【昭和講談】林正之助「大衆を喜ばすんや!」 第一回(全三回)

 ええ、錦秋亭渓鯉でございます。ここからは昭和の埋もれた歴史を掘り起こす「昭和講談」で、お付き合いの程お願い致します。

 さて、今回取上げますのが林正之助さんと言いまして、ご存じの方もいらっしゃるでしょうが、あの笑い王国、吉本興業の会長さんでございます。

 この方、流石、お笑いの吉本の会長というだけございまして、そこら辺の芸人さんより遥かに、語る言葉に力がある。
 社員に向かって、こんな話をしたそうで、

「ええか、芸人に銭なんか、なるべく払うな。そんな金あったら税務署に寄付でもせえ。表彰状くれるわ」

 どんな考えなんでしょうか。また他にも、

「ええか、金は使うな。使うて失敗する事業なら蛙でもするで」

 カエルに仕事ができるかどうかは知りませんが、ブラック企業の鑑みたいな考えですが、それでも、洒落が効いていて実に面白い。
 さらに、芸人に対しても、

「芸人を遊ばすとロクなことせえへん。思い切り仕事を取って、トコトン働かせ」

 いかにも吉本興業の会長という感じでございます。
 でもやっぱり本心は、自分ところの芸人が可愛かったのでしょう。こんな言葉も残しています。

「自分の製造してきた商品を嫌うものはおませんよ」

 「自分の製造した商品」、それは吉本の芸人のことで、やはり吉本の会長林正之助、自分のところの芸人は心底、可愛かったということでございましょう。

 時は明治三十二年、米穀商を営む林豊次郎の三男に生まれた林正之助。大正六年になり、正之助、十九歳の時のことでございます。
 姉の呉服店での奉公を終えて家に戻っていた正之助に父豊次郎から声がかかった。

「おい正之助」
「何だんねん、親っさん」
「せいがな、お前に頼みたいことがあるというてたで。ちょっと行って来たらどないや」
「へえ、さいですか」

 せいとは、林家三女、正之助の十コ上の姉のことでございまして、吉本泰三、この時はまだ吉兵衛と名乗っておりましたが、この吉本家へ嫁いでおりました。

 しかし、商売の荒物屋が傾き、泰三の道楽だった演芸へと商売替えをして、寄席小屋を経営しておりました。まあ、これが吉本興業でございます。
 姉・せいから頼みがあるという、正之助、「何やろかいな」と思いつつ、せいの所を訪ねた。

 大阪ミナミ笠屋町、現在の東心斎橋二丁目あたりでございますが、その笠屋町のせいの所を訪ねると、家には看板が掛けてあり、そこには「吉本興業部」と書いてある。

「姉、正之助だす。おりまっか」

 そう声をかけると奥から

「正之助か。ご苦労さん、ちょっとこっちへ来てくれまへんか」

 奥の間へ行くと寄席のチラシを整理しているせいがいた。

「正之助、すいまへんな。ちょっとこっちに座り」
「姉。頼みって、一体なんです?」
「あんた、ウチの寄席を手伝うてくれまへんか」

 この頃、吉本は寄席経営が軌道に乗り、五つもの寄席を持っておりました。
 その手伝いを正之助に頼もうということでございます。

「正之助、あんたを呼ぶのに、ウチの人に相談もしました。けど、ウチの人はええ顔しませんでした」

 それを聴いて正之助、いささかムッとした。

「けどな、わては、正之助は人に反対されるとムキになって、それで取掛って、最後はきちんとやり遂げる。その反発心があの子のええ面やと説得しました。どや、あんたの真っすぐな所をこの吉本興業で活かしてみいへんか」

 ここまで評価されて悪い気はしない。姉・せいの熱意を感じ取った正之助。

「よし、やったるか」

 何の迷いもなく決心いたします。

 さあ、せいの家に住込みで働き始めた正之助。麻裏草履に股引履いて、大きな体に腹掛結んで、背に花菱紋を染抜いた法被をはおり寄席手伝いに精を出した。
 その手伝いといえば、小屋入口の下足番に木戸銭番、小屋の表の装飾係、芸人に眼を配る監視役、客を詰込むお茶子役。
 さらにまだありまして、方々にある寄席小屋を自転車乗ってぐるぐる回る。

