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「押し」と「引き」の文化

 古い話です。35年前、現職の時に初めて2週間の海外出張を命じられました。
 それ以前にも私事旅行ですが、生まれ故郷の台湾の方々に招かれて2回海外旅行の経験はありました。
 それ以外には縁がなかったというよりは、お恥ずかしい話ですが高所恐怖症で飛行機嫌いのために外国旅行は意図的に避けていました。
 しかし、仕事となれば拒否することはできません。2週間、長くもあり短くもあったアメリカ研修視察でした。

 ちなみに、外国へ行くことはもうないだろうと思っていましたが、その十数年後にこれも観光ではないですが、私事でアメリカ・ノースキャロナイナ州に1か月間、滞在したことがあります。
 私の海外旅行はこの台湾2回、アメリカ2回の4回だけです。
 その頃の記録写真はプリントしてアルバムにたくさん残っていますが、残念ながら原版のネガフィルムが行方不明で、デジタルでスキャンはできません。

 今回は生涯、行かないと決めていたアメリカを初めて訪れた時の感想記録がありますので、ほんの一部だけですが紹介させていただきます。その時の職務とは関係ない話ですが、お読みいただけるとうれしいです。

       「押し」の文化と「引き」の文化
 「 I (私)はなぜいつも大文字なのか?」
 この愚問を事あるごとにアメリカ人に投げかけたが、返ってくる応えはいつも「 I don't know. 」だった。
 私には、この「 I (私)」こそアメリカ文化の象徴に思えてならない。文中で自己を前面に「押し」出すにはこれほど明快な語はない。日本語の「小生」という「引き」下がった表現とはまさに対照的である。
 実は他にもこの「押し」と「引き」の違いを今回の短いアメリカ滞在の間に何回となく目にし耳にした。
 ・アメリカ人の「押し」出すような力強い「握手」と我々日本人の「おじ
  ぎ」(引き)
 ・彼らの「さようなら」の手振り(押し)は我々にとっては「来なさい」
  (引き)を意味する。
 ・親指から順に伸ばし(押し出し)で数える彼らの仕草と、親指から順に
  折って(引いて)数える我々の仕草
 ・足し算(押し)で行う彼らのおつり計算と「引き算」で行う我々のおつ
  り計算
 ・「押し」の典型であるフットボールの人気と「引き技」の妙に酔う日本
  の国技(相撲、柔道)
 ・「引き」の典型である「綱引き」はアメリカでは単なる子供の遊びに過
  ぎないということ
 ・窓やドアの開閉様式にも「押し」と「引き」の違いを感じることが多い
 等々こんなことを考えていると、アメリカで見聞きすることの多くが「押しの文化」に見えてきた。
 フリーウエイを走る車の9割は昔懐かしいボンネット型、駐車場で車の前方から停車位置に突っ込む停め方、スープを飲むときのスプーンの使い方、ここまでくるとこじつけも甚だしい。
 
 しかし、こういう一面的な観察で多様なアメリカ文化、国民性を論じることは独断と偏見以外の何物でもないと知りながら、他にも多くの事象について「押し」と「引き」の違いを楽しんだアメリカ体験であった。

 上記の引用は、私の膨大な(?)視察報告書の片隅に余談として記したものです。あくまでも今から35年前の当時の見聞ですので、国際化が進んでいる現在とは大きく異なっていることは承知しています。
 「昔はこうだった」という素朴な私のアメリカ旅の感想の一端です。ちなみに観光地を訪れて楽しんだという記憶はありません(笑)

 最後に、本題と無関係ですが「雪にもマケズ」の画像です。一乗谷の元気なダイサギ君をご覧ください。(過去に投稿済の画像も含まれているかもしれません。)

        
        最後までお読みいただきありがとうございました。


*** おしらせ ***
 昨日(2月7日)、2月5日に投稿の拙稿「一乗谷の雪はあったかいんです」の巻末に、義景館跡内で撮影した雪の情景作品(すべて未発表)を11枚追加しました。
 有料記事で恐縮ですが、お知らせだけさせていただきます。失礼いたしました。

 



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