アヒルのトーマス #2
約束の時刻よりちょうど十五分ほど前に、アルバートたち一行はやってきました。トーマスはアルバートのほかに、数名の友人を招いていました。彼らは反目しあうアルバートとは違って、みんな気のよい研究者仲間たちでした。
カモノハシで昆虫研究家のアンリ、ハクチョウの考古学者ダルトン、数学者で好物の豆の数をかぞえるのが大好きなカワラバトのデンター、ちょっと変わったところでは、あわれな動物保護団体なる組織の責任者であるシャム猫のピーターがやってきました。
アルバートをのぞく全員は今夜の晩餐会をトーマスの新作発表会とはしらず、ただの食事会だとばかり思っていましたので、すっかり食卓の準備がととのった部屋に通されると、すぐさま各々の席へと腰をおろしました。ただアルバートだけが、たれさがったつぶらな瞳を不機嫌そうにひくひくさせながら、その巨体をせまい部屋のなかにすべりこませるようにしてなんとか席につくことができました。
ほどなくして、トーマスが部屋のなかへ入ってきました。彼は自動車椅子(トーマスは自分の座る動く椅子をそう呼んでいました)を軽快に走らせながら、所定の位置につきました。
「ようこそ、ようこそ。おいそがしいなか、わざわざおいでいただき感謝いたします。さあ、さあ、堅苦しいあいさつは抜きにして、うでによりをかけてつくった料理をいただこうではありませんか」
トーマスのあいさつを口火に、皆一様にナプキンを手にとって首もとに巻き、ナイフとフォークを握って食事に手をつけはじめました。トーマスもスプーンでスープをすくうと、ひとくちすすりました。やっぱり少し塩からいようです。しかしだれも料理の味付けに文句をつけるものはありませんでした。アンリはフォークでコオロギのからあげをコロコロころがしていましたし、デンターはスープに入った豆の数をたんねんにかぞえているようでした。ピーターは何を考えているのかわからないといったような不思議な顔つきで料理を口にはこんでいましたし、アルバートはあいかわらずむっつりとして椅子に座ったままうでを組み、料理には手をつけようとしません。ただダルトンだけがしずかに食事を堪能しているようでした。
やがてどこからともなく会話がはじまりました。それはだいたいたわいもないよもやま話で、こむずかしい科学や研究の話などはおくびにも出そうとはしません。食事もあるていど進み、会話もそこそこはずんできたところで、このタイミングとばかりにトーマスが口を開きました。
「コホンコホン。ええ、みなさま、食事もそこそこに、会話も盛り上がってきたところで、ちょっとわたくしの話を聞いていただきたいのです。本日、こうしてみなさまにお集まりいただいたのは、もちろん親睦を深めるためもありますが、じつはもうひとつ、ぜひお披露目したいものがあったためであります。それはわたしが長年温めていたすばらしいアイデアのひとつであり、このたびとうとうそれを実現させることに成功したのです。今晩はぜひともその発明品をみなさまに披露し、ご意見、ご感想をたまわりたく集まっていただいた次第でございます」
トーマスはそう話をむすぶと、一同の顔を見渡しました。客人のなかの何人かは、はじめからこうなることをうすうす予感していたようです。ちょっと間をおいてから、まばらな拍手が起こりました。ただ、さきほどからずっと目をつむってうでを組んだまま黙り込んでいたアルバートは、このトーマスの発言にようやくたれた耳の片方をぴくりと動かし、同時に片方の目をぱちりと開きました。
トーマスはかたわらにはべっていたノエルに、手振りで何かを指示しました。
ノエルは心得ているように部屋を出て、しばらくすると白い布で覆われた台車を引きながらもどってきました。言うまでもなく、この台車にのせられたものこそ、このたびトーマスが完成させた発明品なのです。
トーマスはもったいぶった様子でその覆われた白い布を払いのけると、台車の上には大きな四角い金属製の箱のようなものが置かれてありました。
さて、一同はその鉄の箱に目をみはりました。一目見ただけではとくべつ変わったところは見受けられません。ただ、その鉄の箱のうしろからは幾本もの配線が見え、そのすぐとなりにはものものしい突起物のついた半円形のかぶり物らしきものが置いてあります。
