私がサラリーマンだったころの話

4月も終盤に差し掛かり、いよいよ就職活動のシーズンがやってきました。限られた採用枠をめぐって毎年熾烈な競争が繰り広げられていますが、就活生の皆さんには頑張っていただきたいものです。

かく言う私も、フリーランスになる前はサラリーマンをやっていました。今日はそんなお話。

私がサラリーマンになったのは、偶然の成り行きです。というのも、そもそも私はサラリーマンになる気などなかったのですから。大学生のころの自分は、どういうわけか根拠のない自信に満ち溢れていて、他の学生とは違う道を歩めると本気で思っていました。その当時目指していた大学院への進学も、そのための手段のように捉えていました。しかし、現実とは厳しいものです。学費の問題もさることながら、そもそも自分に向いていないのではないかという疑念が生じたことで他の道を探ろうとしましたが、いざ卒業を間近に控えてみるとサラリーマンしかできることがないことに気がつきました。4年間しっかり勉強して学生生活も謳歌してきたつもりでしたが、身一つで社会に出るためのスキルを何一つ身につけられていなかったんですね。折しも、バブルが崩壊して就職氷河期と呼ばれた時代。この時期に就職できなかった団塊ジュニアと呼ばれる同世代は、現在も不安定な雇用と低所得で苦しんでいると聞きます。私も、とりあえず卒業して1年くらいはニートとして生活して、なんて悠長なことは言っていられないので就職活動をすることにしました。

とはいえ、現実の厳しさをよく理解していなかった私は、すぐに壁にぶち当たります。「受ければどっかに引っかかるだろう」とたかをくくって挑んだ就職活動では、受けた企業にことごとく落ちまくって夏を待たずして全滅するという状況に陥ります。対策らしい対策を取らず、面達(「面接の達人」という当時流行った就職指南書)すら読まなかったことを考えれば当然の結果なのですが、変に自分に自信があった当時はかなり落ち込みました。

「さて、どうしようか」と途方に暮れていた私のもとに、一通の会社案内が届きます。そこは、某大手企業の子会社。差出人の採用担当者を見ると、なんと私の大学のOB。これも何かの縁と思い、早速連絡を取って採用試験に臨むことに。地元静岡駅前のホテルのカフェで簡単な筆記試験を受けた後、ほどなくして最終選考の案内が。東京の本社でグループディスカッションと集団面接を受けたら、あっさり内定が出てしまいました。今まで選考に落ちまくっていたのは何だったのか、という複雑な思いもありましたが、とりあえず卒業後の進路を確保できた安心感と新しい生活への期待感で意気揚々としていたことを今でも覚えています。

ところが、いざ入社してみるとこれがとんでもなかった。朝9時の始業から退社するのは夜の9時。労働時間が長いだけならまだいいのですが、社員教育はOJTという名の仕事の丸投げ。とにかく体で覚えろ、という感じで次から次へと業務を振られました。能力開発の7割は経験が占めるとは言うものの、予備知識もろくにないのにひたすら仕事をさせられたのでは、まともなスキルは身につきません。会社としての教育制度がそもそも貧弱で、off-JTは16年の在籍期間のなかで片手で足りる回数しか受ける機会がありませんでした。ですから、会社を辞めて十分なビジネススキルがないことに気づいた時には「もっと真剣に就活しとけばよかった」と後悔したものです。

さらにこの会社に在籍中、二度の合併を経験しました。特に2度目の合併はひどかった。親会社が他の企業グループから買収した子会社2社と強引に統合。派遣していた役員は全員親会社に引き上げてしまったため、自分たちを守ってくれる人は誰もいない状態に。人事制度が変わったことで、それまでついていた「主任」の肩書がなくなって平社員に逆戻り。仕事そのものにも変化がないばかりか、業務量は増えているのに現有の人員だけで回そうとするから負荷が増す一方。異動の希望を出してもまるで通る見込みがなく、いよいよ自分のキャリアにも限界が見えてきたなぁと思っていた矢先に望まない辞令が…。これが引き金となって、私は退職を決意しました。

改めてサラリーマン時代を振り返ってみると、いい思い出はあまりありません。退職する際、お世話になった先輩から「よく16年も続いたな」と言われたくらいですから、そもそも向いてなかったんだろうなと思います。あえて自分がやる必要もない仕事のために、毎朝決まった電車に乗って決められた場所に行き、夜遅くまで仕事して帰宅する生活の何が楽しいのだろうかと、今でも率直に感じています。

そのようなことを思うのは、入った会社の選択が間違ったからとも言えるかもしれません。会社を辞めてから知ったことですが、子会社というのは独立した決裁権を持っていないことが往々にしてあるようです。毎年の事業計画ですら、親会社の承認がなければ実行できないのが実態です。マネジメント層は親会社からの天下りで、数年もすれば別の子会社に移るか親会社に戻るかするので、まともに経営しようと考える人のほうが稀です。子会社で直接採用されたプロパー社員は、駒の一つとしか考えられていないから扱いも雑になります。そんな状況ですから、経験できる仕事の幅も限られてくる。就職活動で大手企業に人気が集中する傾向を批判する向きもありますが、キャリア形成という観点で考えると、むしろ正しい選択なのです。これらのことを加味すると、改めて就活生時代の浅はかさが悔やまれます。

ただ、悪いことばかりでもありません。サラリーマンを経験したことで、サラリーマンという生き方の弊害を身をもって体験できたわけですから。仕事をしていようがいまいが、毎月決まった日に必ず給料が振り込まれている生活もよいのですが、そのために犠牲にしているものがあまりにも大きい気がしています。特に感じるのは、キャリアに対する主体性の欠如です。サラリーマンを経験したことで、改めて自分が何者で何を成し遂げたいのかを突き詰めていくことの大切さを知りました。正にこのことが、フリーランスとなった私にとっての生涯のテーマになっています。

今日は、ここまでにしておきます。


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