「おい、どうや」
「若ぼん、ご苦労様です」

 若ぼんとは正之助のことでございます。

「今日の客入りはどうや」
「へえ、八十三です」

 小屋を覗き込むと、確かにそれくらいの客が入っている。

「確かに。ほんなら後頼むで」

 こうして、各寄席を自転車で見回って、各寄席小屋を監視をした訳でございます。
 さらに時にはやくざ相手のトラブル処理も担ったというから、生半可かな仕事量ではございませんが、持ち前の反発心でガツガツと打込んだ。

 寄席の手伝いを始めて五年、時は大正十一年でございます。
 この頃になると正之助も堂々たる吉本興業の幹部として芸人や寄席連中に一目置かれる位にはなっておりました。
 そんな正之助に、吉本興業の大将、泰三が声をかけた。

「ええか、君がいいと思った芸人を連れてくるんだぞ」

 寄席というのは、常に新しいものが求められるものでございますが、この頃、出雲の安来節が大流行しており、大阪はもちろん、東京まで進出しておりました。

 当然、吉本も安来節に眼を付け、出雲から人気の芸人を引っ張る算段を立てておりました。
 その芸人引き込みを仰せつかったのが正之助でございます。吉本の大将、泰三に期待をかけられた正之助。

「ええか正之助君、君がいいと思った芸人を連れてくるんだぞ」
「義兄さん、任しといて下さい。いいのを連れてきますさかい」

 出雲に着くと早速、地元の興業主に歓待された。
「大阪の大吉本の若社長がきんさったわ」。

 持ち上げられた正之助、機嫌よくオーディションである手見せを行うが、狙いは絞ってあった。
 安来節芸人の中で、声が良く、節回しが良く、顔立ちが良い、このポイントに絞り、決まりとなれば、すぐ大阪へ手配した。

 すると正之助が買付けた安来節が吉本の寄席で大いにウケた。安来節の買付けで芸を観る目の確かさを証明した正之助。

「ようやった正之助君。ようやり遂げた」
「おおきに義兄さん。これくらいのことなんでもありまへんわ」

 泰三に賞賛された正之助、この時二十三歳。吉本興業の若き興業主として大きく飛躍したのでございます。

 翌年の大正十二年、関東大震災で、東京一帯が壊滅状態になると正之助は毛布と現ナマをカバン一杯に詰め込んで船で東京に向かうと、被災した東京芸人たちに物資を運んだ。
 この救援に泣いて喜んだ東京の落語家、芸人たち。正之助に感謝すると同時に大阪での仕事を頼んできた。

 これに正之助も応えると、東京の芸人たちに大阪での仕事も世話し、さらに吉本を大きくしたのでございます。
 この行動力と芸人への配慮は、吉本に正之助ありと、東京にまで知れ渡ったのでございます。

 しかし、吉凶というのは裏表でございまして、翌年の大正十三年二月十三日。吉本興業の筆頭、泰三が急逝いたします。
 その頃は既に吉本の直営館が約三十館、抱える演者は百七十を超えるという一大勢力を吉本は誇っておりましたから、そのトップの急逝のニュースは、大阪を超えて東京にまで響いたということでございます。

 葬式も済み、がらんとした部屋の中、精魂抜けた様に畳に座っている、姉のせい、その前に正之助が座ると

「姉、しっかりしいや。義兄さんのためにも、吉本をもっと大きくせなあかんで」
「正之助。これから頼りになるのはあんたしかおらん。ほんまに頼むで」

 正之助の手をぐっと握ると、正之助も応えた。

「分かっとります。わてが吉本を大きくさせますから」

 時代は大正から昭和へと切り替わろうとしていた頃でございまして、演芸、娯楽の世界でも転換点を迎えようとしておりました。
 その一つが西洋音楽の爛熟で、難波や千日前に現れたダンスホールではジャスバンドが毎夜演奏し、そこに中産階級のサラリーマンが駆け付けた。