いったいどんなすごいものがでてくるのかと期待していた一座は、ややしらけた雰囲気になりましたが、その程度の反応はトーマスも想定内でした。彼はさっそく自信たっぷりに説明をはじめました。
「さて、みなさまの目にはこれがただのつまらない鉄の箱に見えたのではないでしょうか? とんでもありません。この鉄の箱こそが、わが生涯最高の発明品ともいえる大傑作なのです。わたしは長いあいだ、いまわしい物忘れとたたかってまいりました。もはや改善の余地のない、一生付き合っていかなければならぬ性質だとあきらめていたのです。しかし、その悩みにもいよいよ終止符が打たれるときがきました。そう、この機械がすべて解決してくれるのです。ではさっそく、その方法を説明いたしましょう。
まずはこの鉄の帽子をかぶります。すると、この機械から特別な電流がながれ、脳神経を刺激します。安心してください、けっして苦痛などありません。むしろ心地よいくらいの電流なのです。するとあらふしぎ、物忘れなどすっかりなおってしまって、しかも以前より頭脳は冴えわたって明敏になるといった効果さえあるほどです。もちろん、今まで何人かの友人に協力を得て、すでに試用実験をおこなっております。結果はとうぜん成功です。とくにフラミンゴのカルタスくんにいたっては、長年の悩みであった物忘れをすっかり克服し、さらに頭も良くなったことで、さいきんシェパード動物大学に入学できたといいます。さあ、どうでしょうか、これほどすばらしい発明がほかにありますか? どうぞみなさんのご意見をお聞かせください」
トーマスの熱意のこもった説明に一同も固唾をのんで聞き入っていましたが、面持ちはどうも半信半疑な様子でした。じっさい、その場にいた誰もがそのような都合のよい発明品があるものかという顔つきをしていたのです。
しかし、ずっと黙っていたのでは気まずいと思ったのか、まずはハクチョウのダルトンが、
「じつはさいきん歳のせいか物忘れがいっそうはげしくなりましてな。それがもしなおるのなら、ぜひ試してみたいものですわい」
と言ったのを皮切りに、となりに座っていたカワラバトのデンターも、
「ぼくも、きみの説明を聞いているうちに、かぞえていた豆の数を忘れちゃった」
と言い、カモノハシのアンリは、
「このコオロギのからあげはとても美味だね。どこで捕ったのかぜひ教えてほしいな」
とあまり関心なさそうでしたし、シャム猫のピーターにいたっては、
「ああ……、あわれな小動物たち……、コオロギにしても、このイトミミズにしても、下等な動物である彼らは、より高等な動物であるわれわれに食べられてしまう運命にあるのだ……。ああ、せめてわたしの血となり肉となることで成仏しておくれ……」
とつぶやきながらほろほろ涙をながして料理を口にしていました。
なによりも気がかりだったのが、やはり同じ発明家であるアルバートの反応です。アルバートはあいかわらずうでを組んだままむっつりとした表情で、じっとトーマスの発明品をながめていました。
「どうです、アルバートさん。わたしの発明品は。すばらしいと思いませんか?」
トーマスは自慢げにそうたずねました。アルバートはトーマスのほうをちらっと見ただけで、ふたたびむすっとして目を閉じると、
「さて、口で説明されただけではどうも。じっさいにその効果を見てみないことには、なんともいえませんな」
と言い返しました。
もうちょっとおどろいてくれるものと思っていたトーマスは、好敵手のこのような態度にいささかむっとはしながらも、なんとか気を静め、
「ふむ、アルバートさんの言い分はもっともです。では、さっそくみなさまのなかから協力をあおいで、実証してみせましょう」
と言うと、部屋にいる友人たちを見渡しました。するとその場にいた誰もが、トーマスと目をあわさないように、あわてて視線をそらしたように感じたのは気のせいでしょうか?
(つづく)
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