【昭和講談】林正之助「大衆を喜ばすんや!」 第二回(全三回)

 萬歳の人気に手応えを感じていた林正之助ですが、まだ時代は、寄席の大トリといえば落語という頃でございます。

「そやけど、客は確実に新しいものを求めとる。吉本は、そんな客の要望に応えなあかんのと違うか」

 林正之助、落語に代わる新しい演芸・萬歳の、次の展開を考えておりました。

 時は昭和五年、正之助は三十一歳になり、益々貫録を付け、周りからは「御大」とも呼ばれ、吉本の陣頭に立っておりました。
 しかし、ひと度街に出れば、世間は昭和恐慌、不景気の真っただ中。
 失業者の数も増加の一途の有様で、当然、吉本の経営にも甚大な被害を及ぼしておりました。
 この難局に林正之助、大番頭の一田進を呼び出した。

「今度、萬歳が主力の小屋を作ろうと思うんやけど、どや」
「それはええでんな。最近は萬歳も勢いがありますさかい」
「それでな、その小屋の料金やけど、十銭というのはどないや」
「じゅ、十銭でっか?」

 流石に一田進も驚いた。当時の十銭と言えば、キツネうどんやコーヒーとほぼ同じ値段でございまして、吉本が南善寺に持っていた「南地花月」の木戸銭が六十銭ですから、十銭というのはあまりに破格な料金でございます。

「御大、そりゃ無理でっせ。儲けが出ませんわ」
「いや、今度借りる小屋の席数が二〇〇や。それを昼夜、四回公演にして、一回四〇〇くらい入れてしまえばええやろ」
「いくらなんでも、そりゃ、無茶でっせ……」

 当時はお茶子が座布団を敷いて客を入れておりましたから、お茶子の腕次第で席数以上のお客を入れることは珍しくもございませんが、流石に正之助の考えには無理がある。

 しかし、吉本の「御大」正之助、周りの反対を押し切って、ついに、千日前に、木戸銭十銭、昼夜三回公演の、萬歳小屋「南陽館」を出してしまった。
 すると、これが大当たり、連日、千人を超える客入りで、客からは「南陽館の十銭萬歳」と大評判でございます。

「いやあ御大、運よく当たって良かったですな」
「アホ、全部計算通りや。見てみい、安くてオモロイ、これが吉本の演芸や」
「いや全くほんまでんな」
「それだけやないで、客見てみい」

 そう言われて一田進が客席を覗くと、

「見てみい、サラリーマンに、学生なんかもおるやろ。これからはあんな客層が増えよるで。あの新しい客たちが新しい萬歳をオモロイと思う訳や。ええか、ああいう客がエンタツ・アチャコのファンになる訳や」

 ―エンタツ・アチャコ。昭和の「しゃべくり漫才」を開拓した、漫才界の巨星でございます。
 それまでの羽織袴の和服姿から、ビシッと決めた、ネクタイ締めたスーツ姿。言葉使いも上品で「キミ」「ボク」で会話を進める。何よりも三味線、鼓などの音曲は一切鳴らさず、言葉による洒落、諧謔で客を笑わす。
 エンタツ・アチャコの萬歳は、これまでとは全く違った話芸だった訳でございます。

 そのエンタツ・アチャコは、横山エンタツと花菱アチャコのコンビでございまして、花菱アチャコは大正時代に林正之助が萬歳師として契約した芸人でございます。

 そして、横山エンタツは、旅回り一座で修行を積み、浅草の舞台も踏むという腕は確かな芸人で、喜劇一座を座組みして、遥か彼方のアメリカへ巡業の旅に出掛けるも、ものの見事に失敗し、失意の内に、芸人に見切りをつけておりました。

 そこを口説きにかかったのが林正之助。それは、昭和五年四月の雨のきつい日のことでございます。
 正之助は汚い雨合羽に底の剥がれかかった長靴で、玉造のエンタツの家を訪ねた。
 家の中では横山エンタツが内職に勤しんでおります。