 そんな風景が当たり前になろうとしていた頃、演芸界では萬歳が勃興しておりました。
 その萬歳の舞台を神戸で見た正之助、今までにない芸の姿に衝撃を憶えたのでございます。

「落語や講談なんかの悠長な感じやない。会話のテンポもええし、唄や踊り、芝居の真似事も茶化して笑いを取る。これはオモロイで」

 他の人はどう思うのかと、正之助は他の幹部連中も萬歳に連れていった。

「どや、おもろないか?」
「若ぼん、これはオモロイですわ」
「そやろ、演者二人の動きもあるし、これは将来有望やと思わんか」
「ほんまそうですな」
「これからは落語、講談ちゃうで。お客を呼べるんは、この萬歳や」

 そこで、正之助、萬歳芸人たちと契約する準備を始めた。
 しかし、まだまだ知名度の低い萬歳でございますから、ただ寄席に掛けるだけではとても心許ない。

「よっしゃ、ほんなら、萬歳の大会でもやるか」
「あきません若ぼん、ウチでは大きい寄席でも席数は三〇〇くらいで、この数では儲けが出ませんで」
「ほな、もっと大きい所借りればええやろ。松竹とこの弁天座、あそこはどうや」「弁天座でっか。あそこは劇場やさかい、一五〇〇席はありますやろ」
「ほな、そこ借りたらええがな」

 正之助は早速、松竹に掛合い弁天座を借りた。
 そして、昭和二年八月、吉本と松竹合同の「諸芸名人大会」の幕が開いたのでございます。

 まだ萬歳が定着していなかった頃でございますから、「諸芸」とした訳でございますが、落語や講談という主だった話芸の無い大会でございます。
 周りのほとんどの者はいぶかしく思っていた訳でございますが、これが大盛況となった。

「どや、俺の眼に狂いはないやろ」

 正之助は鼻高々でございます。さらに勢いに乗って四か月後にも同じく「諸芸名人大会」を成功させたのでございます。
 まさに、正之助の手で演芸の流れが変わろうとする、その瞬間でございましたが、正之助、この楽屋で信じられないものを発見したのでございます。
それは大金が書込まれた小切手でございます。

「おい、これはなんや。どうしてこんな大金手に入れたんや」

 芸人に詰め寄る正之助。萬歳芸人たちは、口籠り、汗をかき、うつむくばかり。ようやく事情を聴けば、松竹からもらったと言う。

「何ちゅうことをしてくれんや」

 怒り心頭の正之助。単身、松竹に乗り込んだ。
 紺の背広に羽織るのは、襟に吉本興業、背に花菱紋を染抜いた、勢い付ける覚悟の法被。
 乗込んだ先は松竹事務所の社長室、扉を開けて、ずかずか押し入る正之助。目指すは社長椅子に座る白井松次郎でございます。

「おう、白井はん、お前さん、なんちゅうことをしてくれたんや」
「一体何事です?」

 とぼける白井松次郎。この時齢五十歳、対する正之助はまだ駆出しの二十八でございます。
 しかし、正之助、ここで引下がっては吉本が潰される。

「何事かやと? こちらの萬歳が当たったと思たら、すぐ裏から手を回し、吉本の芸人を引抜きにかかるとは、それが天下の大松竹のすることか! こっちは芸人集めて寄席興行で飯喰うとるんじゃ。それを邪魔する言うやったら、こっちはお前の命を取るで。それでもええんか!」

 社長室に響き渡る大声で、啖呵を切った正之助。これには松竹、白井松次郎も圧倒された。

「分かった。もう引抜きはしない」
「そんな口約束なんて信じられるかい。一筆書いてもらおうか」

 とうとう松竹から、「芸人引抜きご法度の誓約書」を取り付けた。これを聞いた姉のせい、

「正太郎、よくやった。ほんまにようやった」
「いや、こんなもん。当たり前のことや」

 そう強がった正之助でございますが、それから三日ほど寝込んだと申します。
 しかし、吉本に手を出せば、林正之助が黙っていない。吉本の危機を救ったことで、正之助の株がまた勢いよく上がったのでございます。


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