私がなりたかったものについて

フリーランスという生活を始めて、早7年が経ちました。いろいろなご縁に恵まれて、ここまで順調すぎるくらいに物事が進んできました。でも、ここ最近、自分がやりたいことや成し遂げたいことが何なのかをあれこれ考えるようになりました。そこで、自分のこれまでの生い立ちをなりたかったものを中心に棚卸ししたいと思います。今回は、そんなお話。

振り返ってみると、結構なりたいものがころころと変わる人間でした。幼少期は、バス、トラック、タクシーといった乗り物の運転手に憧れてましたね。特になりたかったのは、タクシーの運転手でした。当時はMT車が主流で、そのなかでもタクシーに関してはコラムシフトの車両をよく見かけました。今でも稀に遭遇しますが、巧みなギアさばきで車を操る姿はかっこよく見えたものです。

そんな幼少期を経て小学校も高学年になると、きっかけは忘れましたが社会情勢に関心を持つようになり、中学生では政治家になりたいと思うようになりました。世の中の矛盾や理不尽さに疑問や怒りが湧いていたころですね。何かと社会の問題点を見つけては批判をしているような、今思えばめんどくさい奴だったと思います。

一方で、目立つことが好きな思春期だったと思います。当時はお笑い好きでウケを狙ってバカなことをしてみたり、ひょんなことから演劇の舞台に立つことになって役者に憧れてみたり。とにかく、自己顕示欲は強めだったと思います。

高校生になると、世の中の役に立つことがしたいと考えるようになりました。その時は、なぜか官僚になることを考えてましたね。さらに、大学に進学するころには学者になることを夢見ていました。

でも、これらは今では成りたくないものや成れないものとして諦めているものばかりです。免許は取ってみたものの、運転そのものはあまり楽しくないですし、そもそも向いてないなと思いました。今後、自分で運転することはないと思います。芸人や俳優にしても、テレビできらきらしている様子を目日々見続けていると、自分とは住んでる世界が違いすぎると感じるようになりました。政治家や官僚に至っては、様々な利害が絡み合う中で生き延びていかなければいけないことを知ると、とても人生を賭けられないと思うようになりました。学者についても、ひとつのテーマを地道に追究するだけの集中力は自分にはないと悟り、選択肢から外しました。それでも、サラリーマンを辞めてから大学院には行きましたが。

ただ、これらの経験を通じて、自分のやりたいことのイメージが漠然とながら出来上がっていきました。私がやりたかったこと、それは「自分の感じたことや考えたことを表現して人に伝えて感化していく」こと、そのような存在になることです。特に思春期以降に憧れた職業は、そのための手段だったのです。しかし、それらとは違う別の方法で実現できると今では信じています。それは、私が現在フリーランスであることと密接に関係しています。

私が今、世の中に広めたいもの。それは「雇われない働き方」です。でもこれ、誰もがフリーランスや自営業者になるべきだ、というものではないんですよね。矛盾しているようですが。組織に属していようといまいと、自分の意思で生き方を選択できているかということが重要なのです。そんな生き方や働き方を人々ができるようになること、そのためのファシリテーター的な存在になることが私の目標です。実際にどうやったらそんな生き方が可能なのか、ということについては追々この場で綴っていきたいと思います。

書いているうちに全体がぼんやりした感じはありますが、今回はここまでにしておきます。

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