【昭和講談】高座前の掛合④ テレビについて語っちゃった

 毎度まいどの喫茶「せせらぎ」での、講談師・錦秋亭渓鯉と作者・タケ田タケノコとの定例会議でございます。
 詰まりながら、どもりながらも一生懸命話すタケ田タケノコの説明を、錦秋亭渓鯉、コーヒーをすすりながら、耳を傾け聴いております。
 
「……と、という訳です。師匠」
「なるほどなぁ…。で、今回紹介するのは、この『はな…』」
「ああっ、名前は言わないで!」
「何を大声だしとるんだて…」
「ああ…、いや、ほれ、それ。こちらにも都合がある訳で…」
「まあ、ええだて。今回は放送作家だな」
「はい。テレビ草創期の裏側を支えた放送作家。その人気作家のひとりです」

「おみゃーさんは、この人のドラマは見たんかね?」
「いや、年代的に違うから私は見たことないんですよね。師匠はどうですか?」
「ある。『どてらい奴』の西郷輝彦はなんか覚えとるだて」
「他にも、『細うで繁盛記』とか『ぬかるみの女』とかあるんですけど」
「ドラマを見たという覚えはあるんだが、作者のことは意識したことなかったがね。第一、この名前が難しいんだて、この字で『こば…』」
「だから駄目だって! 師匠、わざとやってません?」

「番組と言えば、ワシは、昔、つボイノリオのラジオにいっぺん出そうになったことがあったんだがね」
「ああ、聴きましたよ。仲入りでタバコ吸いに外出たら、ラジオカーが通りかかって、袴姿を珍しがって色々話を聴かれたけど、高座の時間になってラジオ本番には出れなかったって話でしょ」
「あれ? 言うたか」
「ええ、何度も」
「そうかて。でもまあ、なかなか番組には出られせんな。芸歴間もなく50年でも難しいわな。芸歴まもなく50年、美濃国は苗木中津川で生を受け、芸どころ名古屋で声を鍛えて…」
「分かりました、師匠! 分かりましたから」

 脱線と停車を繰り返し、二人の打合せは、今回の見どころ、聴き所へと近づいて参ります。

「おみゃーさんとしては、今回の、話のポイントはどこだと思っとるんだがね?」
「それをお話しする前に、テレビの成立ちから話をしないといけないんですが、いいですか?」
「そんなん、いらんがね……」

なんと錦秋亭渓鯉、本気で嫌な顔をした。

「ちょ、ちょっと、本気で嫌な顔してるじゃないですか?」
「話長いのは許してちょうよ。おみゃーさんの話、つまらんから」
「え? いや…、マジでへこむから、そんなこと言わんといて下さいよ」
「ほんなら、かいつまんで短めに話してちょーよ…」

「今回の時代背景は、昭和30年代前半のテレビが始まった、言わばテレビ草創期という時代です。テレビ制作の現場でも初めてのことだらけで、スタジオでのテレビ放送とか、少ないカメラを動かしてのドラマ撮影とか、そして、スポンサーからのクレームとかも、まだまだ手探りしている様な時代のことです」
「ふうん、それで」
「そこで、この作家は初めて番組打切りとか経験します。その打切りによって、この作家はテレビ放送が成り立つシステム自体を理解していないことを痛感する訳です」

「それはどういうことだがね」
「はい、つまりテレビはスポンサーの広告料で成り立っていますが、そのスポンサーの獲得は、広告代理店やテレビ局の営業が担当します」
「そうだがね」
「でも、そのスポンサー獲得を作家がやれば、その作家の番組が出来る、という訳です。それをやってしまったという、恐らく、日本で最初に、自ら広告主を獲得した放送作家だと思うんです」
「他には誰もやらんかったの?」

「……多分、ないんじゃないでしょうか?」
「なんか、弱なっとるがね」
「まあ、専門家じゃないもので…」
「開き直りかて」

「とにかく、この放送作家は、作家という立場でありながら、テレビ放送全体のことをよく見渡していたのではないかなと思うんです」
「そうなんかね」
「それで、自分でスポンサーを獲得し、高視聴率を稼ぎだして人気作家になるけれど、それぞれの立場の食い違いが現出し、結局、詰めの甘さによって番組を手放してしまうという、その落差がポイントになる訳なんです」
「どえらい長い話だったがね」
「そこまで長くはないでしょ!」
「まあ、テレビといのはきっと色々あるところなんだがね。ワシがつボイノリオの番組に出損ねたのも…」
「いや、それさっきも言いましたから」

 長々と意図を説明したタケ田タケノコでございますが、話はそこで終わらなかったようで、テレビについて熱く語り出した。

「テレビやラジオの放送が生まれた意義って、それは、娯楽や芸能を題材にしてお金を集めるシステムが一つ完成したってことだと思うんですよね」
「何だて急に」
「落語家や漫才師といった芸能人たちが舞台で自分の芸を売っていた状況に、テレビが出現して、放送でも大きなお金を得られることを実証してみせた。これってすごいことだと思うんです。今となっては、それに頼っている芸能人の方が多い訳ですから」
「ワシもその恩恵にあずかりたいがね」

「昭和30年代って、そのシステムが急激に出来上がってきた時代だと思うんです。でも、それはシステムが出来上がる過程というよりも、新しいメディアに一般大衆が飛びつき、それをさらに熱狂させる番組を放送局が提供してきた、その歴史という気がするんです」
「難しくてよう分からんがね」

「そして今、一般大衆は新しいメディアであるネットとかサイバー空間に飛びついてきている、という感じだと思うんですよね」
「まあ、ネット時代とは言われているわな」

「さらに、ネットコンテンツは、テレビに代わる動画配信から、ユーザー同士のつながりが見えるSNSや、サクサク読めて、情報獲得も簡単なテキストコンテンツと、テレビ以上のジャンルを提供している。果たして、コンテンツはもう出し尽くしているのか、或いは、まだあるのか。それとも、メタやゲームの様に資金力がものを言うのか、それとも企画勝負でユーザーを獲得できるのか。そこを考えると、ネットはまだまだ開拓可能なメディアだという気がするんです」

 さあ、熱弁ふるうタケ田ですが、錦秋亭はずっと腕組みで渋い顔でございます。そして、言いたいことを言って上気したタケ田に錦秋亭渓鯉が言い放つ。

「そんなん、考えても分からんがね! そんなことを考えるよりも、面白い講談を考えろて」

 様々に思索したタケ田にこの正論。まさにカウンターパンチでございます。これにはタケ田もショックを受けた。

「えええ…、なんで怒ってるんですか…」

 そう返すのがやっとでございます。

 さて、紆余曲折もございましたが、テレビ草創期から活躍した放送作家のお話は来週からのスタートでございます。
 どうぞ、ご覧、ご一読いただけます様お願い申し上げます。

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