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アヒルのトーマス #1

 アヒルのトーマスは、まもなく訪れるであろう客人を迎えるための準備におおいそがしでした。といっても、トーマス自身は従者にあれこれと指示をだすだけで、腰をおろした椅子の上から一歩も動こうとはしません。なぜかって、もちろんそれにはきちんとした理由があるのですが、まずはそのトーマスについて簡単に紹介させていただきましょう。
 トーマスは動物仲間のうちでは知らぬものがいないほど著名な発明家でした。彼の生み出すアイデアはいつも独創的で、なおかつ画期的なものばかりだったのです。
 今しも、彼はとめどなくあふれだすアイデアのひとつを作品として完成させ、その発表会に友人たちを招いたのでした。
 そんな自他ともに認める秀才なトーマスでしたが、彼にはある致命的な弱点がありました。
 それは、三歩その足を進めると、今まで頭のなかで思い浮かべていたすばらしいアイデアが、すべて煙のように跡形もなく消えてしまうことでした(もっともこれは、彼の属する鳥類たちの多くがおなじ悩みを抱えていたそうですが)。たとえば、彼の友人にリルパットという雄鶏がいます。リルパットはトーマスと町なかですれちがうたびに「やあ、ごきげんよう」と元気にあいさつを交わすのですが、すれちがってから数歩も行かないうちに、はて? 今のは誰だったのだろう? と頭のなかがあっぱらぱあになってしまい、すぐにまたふりかえって、「やあ、ごきげんよう」とあいさつをしてしまうといったぐあいなのです。
 そのため、トーマスはいつもペンとメモ帳を持ち歩き、とつじょ浮かんできたアイデアや誰彼から見聞きしたことなどは常に書き留めておくという癖があるのでした。けれどもひどいときになると、メモをとったこと自体を忘れてしまったり、そのメモを見返してみても、書いてあることがなんのことだかさっぱりわからなかったりすることなども、しょっちゅうあったほどです。さらに、トーマスは書いたメモ用紙をところかまわず貼り付けておく癖があり、そのため家のなかは床も壁も一面貼り付けたメモだらけだったのです。
 もちろんトーマス自身も、この弱点にはほとほとうんざりして、いまいましく思っていましたので、なんとか改善できないものかと頭を悩ませていました。そんなとき、ひとつのアイデアがひらめいたのです。
 そう、簡単なことです。歩くと忘れてしまうというのなら、歩かなければよいというだけのことなのです。そこでトーマスは、自分が座る椅子の脚に車輪をつけ、足を地面につけずとも移動できるようにしました。ただ、それだけではなにかと不便なことも多いので、彼は空気ボンベを改造して、その噴出力をつかって推進できる機械をつくり、それを椅子の後部にくっつけました。また、椅子の前部には方向転換用の舵取りレバーをとりつけ、いまや完全に自分の足で歩かずとも移動できる手段を得ることができました。もっとも、これらのことは天才発明家であるトーマスにしてみればぞうさもないことでした。
「そこらじゅうに貼り付けてあるメモはぜんぶとっぱらってくれ。それからノエル、今夜の晩餐の支度は急いでくれよ。ちゃんと味見もするんだぞ。どうもきみのつくる料理の味付けは、塩味がつよすぎてしょっぱいようだからね」
 従者たちは、椅子に座りながらあれこれと大声で指示を出すトーマスを横目でちらりちらりと見ながら、せわしくうごきまわりました。
 トーマスにとって、今晩の発表会はとても重要で失敗のゆるされないものでした。なぜなら、おなじ発明家で、トーマスの最大のライバルでもあるアルバートがやってくるからです。
 アルバートは大型の犬種であるセントバーナード犬で、頭のよさや奇抜で個性的なアイデアを生み出すことではトーマスに引けをとりませんでした。そのため、ふたりは顔さえ合わせればかならず自らの発明を自慢したり、相手の発想をけなしたりして、ときにはそれが朝から晩までつづくことがありました。なにしろ、ふたりは自分の発明に絶対の自信をもっていましたから、今晩のトーマスの新作発表会をアルバートがだまって見過ごすはずがなかったのです。


(つづく)

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