【昭和講談】加藤喜美枝「お嬢、存分に歌いなさい」 第一回(全三回)

 皆さま、明けましておめでとうございます。
 えー、ここからは、錦秋亭渓鯉で、昭和時代の埋もれた歴史を掘り起こす「昭和講談」でお付き合いのほど、何卒お願い申し上げます。

 さて、年が明けまして令和四年となりまして、昭和の時代がまた一つ遠ざかる訳でございますが、古今東西、洋の東西問わず、また、どんなに時代は変わりましても、子供の教育、子の躾というのは、親の頭を悩ますものの一つでございます。

 子供の個性を生かしたい、好きなことをやらせてやりたい、親御さんの切なる思いありましょうが、なかなか簡単なことではないのが実情でございます。

 しかしながら、昭和の時代、愛娘に好きな芸能に思う存分打ち込ませ、時代を切り拓いた母親がございまして、その母の名を加藤喜美枝と申します。

 加藤喜美枝。これではどこの誰だか一向に分かりませんが、加藤和枝の母と言えば、どうか。
 それでもピンとくる人は、まあ、ほとんどいらっしゃらないでしょう。

 加藤和枝、その芸名は美空ひばりと申します。そう、昭和の歌姫と呼ばれた美空ひばりの実の母親こそ、加藤喜美枝でございます。
 美空ひばりの母であり、マネージャーであり、プロデューサーでもあり、そして、日本で初めて「ステージママ」と呼ばれた、この加藤喜美枝と、娘で国民的歌手の美空ひばりとの絆が、今回の演題でございます。

 時は大正二年、所は東京山谷、石炭など扱う炭商人の長女として生まれたのが喜美枝でございまして、幼い頃から利口で男勝り、さらに、毎日店の手伝いをする、それはよく出来た女の子だったと申します。

 それが昭和十年、二十二歳で横浜・磯子、滝頭の魚屋、性が加藤、名を増吉、魚屋増吉に嫁ぎ、加藤喜美枝となりましてございます。
 その加藤家の長女、和枝が生まれたのが、喜美枝が嫁いで二年後、昭和十二年のことでございますが、このお産、それは大変な難事だったそうで、なんと喜美枝さん、お腹の大きい時に盲腸に罹ってしまいます。

「先生、先生、痛い……、助けて」
「奥さん、大丈夫かね。」
「大丈夫じゃない!」
「ううむ、そうじゃろう。だが手術で盲腸を取り除けば大丈夫。なあに簡単な手術じゃよ」
「手術? 手術って、お腹の子は大丈夫なんですか?」
「多分大丈夫じゃ」
「多分? あ痛た……。多分じゃ困ります、多分じゃ!」
「しかし、世の中に絶対なんてことはないからのお…...」
「いいです。この子のためにも私、我慢します!」

 とうとう薬で盲腸を散らしてしまいました。
 無事出産はしたものの、盲腸は喜美枝のお腹に居座ったままになってしまったということでございます。

 さて、無事に生まれてきた女の子。名を和枝と申しまして、後の美空ひばりでございますが、生まれた時の体重は五二〇匁、グラム数なら1.9キロと、随分小さい赤ん坊だったということでございます。

 加藤家はと言えば、待望の子が生まれ、家の中はこれ以上ないほど活気づき、母親の喜美枝は仕事に育児とそれは忙しい毎日を送ることになったのでございます。

 さて、母親となった喜美枝でございますが、彼女、良いと思ったことは則実践という、我が道を貫くタイプで、おしめも自ら考案した三角おしめを使い、抱き寝もNGで、当時まだ珍しいベビーベッドで寝かしつけるという徹底ぶりでございます。

 そして子供の教育では、何冊もの絵本を持込み、まだ言葉も喋られないうちから読み聞かせをしております。
「『にわとりおばさん、こんにちは』『生みたて卵はどうですか』『はいはいどうもありがとう』」

 まだ一歳に満たない和枝に読み聞かせをする中で、興に乗った喜美枝が商売人らしい台詞を付け加えた。
「どっさり買って下さいな」

 和枝はそれを喜んで聞いております。
 数日後、その絵本を開いていた和枝が読み上げた。
「どっさり買って下さいな」

 これを聞いた喜美枝は驚いた。
「この子、まだ文字が判らないのに、耳で聴いて憶えるなんて、なんて頭がいいんだろう」

 喜美枝が和枝の才能を見つけた瞬間でございました。
 さて、この和枝が絵本以上に好きだったのがレコード、つまり歌でございます。

 家にあった手巻きのポータブル蓄音機を独り占めにして毎日何時間も聞いていたそうで、しかも、聴いていたのが童謡や唱歌ではなく大人の歌でございます。
「九段の母」「大利根月夜」「人生の並木路」「軍国の母」と、学校にも上がらない子が、こんな歌を憶えて歌っていた訳でございます。

 この当時、世間はまだ戦時中でございまして、招集がかかれば男たちは出兵しなければならない時代で、とうとう魚屋増吉の主・増吉の所にも赤紙が届き、召集がかかった。

 家族に不安の雲が垂れ込める中での出征式のことでございます。
 六歳の和枝が増吉の願いで「九段の母」を披露した。

〽上野駅から 九段まで 
 勝手知らない じれったさ……

 和枝の歌う「九段の母」に、その場にいた全員が聴き入り、あちこちからすすり泣く音が聴こえて参ります。

「上手いとは思っていたけど、ここまで人を惹き付けるなんて、なんて子だろう」

 母の喜美枝ですら和枝の歌声に聞き惚れていたのでございます。

 増吉が出征し、日中戦争も泥沼化してきますと、近所でも戦死者の報せが届くようになって参ります。
 そこで、亡くなった方が出ると近所中一週間喪に服して静かに過ごすことになります。

 そんな暮らしの中、八月のうだるような蒸し暑い日のことでございます。
 近所で戦死者の報せが届き、近所が喪に服している最中でございますが、その意味が分からない和枝はどうしても歌を聴きたくてしようがない。
「お母さん、蓄音機回していい?」
「今はいけません」
「じゃあ、唄ってもいい?」
「それも駄目です」

 すっかり和枝はしょげ返ります。それを観た喜美枝は一つのアイデアを思いつきます。
「和枝。懐中電灯と蓄音機持っておいで」

 押し入れのふすまを開けると、蓄音機のねじを思い切り回し、懐中電灯と蓄音機を押し入れに押し込み、和枝もその中に入れてしまいます。
「これで音も小さくなるだろ。ここでお聴き」

 ふすまを閉めると奥からかすかに音楽が聞こえるが、これなら大丈夫と安心した喜美枝は、魚屋の仕事に戻ります。
 夕方になり、夕食の準備をしていると、妹の勢津子、弟たちの哲也、武彦の顔を見て喜美枝が声を上げた。
「そういえば和枝は?」

 思い出した喜美枝は慌てて押し入れに駆け寄り、外から声をかけると、中から声がした。
「うん分かった。今出るからね」

 ふすまを開けて出てきた和枝は、全身汗びっしょりで、腕や足は赤くなって幾つも蚊に食われた跡がある。でも、顔を観れば、それはもうニコニコ顔で喜色満面でございます。

「お母さん、ありがとう!」

 笑顔で答える汗まみれの和枝。その姿を見て喜美枝は思わずギュッと愛娘を抱きしめた。

「和枝、あんたそんなに唄が好きかい?」
「うん!」
「将来、歌手になりたいかい?」
「うん、なりたい!」
「そうかい、分かったよ」

 自然と喜美枝の頬を涙が伝う。娘、和枝を歌手にする、母、喜美枝が心を決めた瞬間でございました。


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