見出し画像

Eternal Snow -雪の女王- ⑩


   9 . 冬の国

 冬の国に近づくにつれて、それまでおだやかだった天候はみるみるうちにくずれはじめ、もうれつな風雪が吹きすさぶようになっていました。
 はげしい吹雪のなか、走りつづけていた馬の体力もそろそろ限界に近づいていました。冬の国まであとすこしというところで馬は立ち止まってしまい、そのまま動かなくなってしまったのです。ハルと娘は馬から降りると、それからさきは徒歩で進むことにしました。
 風と雪の嵐は容赦なくハルたちをおそいました。それからまもなく冬の国の城下町にたどり着くことはできましたが、町のなかはすっかり雪と氷におおわれており、人がいる気配はまったくありませんでした。
 ハルたちは雪の女王がいるお城をめざして、町の中央をまっすぐつらぬいている大通りの道を歩いて行きました。しかし、その途中で娘が急に力が抜けたようにうずくまると、そのまま動くことができなくなってしまったのです。
「ちくしょう、せっかくここまできたってのに……」
 娘はくやしそうにつぶやきました。ハルは娘のそばにかがんで、はげますように声をかけました。
「がんばって、あと少しでお城にたどり着けるから」
「……そうしたいところだけど、もう、からだが動かないんだよ。……ざんねんだけど、あとは、あんたひとりで行きな」
「だめよ、いっしょに行きましょう」
 ハルはおばあさんにもらった首飾りをはずして、それを娘にわたそうとしました。この首飾りにはふしぎなおまじないがしてあって、これを身に着ければ少しでも寒さがやわらぐはずだとハルは説明しましたが、娘はそれを受取ろうとはしませんでした。
「あんたって、ほんとにふしぎな子だね。……父上があんたにすべてを託したのもわかる気がするよ。……あんたなら、ほんとうに雪の女王をどうにかできるかもしれない。……あたしのことはいいから、先に進みな……そして、あんたのたいせつな人と――それから……」
 娘の意識はそこで途切れ、力つきてその場にたおれてしまいました。それでもハルは何度も娘に話しかけ、抱え起こそうとしましたが、そのからだはもう凍りついたように動くことはありませんでした。
 ひとりぼっちになってしまったハルの瞳からは、ぽろぽろと涙のしずくがこぼれてきました。それでも、すぐに涙をぬぐってまっすぐ正面をみつめると、立ち上がって雪の女王のお城をめざして歩き出しました。
 小高い丘の上に建っているお城にたどり着くには、長い階段をのぼらねばなりませんでした。一段、また一段と階段をのぼるたびに、もうすぐスノウに会えるといううれしさと、たったひとりで雪の女王と対峙しなければならないかもしれないという不安が、ないまぜになって募ってゆきます。
 そしてとうとうお城の大きな城門の前までくると、かたく閉ざされていた門はまるでハルをむかえ入れるかのように、きしむ音を立てながらゆっくりと開きました。ハルは用心しながら城内に入りましたが、大広間はがらんとして人影はありませんでした。
 どこに行けばよいのかわからず、ハルはしばらく辺りを行ったり来たりしながらうろうろしていましたが、しばらくすると正面にある大きなとびらが開き、ひとりの少年がこちらにむかって歩いてきました。
 その少年のすがたをみて、ハルはおもわず「あっ!」と声が出そうになりました。
 少年の顔は雪のように白く、いつもの服装とはちがって、汚れひとつないきれいな衣装を身にまとっていたので、一瞬だれだかわからなかったのですが、その少年はまちがなくスノウでした。
「ああ、スノウ、とっても会いたかった!」
 ハルはよろこびのあまりスノウにとびついて抱きしめましたが、すぐにハッとなって離れました。スノウのからだはまるで氷のようにつめたく、触れているだけで体温がうばわれてゆくほどでした。
「ハル、きみならきっとここまで来てくれるとおもっていたよ」
 スノウはやさしくほほえみながらそういいました。でも、その表情はどこかうつろで、目には光が宿っていませんでした。
「女王さまはね、この世界全体を氷のなかに閉じこめて、魔法の力でだれもが望む幸せにあふれた世界につくり直すつもりなんだ。ぼく、きみもいっしょにそこへつれていってくれるよう、いっしょうけんめい女王さまに頼んだんだよ。女王さまは、きみがもしここまでたどりつくことができたら、そのときはふたりを幸せの国につれていってくれるとやくそくしてくれたんだ。その国には、もうぼくたちをバカにしたり、わるくいう人たちもいない。ぼくたちはそこで、いつまでも幸せにくらすんだ。さあ、いっしょに行こうよ、ハル……」
 スノウは手をさしのべながら近づいてきましたが、ハルはあとずさりをしながら首をよこにふって答えました。
