Eternal Snow -雪の女王- ⑧
7.
「春の国」という名称から、あたたかい日差しにつつまれ、色あざやかな草花や豊かな木立にかこまれた明るい国を想像していたハルでしたが、いざ到着したその国の町なみは、そのイメージとはそぐわないものでした。
空はどんよりとくもって太陽の光はさしこまず、町のなかは他の土地と同様、まっしろな雪におおわれていたのです。ここがほんとうに春の国なのかしら、とハルがおもったのは、むりもないことでしょう。
馬車は城下町のなかをまっすぐ駆けぬけると、まもなくお城がみえてきました。
ずいぶんと古い建築様式のお城でしたが、はじめてちかくでお城をながめてみたハルの目には、とてもりっぱな建物に映りました。
馬車はお城の前で止まると、ハルは衛兵といっしょに馬車から降り、そのまま案内されてなかに入りました。
豪華な装飾や調度品にかこまれた城内に、ハルはおもわずきょろきょろとしてしまいました。そして王の玉座がある広間に通されると、ふたりの衛兵は王さまの前で片ひざをついて頭をさげ、それからひとりが王さまにちかづき、小さな声でなにかを報告しました。
衛兵のすぐうしろに立っていたハルはどうしてよいのかわからずオドオドしていましたが、玉座にすわっている王さまがこちらに目をやると、おもわずどきっとしてあわてて頭をさげました。
「そうかしこまらずともよい」
王さまはハルにむかってやさしくいいました。
「衛兵からきいた話では、冬の国にむかっているそうだが、それはほんとうかね」
「は、はい」ハルは緊張のあまり、少しうわずった声で答えました。
「ふむ、しかし、兵からすでにきいたとおもうが、いま冬の国にはいかなる者も容易に近づくことができない。雪の女王のおそろしい魔力は年々つよくなり、うかつに近づこうものなら、またたく間にそのからだは凍りつき、動かなくなってしまうという報告をうけている。そのような危険な場所へ、いったいどのような目的でめざすのだね?」
ハルはじぶんが旅立つことになった経緯を話しました。王さまは神妙な顔つきでその話に耳をかたむけていましたが、ハルの話をききおわると、こんどは王さまのほうから口をひらきました。
「知ってのとおり、冬の国は雪の女王が治める国であり、かつてこの春の国と冬の国は同盟国であった。それまで親しい交流がつづいておったのだが、あるときを境にその交流がぱったりと途絶えてしまった。その真意は定かではないが、雪の女王が強力な魔力をあやつるようになり、冬の国の領土を少しずつ拡大しはじめたのは、ちょうどそのころと時を同じくする。温暖な気候でたくさんの草花にかこまれたうつくしい土地だったわが国も、冬のつめたい空気に閉ざされてごらんのありさま。われわれも雪の女王と話し合いをするため特使を派遣したりしたのだが、さきほども申したとおり、冬の国に近づくことすらままならぬ。そんなおり、冬の国にたったひとりでむかっているというそなたが現れた。衛兵の話では、なにやらふしぎな魔法の力がつかえるそうだな。それがもし事実であれば、そなたなら冬の国にたどりつけるやもしれぬ。そこでひとつ頼みがある。われわれの代理人として冬の国へむかい、この問題を解決できるよう、雪の女王と話し合いをしてもらいたいのだ。むろん、こちらもそのために助力を惜しむつもりはない。どうだ、引き受けてはくれまいか」
ハルは王さまの話をきいてすっかりとまどってしまい、どう返事をすればよいのかわかりませんでした。まず、王さまがいうようなふしぎな魔法の力など、ハルにはまったくつかうことなどできません。たしかに動物たちの声がきこえたり、こごえるような寒さを感じなくなったり、ふしぎなことは起きていましたが、それはおそらくおばあさんからもらった首飾りにこめられたおまじないのおかげなのだとハルは信じていました。だからそのことを説明しようとおもいましたが、どういえばうまく伝えられるでしょうか。王さまやこのお城に仕えるものたちは、ハルのことを魔法使いだとおもっているようです。ほんとうのことをいってしまうと、失望されてしまうのではないかという気配りがありますし、かといって、このまま魔法使いだとおもわれているのも居心地のわるさを感じます。だからハルはなにもいえず、まごまごと突っ立ったまま、だまっていることしかできませんでした。
