ペットコース大阪研修


『ペットと笑い合う会』というイベントがあったため、僕は学校のペットコース代表として大阪へ飛んだ。
 もちろん、僕一人で行ったわけではない。担任の教師である《赤ガッパ》の砂岡先生もいっしょだった。
 砂岡先生がなぜ《赤ガッパ》とよばれているのかというと、ふだんは青い顔をしているのだが、怒ると真っ赤な顔になるから《赤ガッパ》とよばれているのだ。
 今回の研修には、僕の愛犬である「ノブナガ」もいっしょにつれていくことになった。砂岡先生は猛反対したのだが――というのも、砂岡先生は大の犬嫌いなのだ。
 極度の犬アレルギーで有名な砂岡先生なのだが、なぜそんな人がペットコースの担任になったのかが不思議でならないのである。砂岡先生は犬よりも猫派なのだ。猫派というよりも、猫耳が好きなのだ。メイド服と猫耳が好きでたまらないそうなのだ。今回の研修旅行にも先生の愛猫である「ジュンコ」をつれていきたかったそうなのだが、今回のイベントは犬限定ということだったので、先生もしぶしぶあきらめたのだ。僕もほんとうは犬よりもワニのほうが好きなのだ。アリゲーターを前から飼いたかったのだが、食費がかかりそうなので今は我慢している。

 そんなこんなで僕たちは会場についた。会場にはたくさんの人と犬がいた。シベリアンハスキーからチワワといった、たくさんの犬たちがむらがっていた。
 すると、たちまち砂岡先生の顔が青ざめ、口から泡をふきだしながらぶったおれてしまったのだ。救急車で搬送されていく砂岡先生。ありがとう先生。先生のことはわすれないよ、たぶん。
 役に立たない先生のことは放っておいて、僕はひとりでこのイベントを楽しもうと決意した。とはいうものの、そもそも『ペットと笑い合う会』というのは、どういった趣旨のイベントなのだろうか。いったいペットとどう笑い合えばいいのだろうか。
 ちなみに、僕の愛犬の「ノブナガ」は基本的に無愛想である。もうかなりの高齢で、「伏せ」や「お手」もろくにできないほどの老犬なのだ。こんな老犬とどう笑い合えというのか。昔ばなしでもして盛り上げれというのだろうか。彼はもはや朽ち果ててゆくのみの肉体なのだ。そうだ、敵は本能寺にあるのだ。
 今一つこの企画の趣旨を理解できないまま、無情にも時間は過ぎ去っていった。
 他の参加者の様子はどうだったのかというと、みんな笑っている。飼い主同士でたのしくおしゃべりしながら笑い合っている。ペットが笑っているのかどうかはわからないが、とにかくみんなたのしそうだ。
 僕は気がついた。このイベントは『ペットと笑い合う会』ではなく、『ペットの飼い主同士が笑い合う会』なのだ、と。
 結局僕はだれとも笑い合うことがないまま会場をあとにした。
 そういえば砂岡先生はどうなったのだろう。あれから連絡ひとつない。もしかしたら死んだのかもしれない。それはそれでいい。形あるものはすべて滅びる運命なのだ。
 そうだ、ノブナガも先生も僕も、いずれは滅び去る運命なのだ。しみじみそう思いながら僕は大阪の地を去った。

 この研修旅行の三カ月後、ノブナガは近くの動物病院で息をひきとった。老衰だったそうだ。
 あと、大阪の病院に搬送された砂岡先生だが、搬送されて数時間後に亡くなっていたらしい。先生の葬式がしめやかに行われたらしいが、僕は参列しなかった。

 この研修旅行で失ったものは大きく、得られたものは少なかった。
 しかし僕はこの研修を通して、「死」というものを身近に感じ、同時に「生きる」ということの尊さを感じ取ったのはたしかだ。僕は先生とノブナガにそれを教わった。

 僕は現在、念願のペットであるアリゲーターの「イザベラ」を飼っている。食費はかかるが、やっぱりペットいうものはいいものだと思った。




(おわり)




※注意

これは押入れを整理していたときに発見した学生時代にふざけて書いた作文です。もちろん提出などしていません。
登場人物ならびに設定は完全なるフィクションです。真に受けないでください。