「エンタツはん、こんにちは。相変わらず精が出ますな」
「吉本の御大、あんさんもしつこいですな。私はもう芸人なんてしませんで」
「エンタツはん、あんさんも頑固でんな。今日は雨でずぶ濡れや。お宅が濡れるとあかんから、玄関で堪忍してや」

 そう言われ、エンタツが部屋から顔を出して正之助を観ると、びっしょりと濡れそぼった、汚い身なりの正之助がいる。玄関まで出たエンタツ、

「吉本の御大とも言われた方がその恰好はどないや」
「エンタツさん、買い被り過ぎですわ。この不景気、吉本も苦しいんですわ」

 それを聴いてエンタツが噴出した。いくら何でも、吉本の最高幹部が汚い身なりになるほど貧乏をしている訳がない。
 そう分かっていても、実際の汚い恰好の正之助が、まるで喜劇の様でエンタツには可笑しかった。

「御大もオモロイ人でんな」
「いや、お宅の方がもっとオモロイやろ。それを萬歳で出してみませんか」

 流石のエンタツもこれには根負けした。そして正之助、玄関でこれからの萬歳を熱く語ると、聴いていたエンタツがピクッと反応した。

「藤木がおるんでっか?」

 藤木とはアチャコの本名でございます。

「ええ、おります。その藤木とエンタツさん、あんたとコンビ組まそう思ってますねん」
「藤木とは以前、明石の三白亭いう小屋で萬歳をやったことがありますわ」
「ホンマでっか?」
「その時はえらい客に怒られたが、二人して『この萬歳オモロイなぁ』と言ったことがあります」

 これを聞いた正之助、飛び上がって喜んだ。
 早速二人を引き合わせると、二人に一着百二十円もする背広を揃え、さらに、エンタツにはロイド眼鏡にちょび髭を提案し、コンビの個性を際立たせると、エンタツに台本を任せ、早速、二人に初舞台を踏ませたのでございます。

 さあ、林正之助も緊張で震えたというエンタツ・アチャコの初舞台、しかしこれが、お客から散々に罵倒された。
「おい、萬歳やろ、歌を歌わんかい」
「喋ってばっかやないか」
「萬歳やる気あんのか!」

 客席からの悪口雑言罵詈罵倒、仕舞には、客席から後ろの屏風へビュッとミカンが飛んできた。
 客の怒りも頂点か、そう思われた時、エンタツがさっとそのミカンを拾い上げ、「これがほんとの未完成!」とやり返した。
 それを見た正之助、

「やっぱりエンタツはオモロイで。そやけど、もっと萬歳を知ってもらわなアカンな」

 その正之助の見立て通り、昭和五年の五月に、「十銭萬歳」の南陽館が開館し、「南陽館の十銭萬歳」の人気と共に、エンタツ・アチャコの人気も上がっていったのでございます。

 この状況を観た正之助。自分が苦労して仕掛けた萬歳の躍動が、ただただ嬉しくてしようがない。
 しかし、それと同時に正之助、

「ひょっとしたら、落語を潰してしまうかも知れへんな」

 一抹の寂しさも感じていたのでございます。
 さて、「十銭萬歳」が盛り上りを見せる昭和五年十二月。吉本を揺るがす大事件が勃発いたします。
 吉本興業専属の人気落語家・桂春團団治がNHKのラジオ放送で落語を演じたのでございます。

 かねてから、吉本せい、林正之助共々、「ラジオでただで芸を聞かせれば、お客は寄席には来ん様になる」と芸人達にこれを堅く禁じておりました。
 それなのに、ラジオから聞こえてくるのは、春団治の落語「祝い酒」でございます。

「おい、これ春團治ちゃうか。なんちゅうこっちゃ、あのガキャ、やりやがったな。おい、NHKから出てくる春団治を捕まえて来い」

 吉本の人間が上本町のNHKを取り囲み今か今かと待ち構えたが、何時まで経っても春団治は出て来ない。
 一時間、二時間と時間が過ぎても、結局春団治は姿を現さず、話を聴けば、NHKもこうなることを見越して、大阪ではなく京都のNHKから放送したという訳で、大阪で待ち構えていても出てくるはずがございません。

