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Eternal Snow -雪の女王- ⑤


   4. 追跡

 真夜中、まだ夜もこれから深まろうかという刻限に、ハルは奇妙な胸さわぎがして目をさましました。部屋のなかはまっくらで、家の外からはげしい風の音だけがきこえてきます。
 ですが、その風の音にまじって、馬車がものすごいスピードで駆け去ってゆく音がきこえたような気がしました。
 窓辺に寄って外のようすをながめてみても、吹きつける風と雪のため視界がわるく、ほとんどなにも見分けることができません。しかしよく目をこらしてみると、となりの家のとびらが開けっ放しになっていて、強風にあおられガタガタとゆれているようすが確認できます。
 こんな夜更けに、それもこんな猛吹雪のなか、スノウはどこかに出かけたのでしょうか? ――いや、そんなはずはない、とハルはおもいなおして、あわてて上着を羽織はおるといそいで寝室からとびだし、玄関のとびらを開けてとなりの家にむかいました。
 すると、やはりとびらは開けっ放しになっていて、家のなかまで雪と風が入りこんでいます。
「スノウ、いるの?」
 そうよびかけながらハルは家のなかに入り、スノウがねむっているはずの寝室のとびらをノックしましたが、返事はありません。おそるおそるとびらを開けてみると、やっぱりそこにスノウのすがたは見当たりませんでした。
 でも、ベッドの上の毛布やシーツはわずかにみだれており、ついさきほどまでそこにだれかがいたような気配がのこっています。
 だとすれば、さきほどきこえた馬車の音は気のせいではなく、スノウはその馬車にのってどこかへ行ったということになります。
 しかし、こんな夜更けにどこへ出かけたというのでしょう。お父さんが急に帰ってきて、スノウをつれて行ってしまったのでしょうか。
 ――いえいえ、なんの前ぶれもなく、お父さんがスノウをつれてどこかへ行ってしまうことなど考えられません。ハルの胸さわぎと不安はよりいっそう大きくなってゆくように感じられました。
 ハルはふたたび家の外に出て、ちかくの雪の上をしらべてみました。すると、ついさきほど通ったばかりとみられる馬車のわだちの跡がのこっています。このあとをたどって行けば、まだ追いつけるかもしれません。しかしいそがないと、この大雪ではすぐに埋もれてわからなくなってしまいます。
 ハルはじぶんの家のなかにもどると、両親の寝室にとびこみ、二人をゆり起こして助けを求めようとしました。
「パパ、ママ、たいへんなの、スノウがだれかにつれさられちゃったみたいなの。ねえ、起きてよ、パパ、ママ!」
 どれだけ大きな声でゆさぶってみても、両親は起きる気配がありません。ハルはお父さんの顔にふれてみて、ハッとしました。
 両親二人のからだは、まるで凍りついてしまったかのようにつめたかったのです。とはいえ、二人ともわずかに呼吸をしているので、命に別状があるというわけではなさそうですが、すくなくとも目をさます見込みはありそうにみえません。ハルは動転して泣きだしそうになりましたが、同時に、いまじぶんのまわりで何が起こっているのかわかったような気がしました。
「雪の女王がきたんだわ」以前スノウがしていた話をおもいだしながら、ハルはつぶやくようにいいました。「雪の女王が、スノウをつれていっちゃったんだ」
 ハルはじぶんの部屋にもどり、冬用の服を着こんで準備をととのえると、家の外に出ました。
 雪の上に車輪の跡はまだのこっています。望みは薄いかもしれませんが、じぶんひとりでも雪の女王を追いかけ、スノウをつれもどすしか手段はありません。
 その車輪のあとをたどってハルは歩き出しました。しかし、夜間で視界がわるく、吹きつける風もつよくてまともに前がみえないため、いまじぶんが歩いている方角すらさだかではありませんでした。
 しばらく歩いていると、新聞配達をしている若者とすれちがいました。若者は風をしのぎながら歩いてる姿勢のまま、凍りついたように動かなくなっていました。
 まるでこの町全体が氷と雪の世界にとじこめられ、そこに住んでいるすべての人たちの時間が止められてしまったかのようです。
 なら、どうしてじぶんはそうなってしまわなかったのだろう、とハルはふとおもいましたが、いまは雪の女王を追いかけることにせいいっぱいでした。
 町の灯はどんどん遠ざかり、進めば進むほど雪は深くなり、歩くのも困難になってきました。そのうえ寒さがきびしく、たくさん上着を着こんでいてもこごえる空気は染み入って、からだがブルブルとふるえてきます。さらにわるいことは、足もとにみえていた車輪の跡もしだいに判別できなくなり、ついにとぎれてわからなくなってしまったことです。
 あたりにはまっしろな雪原しかみえず、ハルはもう進むことも退くこともできなくなりました。
 それでも立ち止まるわけにはいかず、足を前に進めました。
 それからどれだけ歩いたのか、どこへむかって進んでいるのか、もはやよくわからないまま、ひたすら闇雲に歩きつづけました。吹きつける風や雪はますますつよくなり、ハルの体力を容赦ようしゃなくうばってゆきます。
 そしてとうとう一歩も動けなくなり、その場に力つきてたおれてしまいました。
 ――と、そのとき、どこか、遠くから馬車の音がちかづいてくるような音がきこえてきます。
(スノウがむかえにきてくれたのかしら……)
 走る馬車の音はしだいに明瞭になってきて、ハルのたおれている場所をめざしてまっすぐ走ってくるようです。やがて、馬車が停まる気配がありました。馬車からだれかがおりてきて、こちらにむかって歩いてくるすがたがぼんやりとみえたような気がしましたが、それをはっきりと確認する前にハルの意識はとだえてしまい、そのあとのことはもうなにもおぼえていませんでした。






(つづく)