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一乗谷アラカルト 37


(湯殿跡庭園 画面中央は三尊石)

 三尊石とその背後の観音山山頂の観音堂、さらにその観音山を降りた地点に初代朝倉孝景墓所(孝景没後に建立)が一直線上に並んでいる。私の発見と気づきだ。

 当時の朝倉武士はこの「祈りのライン」(三尊石ーー観音堂ーー初代朝倉孝景墓所)を意識していたはずである。
 湯殿跡庭園は戦国の気風を表すだけの庭園にとどまらず、「祈りの聖地」でもあったのだろう。

(北野記)

「一乗谷アラカルト34」に続いて、私の昔のメモ書きから写真家の山口高志氏のお言葉を記したい👇

 写真セミナーや撮影会の現場では、「とにかく撮影技術を教えてほしい」という人が多い。しかし、その前に「あなたが撮りたい被写体は何ですか」と尋ねると、たいてい口ごもってしまう。

 写真というものは、技術が先行して良し悪しが決まるものではない。自分が撮りたい対象(被写体)を見つけ出そうとする行為が先行すべきである。

 技術にばかりこだわっていると、その人自身の個性的な写真は絶対に撮れない。自分が撮りたいと思える被写体探しが何より大事。「撮りたい対象があるからこそ、シャッターを切りたくなる」のだ。

 撮りたい欲望が生まれれば、そのための技術は簡単にマスターできる。技術はあくまで手段。被写体を写真に撮るのが目的である。目的(被写体)を明確にしてこそ、手段(技術)が見えてくる。被写体あっての写真なのだ。

(山口高志氏のお言葉;出典不詳)


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