け取られやすく、若造が何をこしゃくな・「時期尚早」と勢いでなってしまうということもありそうです。
そして、全体の空気はといえば、しかるべき人が「時機未成熟原理」を発動させたとたん、論議は打ち切り、ということになりかねません。

 時機未成熟原理、変化への行動を望まない・現状維持を願う気持ちの現れであることが多いようですが、商店街の場合、現状維持を目指すと現状さえ維持できない、というところに問題があるわけで、したがって、この「原理」には何としても立ち向かわなければならない。
向こうがレトリックで来るならこっちだって、と行きたいところですが、こちらは正論、何処が悪い&当たって砕けろ派が多そうですから、苦戦が予想されます。
何回か衝突すると“もう止めた”と組合活動から手を引いてしまう。

 そういう商店街の雰囲気はよく分かりますから、たとえ空店舗活用で新規開店があったとしても組合には入りたくない、ということで街で商売はするが組合には入らない、という人が増えてくる。
時機成熟どころか組織は確実に衰退していきます。

☆やる気があれば消える障碍

大事なことは、「時機未成熟」というのはレトリック(論法)であって、実状とは無関係だということです。「時機未成熟」を指摘する人は、「未成熟だから取組に当たっては〈未成熟からのスタート〉であることを勘案しよう」と考えている訳ではありません。
そもそも提案に反対であり、その根拠として未成熟論を持ち出しているのです。

こちらとしては、未成熟という現状を前提に事業を組み立てているわけですが、いったん「未成熟」を指摘する発言が公に行われた後で説明しても弁解にしかならない、しかも相手の立場を否定することになりますからね。
そもそも、未成熟を指摘する、という相手の動機を考えると会議の席で論破するというのは得策ではありません。何しろ、これからもずっと同じ組織で「再生」に取り組んで行かなければならない「仲間」です。

 大事なことは、「意志決定のための会議」において「時機未成熟」
発言が出ないようにあらかじめ手を打っておくこと。
つまり、根回しをしておくこと。
根回しで未成熟原理が発動する根拠をあらかじめ封じてしまう。

 企画を説明に行くと,前もって「反対」という立場ですから、その場で「未成熟原理」が発動する。発動してからでは遅いので、企画説明段階で
「未成熟からのスタート」であることを強調、事業に取り組む過程で成長していくのだ、ということをしっかり説明する。
「未成熟だからこそこの事業が必要だ」という方向で説得です。

この段階、なるべく少数で行う。1対1がベスト。
とにかくこちらが向こうより人数的に少ないときびしいかも、です。

大切なことは「意欲」、「気概」を見せること。

口には出しませんが、「あんたや組織が反対するなら有志だけでも取り組む」という気概でその場を支配すること。
「やる気」を認めさせ、「やる気が実るよう」力を貸してください、
というのがいいですね、ホントのことですから。
会議では前向き、見守り発言を取り付ける、最低限、反対発言は絶対に
しない、と約束してもらう。
これが根回し。

 成功するか否かはこちら側のやる気の程度に掛かっていると思います。
反対しても進める、何が何でも前進する、という気概をハッキリ示し、
「時機未成熟」原理が「反対の論法」であることを理解すれば、組織内の
「思慮深い」反対論には対処できますね。

☆『反動のレトリック』は、社会改革の主張を検討批判するもの、もうすこし紹介しておきます。

 フランス革命=急進的改革については当時から今日に至るまで根強い
批判があることは周知のところですが,オーシュマンさんによれば,
反対派のレトリックが3パターンありまして,

1.逆転テーゼ:
 試みは一連の意図しない結果を招き,目的とは全く逆のものを生み出す
という論法.「生活保護」が人間を怠惰にしてしまい,結果的に人を
助けるどころかさらに立ち直れないところへ追いやってしまう,など.

2.無益テーゼ:
改革は社会の「深層構造」にまでは及ぶことが出来ず,表面的・外見的な
ことに過ぎず,幻想に過ぎない.多大な努力は結局無益に終わる,という論法.

3.危険性テーゼ:
提案されている改革は,例えそれ自体は望ましいものであったとしても,
それを行おうとすると,別の領域でくだんの改革とは比べものにならない
災厄を結果する可能性が高い,やめとかんかい,という論法。

 こういうお定まりの論法は,あたかも特定の提案について真摯に考慮
した結果として発言されるものである,という形を取っていますが,
ご覧の通り,「はじめに反対ありき」「とにかく反対」ということが
先にあって,反対を理論化するための道具としてこれらのレトリックが
駆使される、というわけです.

 「反動派のレトリック」というタイトルになっていますが、この論法、
問題解決よりもイデオロギー的対立が優先している人たちに左右を問わず
よく見かけられる議論のパターン、議論というより断定・決めつけですね。
この論法、分かってしまえば対処の方法は見えてくるでしょう。

直接関係はありませんが、最近の政治家のレトリックもなかなかのもの、
開いた口がふさがる暇がありません。
これをとっちめられない野党・メディア、我が言論の府&論壇における
レトリックは極めつけの不毛のようですね。

レトリックは思考の武器、倦むことなく研鑽に励みましょう。

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