「あなたは雪の女王の魔法の力でおかしくなってるのよ。目をさまして、スノウ。いっしょにわたしたちの住む町へ帰りましょう」
「ぼくはおかしくなんかなってないよ」と、スノウは冷然と言い返します。「おかしいのは、ぼくたちがいるこの世界すべてさ。ここには、醜いものばかりがあふれているだろう? だから女王さまは、それらすべてを消し去って、ほんとうにきれいなものだけが残った世界を望んでいるんだ。それのなにがいけないというのか、ぼくにはわからないよ。ハルだってそうだろう?ぼくといっしょに行こうよ、女王さまが待ってるんだ、さあ……」
「わたしは行かないわ」ハルはきっぱりと拒絶しました。「どうしちゃったの、スノウ。あなたはそんなに弱い人じゃないはずよ。雪の女王の魔法なんかに負けちゃだめ。だからおねがい、目をさまして、スノウ……」
 その瞬間、スノウの表情からほほえみが消え、さしのべていた手をおろしました。
「そうか……ざんねんだよ、きみだけはわかってくれるとおもっていたのに……」さびしさにうちしずんだ声でスノウが答えます。「さようなら、ハル。……ぼくは女王さまといっしょに行くよ」
「まって、スノウ!」
 ハルは立ち去ろうとするスノウを追いかけようとしましたが、足が動かず、前のめりに倒れそうになりました。いつのまにか足もとがすっかり氷におおわれて、動きが封じられていたのです。
「まって、行かないで!」ハルのさけびもむなしく、スノウは正面のとびらを開くと、そのむこうへ行ってしまいました。
 ひっしにもがいてなんとか氷から足を引きぬこうとしましたが、なかなかおもうようにはいかず、じたばたもがいていると、履いていたブーツがすっぽりとぬげ、ハルはいきおいよく前方にころげてしまいました。ともあれ、これで自由に動くことができます。ハルはぬげたブーツをそのままにして、裸足でスノウのあとを追いかけました。城内の床は痛みを感じるほどのつめたさでしたが、もはやそんなことなどたいして気になりませんでした。
 正面のとびらを開くと、そこは玉座の間でした。ですが、そこにはスノウのすがたも雪の女王のすがたも見当たりません。
 広間にはからっぽの玉座のほかにめぼしいものはなく、ひどく殺風景な印象をうけました。でも、ハルはたしかにスノウがこの広間に入って行くのをみました。なのに、だれもいないというのは奇妙です。ほかに出入り口やとびらのようなものがないか、広間のなかをしらべていると、玉座のうしろの壁に立てかけてある、一枚の古ぼけた大きな鏡のまえで立ち止まりました。みたところ、なんの変哲もない、ただの鏡のようにおもえましたが、なぜかハルにはその鏡がふつうの鏡ではないような気がしたのです。
 その鏡にはじぶんのすがたがうつしだされていましたが、その顔はどこか不満げで、憎たらしくゆがんでいるような気がしました。なんだか気味がわるくなり、そのすがたから目をそらそうとしたそのとき、その鏡にうつる醜い顔をした自分自身が、ハルにむかって話しかけてきました。
「こんなところまでなにしにきたの? あんな意気地のない弱虫、ほうっておいて帰りましょうよ」
 ハルはびっくりして一瞬たじろぎましたが、すぐに気をとりなおし、鏡にうつったじぶんをきっとにらみつけました。どうせこれも、雪の女王がしかけた魔法の力による幻惑だとおもったのです。
「スノウはどこにいるの? もういちどスノウに会うまで、帰るつもりはないわ」
「そんなつよがりをいってもだめ」鏡にうつったハルはうすわらいをうかべながら、きびしくとがめるようにいいかえしました。「スノウは変わってしまった。あなたの知っているスノウは、もうここにはいない。スノウの心は雪の女王さまのものよ。あなたのことばなんか、彼の心にはとどかない。なにもかもあきらめて帰りましょう。こんなろくでもない世界なんか、ぜんぶ凍ってなくなってしまえばいいんだわ」
「おねがい、スノウと話をさせて。あといちどだけでいいから」
 ハルはそれでも退こうとはしません。
「スノウはもう、あなたとは会いたくないみたい。それでも、会いたいの?」
 ハルはちいさくうなずきました。その目はまっすぐ鏡のなかのハルをみつめています。その表情には、いっさいの迷いも、ためらいもにじんではいませんでした。
「ふん、バカみたい! あんなやつのために、そこまで真剣になるなんて。まあいいわ。そんなに会いたいのなら、会わせてあげる。でも無駄だとおもうけど。スノウはもうあなたのことなんか、なんともおもっていないもの。せいぜい、じぶんの無力さを噛みしめればいいわ」
 そういうと鏡のなかのハルはすがたを消し、鏡面はぽっかりと開いたまっくろな穴へと変わりました。その穴に手をさしのべると、ハルのからだは吸いこまれるように鏡の中へ入りこんでしまいました。








(つづく)