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ソータが話し出した、みんなの前で

「さっき、私の話をしてたね。大学の先生じゃなくなったことや研究をしなくなったこととか…….。」とソータは言い出し、そして、みんなの前で話し出した。

「なぎさ以外にこの話をするのは、モリカさんとアミさんが初めてなんですが…….」と言いかけると、アミが言った。
「ええ、いいんですか。初めて会った私たちにも」

「お話しするってことはね。みなさんにお伝えするためだけじゃなくてね。自分自身の頭の中の記憶を整理したり、確かめたりする意味もあるだ。」
「そうすると、ボクたちに話をしながら、ご自身にも話しかけるってことですか?」とモリカが尋ねた。

 なぎさは、ソータから初めて聞いた。誰かに語るということが自分にも語りかけているってこと。いつものソータとなんか違うな、と思い始め、モリカとアミと一緒になって、ソータの話に耳を傾けて言った。

 ソータは、話を続ける。
「ところで、私の歳、いくつくらいに見える?」
「40代の後半かしら」とアミが言う。
「ボクは50代後半かな」とモリカ。
 実は、なぎさはソータの年齢を聞いたことはなかったので、ソータがなんと答えるのか、ジッとソータの唇を見つめた。

 ソータは、書架の本を眺めながら、静かに窓の外に目をやった。
 「実はね。今、私は何歳か、よくわからないんだ。」と呟いた。

 その言葉を聞いたアミとモリカは、顔を見合わせながら、首を傾げた。
 そして、なぎさもその意外な言葉に息を呑んだ。

 そして、ソータは続けて言った。
 「びっくりしたでしょ。自分の歳がわからないなんて。
 皆さんに私の年齢を予想してもらっている間に、私は頭の中にある記憶を探りながら、その問い答えようとしていたのだけれど、今ここでは想起できなかったんだ。」

 モリカもアミもただソータの瞳を見つめがら、次の言葉を待っていた。
 なぎさは、以前にソータから聞いていた話を思い出した。ソータは、いつからか、記憶障害になったということを。
 でも、その記憶障害の実際については、今ここで初めて知った。

ソータは、書架に置いてあるカードケースに手をやると、その中から運転免許証を取り出して、「ここには、私は昭和○○年○月○日とあるから○○歳と言うことになるから、アミさんとモリカさんの予想の間くらいたっただね。」と言った。

 なぎさはには、意外だった。もう少し若いかと思っていたから。

 ソータは、話を続けた。
「この記憶障害は、サード・オピニオンまで医者に掛かってみたけど、よくわからないんだ。若年性アルツハイマーの可能性もあったり、記憶障害が起こる原因となる病気も複数あったりするようだしね。」
「わたくしから見ると、ソータさんに記憶障害があるようには見えませんわ。」とアミが言うと、モリカが続けて「ど忘れってこと、ボクもよくあります」
 なぎさは、過去を消し去りたい、今と未来さえよければいいと思い続けてきたので、ど忘れなんて大歓迎。想起しない、できない、したくないこといっぱいあるから、と心の中で呟いたけど、みんなの前でするのはやめた。

 ソータは、モリカの話を聞いて、ある医者から言われた言葉を思い出した。「ど忘れは想起障害で、記憶障害ではありません。記憶障害とはある事柄を覚えようとしても覚えられない状態のことです」と。

 ソータには、その医者の言葉を聞いて、安心することはできなかった。
 ソータにとって自らの「記憶」が想起できないことは明らかに「障害」であり、加齢とともに覚えられない、保持できない記憶障害を伴う認知症に向かうにしても、今は「記憶」の想起障害をなんとかしたいと思っていた。

 別のある医者は、想起することのトレーニングの重要性とその方法としての「回想療法」の重要性について言われたことが強く心に残っていた。
 そして、実際、ソータは「回想療法」とも言うべきあるできことに出会ったのだった。

 ソータは、なぎさをはじめ、みんなの顔色を見て話をもとに戻すことにした。

 「定年前に大学の仕事を辞めた理由についてだけど、それはね、大学の講義やゼミの最中や学会での議論の最中に、ど忘れでしたと放って置けないことが頻繁に起こり、学生たちや同僚に色々迷惑をかけてしまい、複数の医者にかかったけど、これからどうすべきか納得のゆく結論は得られなかったのです。」

 そして、書架の下からたくさんのノートを取り出し、みんなの前の机の上に置いた。
 それは、二十数冊のソータの日記だった。
 しかも、高校1年生から大学院生時代の手書きの日記だとか。
 最初にアミが一番上の日記を手に取り、ページをめくり始めた。
 「こんなにびっしり手書きの日記、見たことも書いたこともないわ」
 モリカもなぎさも日記を覗き込んだ。
 ソータは、恥ずかしそうに「そのくらいにしておこうか」と日記をもとに戻した。
 家から何番目かに会った日記を取り出し、ある箇所を読み始めた。
 
 読み終えたあと、ソータは言った。
 「記憶されたと思っていたことが、記録を読んだことで、その記憶が誤っていたり、まったく記憶に残っていなかったことが想起されることと言う体験をしたんだ」

 そして、その事実、記録が記憶を想起させる体験から、これまでに自分が書いてきた記録や読んだりしてきた書籍、パソコンの中にあるデータを整理し、アーカイブづくりを始めたと言った。

 そのことがどうして、大学を辞めることにつながったのか、モリカもアミも、なぎさにもよくわからなかった。しかも研究もしなくなってしまったのか。
 流石のアミも言葉が出ずに、モリカもなぎさもソータの部屋に漂う沈黙のベールに包まれていった。

 今日は、ここまで。
 
 なぎさは、この続きをどうするのか、ソータと相談することにしたの。
 しばらくお時間が必要かもね。

 P.S
 記憶とか、記憶障害・想起障害とか、難しめのことが出てきたので、ソータから本やサイトを教えてもらったの。
 なぎさは、まだ本は読んでません。
 【本や映画】
・リサ・ジェノヴァ 著、小浜 杳 訳『Remember 記憶の科学:
しっかり覚えて上手に忘れるための18章
』白揚社、2023年
・リサ・ジェノヴァ 著、古屋 美登里 訳『アリスのままで』キノブックス、2015年(映画「Still Alice(原題)」もあるそう。特別映像は観た。本作もいつか観たい。)
 ジェノヴァさんは、研究者でもあり小説家だそうです。
【Web Site】
・コトバンク「記憶障害」(複数辞書)
・カーリル「記憶障害」(全国の図書館所蔵)
・新書マップ「記憶障害」(新書検索)
・絵本ナビ「記憶」(されど絵本)
・Google Scholar「記憶障害」「想起障害」(論文検索)
・Google「想起障害

 写真は、ソータの日記です。


 

 

 

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