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「一木一草」 (平泉寺編)

 随筆家、白洲正子の次の言葉に「一木一草」への想いの一端を感じました。 

 たとえば晩秋の木漏れ日の中にたった一輪のリンドウの花が咲いている。昔は至る所にあったが、今は殆ど消え失せてしまった。
 そんな時に思いがけず発見したうれしさは、ほとほと涙もこぼれんばかりで拝みたくなる。

白洲信哉編「白洲正子  祈りの道」(新潮社刊、2010年)

 白洲正子の世界観の根底には、自然界のあらゆるもの、一木一草にも魂が宿っているという、いわゆる「山川草木悉皆仏性」の感じ方があるように思います。
 これは古来より培われてきた日本人の感性そのものでしょう。

 白洲正子の孫、白洲信哉氏は上掲の同著の中で、彼女(白洲正子)の母が遺した句を紹介しています。
  
     道の辺の小石ひとつも世の中に
          かくべからざるものとし思ふ

 そして、白洲信哉氏は祖母、白洲正子を偲びながら次のように同著を締めくくっています。

 道端の小石でさえ、この世には大切なものだ、と、(祖母は)母の歌をしみじみ想う。幼少の頃から、我が国に根付いた「あらゆるものに魂が宿る」という信仰に同調し、一生涯の思想哲学は完成しているのである。
 (中略)
 自然と対立するのではなく、道端の小石と、我々人間を同列におき、自
然と共存していくことこそ、すなわち我々の、「祈りの道」そのものが歩ん
だ歴史なのである。

白洲信哉編「白洲正子  祈りの道」(新潮社刊、2010年)

 
 白洲正子、そして前々回話題に採り上げた風景写真家、前田真三だけでなく、画家の東山魁夷の作品の中にもまた、私は「一木一草」の精神世界が基底に流れているように受け止めています。(東山魁夷については後日、別稿記事で投稿させていただきます)

 最後に有料記事で恐縮ですが、国史跡「白山平泉寺旧境内」で撮った拙作を貼らせていただきました。



「白山平泉寺旧境内」 南谷 若宮八幡宮



「白山平泉寺旧境内」 平泉寺白山神社 参道脇


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