そのようすをみかねた王さまが、やさしく気づかうようにいいました。
「見ず知らずの、それもまだ幼いそなたにこのような責務を負わせるのは酷だということは承知のうえで頼んでいる。むろん、こちらもむりにというつもりはない。よしんばことわったとしても、そなたを丁重にもてなすことを約束しよう。もし、じぶんの住む町に帰りたいというのなら、衛兵たちに命じて馬車で送らせるよう手配するつもりだ。だから、そなたがどのような決断をしたとしても、気に病むようなことではない」
「わたしは――」ハルはようやく心をきめてしゃべることができました。「わたしは、なんとしてでも冬の国に行って、たいせつな人をとりもどさなくてはなりません。もちろん、雪の女王に会うのはこわいですし、王さまがねがっているようなことがわたしにできるかどうかわかりません。でも、わたしは冬の国にいきます」
「――そうか、うむ、あいわかった」と、王さまはちいさくうなずきながらいいました。「明朝、馬車で衛兵たちとともに、冬の国にかぎりなく近づけるところまでそなたを送ってゆこう。今晩はわが城に泊まり、ゆっくりと休むがよい」
王さまが合図をだすと、使用人のおばあさんがやってきて、ハルを客間に案内するよう命令しました。
ハルはおばあさんに案内されて来客用の部屋に通されました。来客用の部屋といっても、その部屋は自宅の部屋とはくらべものにならないほど広く、ベッドやテーブルもみたことがない大きさで、ハルはなんだか少しおちつかない気がしました。
おばあさんはテーブルに沿っていくつもならべられたイスのひとつを引いて、ハルにすわるよう促すと、じぶんは部屋から出て行きました。
するとまもなく、こんどは若い女の使用人たちがやってきて、豪華な食事がテーブルの上に置かれました。ハルはとてもお腹がすいていたので、ひとことお礼をいってから食べはじめました。どれもいままで食べたことがないくらいおいしいものばかりでしたが、魔法使いのおばあさんの家で食べたスープやパンのほうがおいしいと感じたのだからふしぎです。
食事をすませ、おなかがいっぱいになったハルは、明日にそなえて早めに休むことにしました。
歩きつかれていたので、ベッドに入って横になればすぐにねむれるとおもっていたのですが、目を閉じているとさまざまな感情や不安がおしよせてきて、なかなか寝つくことができませんでした。
(スノウはいまごろどうしているのかしら。わたし、ほんとうにスノウをとりもどして、お父さんやお母さん、それから町の人たちや、この国の人たちを助けることができるのかな……)
そうこうしているあいだに夜もふけ、お城のなかはすっかり寝しずまり、あたりはしんとした暗闇につつまれていました。
ねむれぬまま目を閉じて時間を過ごしていると、ふと、どこからともなくピアノの音色がきこえたような気がして、ハルはからだを起こし、耳をすましてみました。かすかにひびいてくるそのピアノの旋律は、たしかにお城のなかのどこかからきこえてきます。
ハルはベッドの上からぬけだすと、その音楽がきこえるほうへ、まるでみちびかれるように歩き出していました。部屋のそとは夜気がひんやりとつめたく、高窓からは青白い月の光がこうこうとさしこんで、足もとをあかるく照らし出しています。
わたり廊下をひたひた歩いていると、その音色はよりはっきりときこえるようになりました。やがてその先にあるとびらのすきまから光がもれているのをみつけたハルは、こっそりと部屋のなかをのぞいてみました。
そこは舞踏会でも開けそうなほど広い部屋でした。すみのほうには大きなピアノがあり、だれかがすわって心地よいメロディーを奏でています。ただ、こちら側からはそのうしろ姿しかみえなかったため、それがだれなのかまではわかりませんでした。
