武夫

父・武夫(1936年8月27日-2021年6月12日)の青年時代の日記を実家の蔵でみつ…

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父・武夫(1936年8月27日-2021年6月12日)の青年時代の日記を実家の蔵でみつけました。生前、半生記を書いて残したいと言っていたので娘がnoteに日記を転記し、父の人生の一部をデジタル化して遺すことにしました。

最近の記事

武夫の日記(1958年8月18日)

晴天 今朝の臨時列車も俺が起きた。 全く感心に起きられる。一時身体を悪くして休んでも起きる時は最初だ。我ながら不思議だ。助役さんが起きては来たけど相当によっている。しかし全く愉快な仲間だ。日曜のメンバーが楽しみでならん。青木さんは俺を貨物係にした様子で何時も盛んに言ってくれる。俺も早くそうなると良いのにね。早くそれが実現することを祈る。

    • 武夫の日記(1958年8月17日)

      晴天 一日中荷物でアフラレル 夜になると身体を動かすのも億クウになってしまった。 日曜の勤めは非常に伸々と仕事が出来て面白い。 こんな日も1日位はあって欲しいものだ。 10時30より森山氏とナイトショウ、四谷怪談を観に行った。 全く嫌な映画を見に行ったものだ。お化けのコンクールである。 帰ってくると駅で青木、中島、助役さんの3人で 酒を飲んで居り又改めて1本追加し五人で盛大に備す。 俺は身体の調子が悪いのか途中で失礼してしまう。 ハイテシマッタ

      • 武夫の日記(1958年8月5日)

        又日記をさぼる 曇天後晴間多くなる 午前中田の畔草を刈る 1時30分に松代へ行って林さんに会う この前の撤回を求める。いささか寂しい。 1人になってまた新しく出直すのだ。 当分は大人しくするか思い切り遊んでね。 今後は遊びの縁をはっきり出してね。 物事は徹底してやるつもりだ。 林さんに会った事によって非常な利益をもたらされた。 ありがとう。先輩だけの事はある。

        • 武夫の日記(1958年7月31日)

          晴 部屋に寝ていたりピンポンをしたりして時間をすごす。 2等のバスで帰る。 須坂で庭球の練習をす。 今後は一生懸命やろう。山と庭球を。 今までの行きがかりを捨てて。

        武夫の日記(1958年8月18日)

          武夫の日記(1958年7月30日)

          野沢温泉 73で駅長、駒村、木村、北沢、青木、中島、田中等と保養所へ。 6時頃から始め10時頃まで掛かり酒1本にビール6本追加す。 その足で街の中を1順す。中々面白い。 今までにこれ程たのしい思いをした慰安会は初めてだ。 かなり印象に残る機会だ。 駅長は途中で席をはずしてしまう。 この点も非常にズルイ。

          武夫の日記(1958年7月30日)

          武夫の日記(1958年7月28日)

          雨もどうやら上がった模様だ 時折小雨程度のものは降ったがしかしまた13号に御目に掛かりそうだ。 2、3日后に山のつかれもほとんどいえた様に思う。 唯、風ぜぎみなのがちょっと心配だ。 朝 中村薬局からダイヤジンを取って飲む。 76で野沢へ行った人達帰ってきた。面白かったらしい。 自分らの番が待たれる。 その後中島さんのと自分の転徹を磨いて帰った。 兄夫婦帰っている。 他人が入ると中々面どうだ。 余計な気を使わねばらなんので 幸ちゃんも帰ってきた。現像をたのんでしまう。 早く山の

          武夫の日記(1958年7月28日)

          武夫の日記(1958年7月21日)

          天候はっきりせず。道は午后から雨となる。 北松本5.15→大町7.00→四ツ谷(※注) 8.17 50発→猿倉9.50→白馬着 地元の人の話でもやはり今日明日中には雨となり山は相当あれる模様だ。 それに又会話の中で「こんな天気に山へ行く人の気は全く解ねー」と耳が痛かったね。大町行の電車は松本からの人で一杯だ。有明についたら相当空きなった。中房から表銀座組が良いね。 ※注:四ツ谷(信濃四ツ谷駅)現:白馬駅

          武夫の日記(1958年7月21日)

          武夫の日記(1958年7月20日)

          曇天 清君と?君、44で佐藤氏と出発。 リックの目方、7貫5匁。大変な重さだ。今までの登山のうち最高だ。 長野23.00→松本0.30分、駅の待合室は登山客で一杯。驚いたね。止むなく北松本駅まで歩き約25分ここで一夜を明かす。 ここは小生ら2人きりだったが、カに食われたり又明日の天候の事を考えると中々寝つかれず4時頃には目が覚めてしまった。 天候は台風11号の影響か今にも雨が落ちてきそうな様子。いやになるね。予定の行動に移る。

          武夫の日記(1958年7月20日)

          武夫の日記

          もう一度だけ花を咲かせたい。今俺がそれをする事は非常に相手にも不利な点が山積している。XXするのが一番だ

          武夫の日記