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Eternal Snow -雪の女王- ⑥


   5. 魔法使いの家

 目をさますと、ハルはあたたかいベッドのなかにいました。
 ゆっくりと起き上がり、あたりを見まわしてみると、そこは古い民家の一室のようでした。部屋のなかにはちいさなテーブルとイスが一脚ずつ、それからすこし離れたところでは暖炉の赤い火がぱちぱちと音を立てながらもえていました。
 ちょうどそのとき部屋のとびらが開いて、ひとりのおばあさんがパンとスープのお皿をのせたトレイをはこびながらなかに入ってきました。
 おばあさんはその食べ物がのせてあるトレイをテーブルの上に置くと、「さめないうちにお食べ」とだけいいました。
 焼きたてのパンの香ばしいにおいが部屋じゅうにひろがり、野菜がたっぷり入ったスープは白いゆげをもくもくとたたせています。
 ハルはとてもお腹がすいていたので、ベッドから離れるとテーブルの前のイスにすわり、「ありがとうございます」とお礼をいってから食事に手をつけました。
 そのようすをみたおばあさんは、安心したようにうなずいて部屋を出て行きました。
 ハルはパンを食べながら、あのおばあさんがわたしを助けてくれたのかしら、とおもいました。
 食事がすむと、ふたたびおばあさんがやってきて、あたたかい飲み物が入ったカップをテーブルの上におきました。
「お飲み、それを飲んだら、ベッドに入ってゆっくり休むんだよ。あしたにはすっかり元気になってるはずだろうからね」
 ハルはいわれたとおりカップに入った飲み物をのんでみました。すこし苦い味がしましたが、飲んだとたん、からだがぽかぽかとあたたかくなり、頭のなかはすっきりとして、身も心もかるくなったようでした。
 すると、またもや眠気におそわれたハルは、ベッドにもどるとすやすやと安らかなねむりにつきました。


 ふたたび目をさましたとき、おばあさんのいっていたとおり気分もすっかりよくなって、ハルは元気よくベッドから起き上がりました。
 いろいろお世話になったおばあさんに恩返しをするため、ハルは家のそうじをしたり、厩舎にいるウマやニワトリのめんどうをみたり、料理のてつだいをしたりしました。
 おばあさんはとても親切で、この家にひとりで暮らしているようでした。いっしょに食事をしているあいだ、地方につたわる民話や神話など、興味深い話をいくつもきかせてくれました。
 外の天候もすっかり回復して、空には雲ひとつなく、さんさんとまぶしい日差しがふりそそいでいました。しかし、それでもまだ空気はこごえるほどつめたく、降り積もった雪がとける気配はありませんでした。
 おばあさんの家は人里はなれた山間やまあいの平地にぽつんと建っており、付近にほかの民家は見当たりません。
 いろいろとおばあさんの仕事をてつだっていたハルは、なにかたいせつなことを忘れているような気がしましたが、それが何だったのか、いくら考えても思い出すことができませんでした。だれかをさがしていたようにおもうのですが、その人の顔もなまえも出てこなかったのです。
 ですが、毎日おばあさんの家でてつだいをしながら過ごしているうちに、そんな疑問すらわいてこなくなっていました。
 そんなある日、書斎の整理をてつだっていたときのことです。本はどれもぶあつく、ページをひらいてながめてみても、なにが書いてあるのかちんぷんかんぷんでした。床にたくさん積まれてあるその本を棚にもどそうとしたそのとき、ふと壁ぎわに目をやると、たくさんの写真が額縁がくぶちにいれられ飾ってあることに気がつきました。
 どれも古い写真ばかりで、おそらくおばあさんの若かったころとおもわれる女の人が写った写真や、その友人や家族といっしょに写っている写真ばかりでした。若いころのおばあさんの顔はどれもしあわせそうにわらっています。
 そのなかに一枚、ちいさな男の子と女の子がなかよくあそんでいる写真がありました。この子どもたちがおばあさんの親族のだれなのかわかりませんが、その写真をじっとながめていたハルは急に胸が熱くなり、瞳から自然となみだがポロポロとこぼれてきました。
 その瞬間、ハルはいままでわすれていたことをすべて思い出しました。スノウのことも、雪の女王のことも、それから凍りついたまま動かなくなってしまった両親や町の人たちもことも、すべて思い出すことができたのです。
 ハルはいそいでおばあさんのところに行き、そのことを話しました。おばあさんは顔色ひとつかえず、しずかに耳をかたむけていました。そして、話をききおわるとだまったまま部屋を出て行き、しばらくするとまたもどってきました。
 おばあさんはいつでもハルが旅立てるように、あたたかい毛皮のコートと丈夫な革製のブーツを与えてくれ、さらに数日分の食べ物もふくろに入れてわたしてくれました。それからハルといっしょに家の外に出ると、遠くの山々がつらなる一方向をゆびさしました。
「あの高くそびえた山を越えたところに冬の国があるんだよ。でも、おまえさんのそのかよわい足ではあの山を越えることはとうていできないだろう。だから、この地図をわたしておくよ。この地図が示すとおり歩いて行けば山を迂回して冬の国まで行くことができるからね。かなり遠回りになるけど、そのほうが確実に行けるはずだ」
 そういうと、おばあさんは古びた地図を手わたしました。それからもうひとつ、ふしぎな紋様がきざまれた木彫りの首飾りをハルの首にかけました。
「雪の女王の魔力はとてもおそろしいときくよ。この首飾りにはね、うちに代々伝わるおまじないがしてある。道中、おまえさんを守ってくれるはずだ。ほんとうなら、馬車で送ってあげたいところなんだが、あたしでもあの国には容易に近づくことができないんだよ。だから、してあげられることはこれくらいだ、ごめんよ」
「ありがとう、おばあちゃん」
 ハルはおばあさんにだきつくと、なんども頬にキスをしました。
「わたし、スノウといっしょにかならずここへもどってくるわ。そのとき、またいっしょに食事をしたり、おもしろいお話をきかせてね」
 おばあさんはやさしくほほえみながらも、どこかさびしそうな顔になって答えました。
「わるくおもわないでおくれ。記憶を消してしまったのは、そのほうがおまえさんのためになるとおもっていたからなんだよ。だけど、あたしのかけたおまじないを解いてしまうほど、おまえさんがその子を想う力は強いようだ。気をつけて行くんだよ。あんたのたいせつな人をかならずとりもどしておいで」
 ハルはもう一度お礼をいっておばあさんから離れると、降り積もってかたくなった雪の上を歩き出しました。
 歩きながら、ハルはなんどもうしろをふりかえってみました。
 おばあさんはまだ家のまえに立っていて、遠ざかるハルのすがたを見送っていましたが、やがてそのすがたもみえなくなりました。





(つづく)