 メンツを潰され、怒り心頭の正之助。しかも春団治が記者に語った、
「落語家の口に蓋なんて無理だっせ。これからも、どんどん放送しまっせ」

 この一言で正之助の堪忍袋の尾が切れた。

「ええか、春団治の寄席への出演を今後一切禁ずる。そして、あいつに貸してあった二万の金も即刻返済させるで。何? 返せないやと? それやったら差押えしたらええやないか」
「御大、ちょっとは怒りを抑えて。もう少し春団治の言い訳も聴いてやらんと」
「アホか、俺は怒って言うとるんちゃうわ。他の芸人が同じ様に舐めくさった態度に出たらどうするんかと言うとるんや。お前ら、強く言えるんか? ええか、ここで手ぬるいことしたら、この吉本が崩壊してまうで」

 こうした問題ごとでは頭に血が昇るとロクなことがございませんが、頭に血が昇った正之助とは裏腹に桂春団治は飄々としたもので、差押えの報せを聴いて、顔馴染みの新聞記者に連絡を取った。

「よう来てくれはりましたな、ささ、こっちへ。今回はオモロイもんみせますよってに」
「師匠、ほんまに大丈夫ですか? 差押えされるんでしょ」
「ええ、差押えされま」
「それなのに悠長に座っててええんですか?」
「家のもん、家財一式差押えされても大した金になりますかいな。わたいの財産といえば、これに限ります。さあ撮っておくんなさい」

 春団治はそう言うと口に白い紙を張り付けた。
 まさにそれは、自分の口に差押えをした格好でございます。記者たちもすぐに察し、その姿を写真に撮ると、その一部始終がすぐさま記事になった。
 すると、一般大衆は桂春団治に喝采を送り、こぞって、吉本興業の強欲さを非難したのでございます。

 この仕打ちに林正之助、怒髪天を突き激怒するかと思えば、そうではなかった。
 その訳は、寄席に押掛けたお客の数でございます。

「御大、春団治の謹慎は解けませんのか?」
「なんや、どういうこっちゃ?」
「『南地花月』に客が押し寄せてますねん」
「それはええこっちゃないか」
「ええことありませんで、お客が口々に『春団治出さんかい。こっちは春団治を見に来とんのや!』。そう言うて怒ってますねんで」

 もう落語は落ち目だ、そう考えていた正之助にとって落語の客が寄席に押し寄せたのが驚きでございます。

「これは、あの騒動がええ宣伝になったっちゅうことか。こんな宣伝もあるんやな。だが、春団治の出演禁止を解く訳にはいかんやろ」

 吉本から折れる訳にもいかず、さりとて、お客が春団治目当てに寄席に押し寄せる。林正之助、ここは腹を据えてじっくり機会を待つことにした。

 そして、春団治が寄席に出れなくなり一年が過ぎ、ようやくその機会が訪れます。
 吉本の事務所に、所属の落語家、林家染丸が落語界の幹部数名と共に正之助を訪ねて参りました。

「御大、すいません。話がおますのや」
「なんや染丸、改まって」
「へえ、実は春団治を許してやってくれませんやろか」

 林正之助はこれを待っておりました。
 正之助から春團治を許せば、世間は吉本が折れたと噂される。正之助はそれを避けるため、誰かが仲介に入ることを望んでいた訳でございます。
 そこへ林家染丸による懇願でございます。

 顔には出さずも正之助、心の中で、これで春團治を許す口実が出来たと、欣喜雀躍でございます。だが、表面はしかめっ面で、

「よし、言いたいことはよく分かった。そうそうたる顔ぶれに、わざわざ、こうして頼まれては撥ね付ける訳にもいかんけど、一応、姉にも相談したいから、この話、預からせてもらうで」

 そうは言ったが、正之助の腹は決まっております。
 ほどなくして禁が解けた春團治、その高座に、お客がウワッと押し寄せた。その様子を観た正之助、

「春團治見たさにこれだけのお客が集まって来よる。話題作りというのはこういうことなんやな」

 改めて、一般大衆への訴求力ということに気が付いたのでございます。


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