目をとじ、ピアノの音にきき入っていたハルでしたが、そのときふいに眠気がおそってきて、ウトウトしたはずみにおもわずとびらを押してしまい、動いたとびらのきしむ音が大きくひびきわたりました。
その物音と同時にピアノの音が止み、演奏していた人物がハッとこちらにふりむきました。ピアノをひいていたのは春の国の王さまでした。さきほどとはちがい、寝衣を身にまとっていたので、すぐには気がつきませんでした。王さまはさほどおどろいたようすもみせず、とびらのちかくまで歩いてくると、おちついた口調で話しかけました。
「おや、もうしわけない、起こしてしまったかな」
ハルはあわてて首を横にふりました。
「ふむ、わたしもねむれぬ夜など、こうやってむかし習った楽器などをひいたりして気をまぎらわせているのだ。まあ入りたまえ、あたたかい飲み物でも用意しよう」
王さまはそういうとハルをちかくのテーブルにまねき、イスにすわるよう促しました。それからコップに暖炉の火であたためていたミルクをそそぎ、ハルのまえに置きました。王さまはじぶんのコップにべつのポットに入ったコーヒーをそそぐと、向かいがわにあるイスにすわりました。
「むかしはよく各地の要人をまねいて、ここで晩餐会や舞踏会を開いたり、音楽の発表会などをしてにぎやかだったものだ。あのころは冬の国の女王もよくこの国を訪れて共に食事をしたり、ダンスを踊ったり、じつにたのしかった」
ハルはミルクの入ったコップに口をつけながら王さまのほうをみて、その話に耳をかたむけました。
「わたしと冬の国の女王はかつて結婚のやくそくを契りあった恋仲であった。だれにでもやさしく聡明だった彼女が、ある日とつぜん氷のようなつめたい人となり、強大な魔法の力をあつかうようになってから、すべてが変わってしまった。親しかった冬の国との交流は途絶え、女王とわたしの婚約も破談になってしまった。それから月日はながれ、わたしは親族のすすめにしたがって、縁故のある隣国の姫君と結婚した。それなりにしあわせな結婚ではあったが、その妻ももう三年ほど前に病気のため他界してしまった。わたしと妻のあいだには娘がひとりいるのだが、その娘も現在行方不明となっている。雪の女王にさらわれてしまったのではないかという噂もあるが、よもやそれもあるまい。武芸の腕こそ立つが、どうにも利かん気な娘でつねづね城を出たいと息巻いていたような子だ。各地に兵を派遣してさがしまわっているのだが、いまごろどこでどうしているのやら……」
王さまは飲みかけのカップをテーブルに置くと、少しもの思いにふけったような表情をうかべたまま、ふたたび話をつづけました。
「だが、いま優先して解決すべきことは、雪の女王の強大な魔法の力を封じ込めることだ。そなたは雪の女王につれされれたたいせつな人をとりもどしたいということだったな。すべてがうまく運ぶことをわたしも心からねがっておる」
そういうと王さまはイスから立ち上がり、ハルのちかくまで寄って上着のポケットからなにかちいさく光るものをとりだし、それを手わたしました。うけとったものを確認してみると、それはちいさな赤い宝石がはめこまれた、とてもきれいな指輪でした。
「それはかつて婚約を交わした冬の国の女王にわたすつもりだった指輪だ。いまとなってはもう遅いが、もし女王に会うことができたら、それを彼女にわたしてほしい。そして、『約束を果たすことができなくてもうしわけない』と、それだけを伝えてくれるとありがたい」
ハルはその指輪をしばらくじっとみつめていましたが、やがてちいさくうなずくと、「雪の女王に会うことができたら、かならずわたします」といいました。
王さまもちいさくうなずきかえすと、「さて、わたしもそろそろ休むとしよう。そなたもじぶんの部屋にもどってゆっくり休むがよい」といって寝支度をはじめました。
カップに入ったミルクを飲みほすと、ハルは王さまにお礼をいってじぶんの部屋までもどって行きました。そしてふたたびベッドのなかにもぐりこんで目を閉じると、こんどはすぐにまどろんできて、まもなく深いねむりにつくことができました。
(つづく)